プラトン『国家』https://www.nanshin-lib.jp/WebOpac/webopac/searchdetail.do

読みやすいので一度は読んでみましょう。
正義は得か、という設問に対してプラトン(ソクラテス)が答えるもの。司馬遷は「天道是か非か」と『史記(列伝)』を著したが、プラトンの場合は対話形式の著作。私は現代日本人なので当然その視点から突っ込みながら読む。
プラトンは小さいものを大きくすればよいと言って国家を持ち出すが、これには社会科学、自然科学の両方から異議が出るだろう。
社会科学、経済学では「節約は個人ではよいことだが、マクロ経済ではマイナスの影響が出る(合成の誤謬、選挙結果/政治/についても同じようなことが起こる)」と初期のころに習う。
また自然科学、幾何学的論点からは「立方体では一辺の長さを10倍にすると体積は1000倍になる」という観点から問題になる。この立方体が人体のような構造物だとしたら、仮にこの体が身長2倍、幅2倍になったとすると、8倍の体積を支えるために骨の太さは8倍に(理論上)ならなければならない。またこれとは別にこの立方体が機能を持ったものだとすれば、機能を働かせるためのエネルギーは、元の8倍のエネルギーを大きく下回るエネルギーで足ることがままある(スケーリングメリット)。人間と国家で相似やフラクタクルが成り立つのかの検討がない。周知のとおりプラトンは幾何学を学んでいるが、幾何学を人間や社会に当てはめることはしなかったようである。一般的に聞く話では数学を社会科学にも応用したのは新古典派経済学以降だそうだ。
「正義が得か」ということに関してもう一つ語れているのが死後の世界での報われ方である。これに関しては現代日本人としては「ふーん、古代ギリシャの人はこう考えていたんだ」ですんでしまう。どこぞのキリスト教徒の数学者が「死後の世界があると仮定した場合、死後の幸福は無限だが現世の幸福は有限」という計算になり、以後求道生活(修道生活?)にはいったという。ちなみにお釈迦様は「死後の世界などわからないのだから気にするのはやめなさい」と言ったといわれている(毒矢のたとえ)。

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