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製作の日々

いつまでに何を作るのか?何のために誰のために?

そういうものを取っ払って、日々の中での、ふと思いついた言葉を書き留めるように自分に向き合っている。

高校生の時から花屋でアルバイトをしていたから染みついたものは計り知れず。そんな30年いた花業界を一抜け。

昨年の3月からそれまでの売るということを辞めて、
売ることを考えない。花屋的にこうした方がいいという考えも思いついても
デザインを思いついても無視。
じっとしている状況に慣れるように毎日を過ごしてきた。

世の中は情報や商品に溢れ、いくらでもオマージュという名の真似事が多い。
私は花屋で十分やりたいことはやって来た。
きっとどこかで見たようなお花の組み合わせと表現の仕方と
勿論すべてはオリジナルだけれど、果たしてどこまでがオリジナルだったのだろう。

2020年12月T様用


生産者さんの作ったお花で、お花はもともと既に完成されていて、
そこを組み合わせていることに限界を感じていた。
違和感に気づいたのは30歳の時。今から20年前のこと。

だからといってどうすることもできなかったし、
自分の為だけに仕事をするのも
空しく感じていたから、相当自分の好きなものを書き出して、
考えて薬屋のような花屋をやろうと思って行動に移していた日々。

ノートに書きだして客観視するとかデトックスするとか、好きな写真や雑誌の切り抜きを貼りだして夢地図を作るとか、今ではコンサルタントの人がよく使う手法で導き出した答えは薬屋のような花屋。

いつの間にか私はウツになっていった。

きっと私の生き方はそれじゃないというのを認めたくなかった。
否定を否定する。花一本でやってきたし、接客が好きというか特技だったし、作ることが好き。それ以外に思いつかなかった。
仕事できついときも生活が厳しいときもとにかく仕事が出来るようになろうと何年間も努力していた事が瞬時に無になってしまう。
という言い訳で自分を責め、自分で作った囲いの中にいたのだ。

挙動不審だなと思う事や言動がおかしいなと思う事、
感情を自分で客観的に見れなくなっている事。
何をしていても辛く、元気はでなく、ただ起きて仕事に行っての繰り返し。
過去の自分はどうしてそんなにやる気に満ちていたのだろう?と
目標も空回りし不安な毎日を過ごしていた。

2001年 脳のシクミ



掛け違えたボタンはそのままで、着心地の悪いシャツを羽織って走り回っていたのだ。


完全にもう大丈夫だと思えたのは2018年。
ウツだなという時から10年は経っていた。
病院には行っていないのでウツと診断されたわけではないけれど、
本当に辛く苦しい日々だった。


そこを変えたくてもなかなか変えられなく、自己啓発的なセミナーやスピリチュアルなるものにも参加したりしたけれど、
そういう人々にどうにも馴染めなかった。


でもある時に勇気を出して自分主体で動き出してから、持ち直していった。
そうして、誰かのお世話になっていてはいつまでたっても変わらないと思い、お世話になってしまっていたギャラリーやレストランなど
一つ一つ辞めていった。

同時にやりたくないことは全て断っていった。
丁度、色んなところからお声がけいただけるようになったというのに
タイミングは皮肉なもので、前は喉から手が出るほど求めていたのに、
今はやりたくないし忖度もしたくないのだ。


そして部屋を製作しやすい環境に模様替えをし、
販売用の商品や装飾用に使用していた花瓶などをBASEで一般の方へ安く販売し、他も決断がつかず保留にしていた露店の為のたくさんの花瓶やラピング資材など大きなトランクに入れ仕舞っていたものを先日友達に譲り、引取に来るのを待っている段階。


『植物にただ向き合い、売ることが目的じゃない作品を作る。』
という本心に従っていった。


そうすると、それまでの自分に対する罪悪感や否定的な気持ちや
信じられない気持ちが一変して

「自分に嘘をつかなかった」

とそれまでの日々が報われたような感覚になった。
どんな状況だろうと都度全力でやってきたなんて自分偉い!とすら思えた。


今は日々、まだ安定しないこの小さな本心を育てる感覚で向き合っている。
つい昨日もサロンというコミュニティーを1週間入ったのに辞めた。
面白そうだとフラッと入ってしまうのは良くないし、今はその段階じゃない。自分に集中!!


そして、コロナになってから私ももれなく太ったので自宅でストレッチとトレーニングをしてる!
このフィットネスバイクはマンションでも大丈夫!静音というか音がしない。

余計な贅肉と考え方がすっきりしていきますように!


ではでは~

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