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月を詠む

九月になりましたね。今年の中秋の名月は、9月29日だそうです。去年は9月10日でした。その夜、家族のグループチャットで、名月で一句詠むか、と言われたので、その時に僕が詠んだものを晒します。

名月に
ビル風を切る
幼な指

チャットでは、この歌に、妻に抱かれた次男が満月を指さしている写真をつけました。当記事のトップにも、それを加工したものを置いておきます。

当時、家族に対して滔々と意図を語ったのですが、あんまり聞いてもらえなかったので、無粋ながらここで説明させてください。

ストーリーはこうです。今日は中秋の名月だと聞き、幼い子供を抱いてマンションの外に出ると、街明かりの上に秋の強い風が吹いている。東の空の満月に気付き、興奮してそれを指さした子供の指先は、その風よりも勢いよく見えた。

冒頭、ベタに季語「名月」で切り出したものの、助詞「に」を配置することで、月ではなく子供を主役に持ってこようとしています。

親の体験に沿って単語を繋げていて、最初は月が視界に入り、次に肌を撫でるビル風を感じ、そして、その風に負けないほど手を振り回す子供が、腕の中にいることを知る。視点が夜空から目の前に戻り、子供の体験する世界の新鮮さ、それに対する感動を大切にしたいと思う。その子供が指さす先には、再び、遠い空の名月がある。そんな秋の夜の出来事を伝えたかったです。

ぜんぜん詳しくないのですが、俳句には、五七五の中に深みを出すためのテクニックがいくつかあり、視点を移動させたり、視覚以外の感覚を含んだりすると良いらしいです。たまに癖のある新語を入れると独自性が出るとも聞きました。でも、やっぱり、こんな説明をするのは野暮ですね。

最近小説を書けておらず、表現を模索している時に、この歌のことを思い出しました。俳句を詠んだのは、高校の国語の授業以来じゃないかと思います。素人ながら、短い言葉の中に情景や感情を込める練習にはなるんじゃないかな、と思った次第です。

今年も奇麗な月が見えると良いですね。


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