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まどマギの新作やるらしいしファウストの復習を適当に

 まどマギの新しい映画のためのブログ。もう少し早く公開してほしかったけどしょうがない。まどか☆マギカとファウストの比較はまた今度やるので、今回はファウストの考察のみ。

ファウストのポイント

・マルテの家の庭

 ゲーテはスピノザから影響を受けている。その影響はファウストの中にも見て取れる。
 ファウスト第一部「悲劇」中の「マルテの家の庭」のなかで、マルガレーテ(グレートヒェン)がファウストに宗教について尋ねる場面がある。マルガレーテは敬虔なクリスチャンであり、信仰に迷いはない。
 

じゃ、あなた、宗教のこと、どう思っていらっしゃって。  
あなたはとってもいいお方だけれども、でも、宗教のことはそう大切に考えていらっしゃらないのじゃないのかしら。

ゲーテ. ファウスト(一)(新潮文庫) . 新潮社. Kindle 版.

対してファウスト

神の名を唱えて、自分は神を信ずると、告白できる人はいるだろうか。
心に神を感じていながら、自分は神を信じないなどと、果たして言いきれるものだろうか。
すべてを包む者、すべてを保つ者、その神は君をも私をも自分自身をも包み支えているのではあるまいか。

ゲーテ. ファウスト(一)(新潮文庫) . 新潮社. Kindle 版.

 ファウストが、無神論者なのではないかと疑うマルガレーテに対し、ファウストは新たな視点を提供する。ファウストが考える神とは、人格性を含んだ一神教的な神ではない。マルガレーテのように、信仰=キリスト教的とはならず、別の何かを感じている様子がうかがえる。
 
 「すべてを包む者、すべてを保つ者」が自然を指すと考えるならば、ファウストの返答はスピノザの汎神論的返答である。「神即自然」という考えなのだから、マルガレーテの理解の範疇には存在しない。当時のキリスト教徒から無神論者とのレッテルを張られた理論なのだから当たり前のことである。ここではマルガレーテはキリスト教徒としての、そしてファウストはゲーテ、ひいてはスピノザの代弁者としての役割を果たす。

・救済

 マルガレーテは、ファウストとの子供を身籠るが、代償として母と兄を失う。結ばれるはずのファウストにも捨てられ、自分の子供も水に沈め殺してしまう。ファウストの元ネタ、ファウスト伝説をなぞるならば、マルガレーテが罰を受け、ファウストはメフィストフェレスに魂を奪われ物語は終わるはずだ。キリスト教的な終わりともいえるだろう。しかし、ゲーテのファウストは”救済”によって終わりを迎える。

 ここでいう救済とは、キリスト教的な救済ではない。旧約聖書のヨブ記では、すべてを奪われたヨブが信仰心を保ち続けた結果、財産は2倍になり、子宝に恵まれ、長寿を全うして死ぬ。しかし、ファウストにおいて救済がなされる対象は魂のみである。ファウストが肉体的な自身を離れ、精神が天上へと昇るとき、マルガレーテの魂がゲーテの魂を救済する。肉体と魂は完全に切り離されて考えられていることがわかる。ここに、ゲーテのグノーシス主義的な側面が見て取れる。

・グノーシス主義

 グノーシス主義は、古代から中世にかけて発展した。物質世界を根本的に悪と見なし、精神的な真理や知識(グノーシス)を通じて救済を求める反宇宙的二元論をその根幹に持つ。物質界を創造した存在を低次の存在と、至高の唯一神ヤハウェを区別しており、ヤハウェが真の神聖な世界を支配していると考える。人間の魂は物質世界に囚われており、真の知識を得ることでその束縛から解放され、神聖な領域へと戻ることができるとされる。

・ゲーテ

 ゲーテは純然たる哲学者や科学者ではない。従って、ひとつの宗教や思想にとらわれない、自由で柔軟な芸術家である。ゲーテは生涯を通じて多くの学問を学び、それらをすべて詰め込んだのがファウストなのだろう。ファウストを読むために要求される学問知識は広範にわたるゆえに、難解な文学作品とされていると考える。

あとがき

 金がないので暇つぶしに書いた。ダービーも外れたしな。マルテの家の庭の引用個所をkindleで探している途中にめんどくさくて投げ出したくなったが、がんばって最後まで書いた。(えらい)
 ここから、必要な部分だけ抽出して、なるべくわかりやすく、まどか☆マギカとの関係までつなげる予定。必要な箇所だけ考察したが、ギリシャ神話の知識が必要な箇所なんかはまったく解説できないと思う。グリム童話も無理。映画が今年の冬公開なのでそれまでには頑張りましょう。
                               おわり


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