マーケとしての基礎を築いた6年
お疲れさまです。
私がマーケティングとしてキャリアを始めたのがおよそ15年前。
2022年の今とはいろいろと状況が変わっていますが、入社してまず、実感したのが、自分がマーケティングについて全然わかっていない、ということでした。ある意味、当たり前ですね。
入社した会社は日本国内でマーケティング関連の仕事に関わる人が数十人、というなかなか恵まれた環境であり、ゆえに、業務もある程度は細分化されていたり、微妙に重複したり、という大組織あるあるが始まりつつある感じでした。
私が最初に担当したのは法人向け製品の広報業務。
プレスリリースを書いたり、メディア(報道関係者)やアナリストの方々とリレーションを築いて、自社に好意的な記事を書いてもらったり、評価をしてもらうことを目指す業務でした。
多くの外資系企業や、スタートアップに近い会社においてはこの業務、PR 代理店と呼ばれる会社に委託されていることが多いと思うのですが、この会社においてはなるべく自社でそれを賄おうという姿勢で人員もリソースも比較的潤沢に投資されていました(これがいかに恵まれている会社だったかわかったのは、退職してからのことです)。
この会社でマーケティングとしてのキャリアを始めることができて幸運だったなと今、振り返ることができるのは、
①(日本市場における)マーケティングとしてのメッセージを製品部隊と協業してゼロから作り上げるなど、一般的な外資系ではなかなかできない経験ができた
②広報という予算に恵まれていない部門ならではかもしれないが、知恵を出して行う姿勢が評価された
③ビジネスが安定しており、人員にも余裕があったため、学ぶ機会に恵まれていた
といったあたりです。
①に関して言うと、一般的にはプロダクトマーケティング側である程度、練りに練られた戦略やストーリーがあり、それを広報施策にも展開する、というのが一般的であろうかと思います。
この会社では、広報部門とプロダクトマーケティング側での議論を踏まえて、製品の見せ方を考えていったり、私が作った資料がそのままお客様・パートナー様への説明資料に展開される、などといったことが頻繁にあり、自分が製品の市場投入に関わっているという実感を得ることができました。
②は書いたとおりで、広報部門ってそんなに予算がないんですよね(今振り返ると、それでもすごい潤沢だったと思いますが当時の私は知る由がありません)。
なので、お金を使わないでもできること、社内から新しい活動のネタになるような情報をかき集め、それを具現化するあたりが求められていたわけです。
目の前の仕事を自分自身で作っていかなければいけない、けっこうハードルが高い仕事ではありますが、結果的にこれが後のキャリアに生きてきました。
③は本当にありがたいことで、会社としての経営が安定しており大規模なリストラもなく、買収されることもなかったことで、教育への投資は手厚かったです。
グロービスの科目受講なんかも何個かやらせていただきましたし、それ以外にも外部研修は年に1-2回、数日のものを受講できてました。
先輩諸氏もいろんなキャラのな方がいらっしゃいましたが、基本的にチャレンジに前向きなマインドでしたので、その点では学びやすかったです。
2022年の現在もこの会社、安定したビジネスを営まれていますし、ここでもっと長く働くという選択肢もあったと思います。
しかし30代を迎えて、もう少し自分としてステップアップするスピードを早めたい、ということを感じていたのとともに、入社する人も退社する人もセキュリティ業界で回っているような状況から、自分としてはセキュリティ以外の商材にも関わりたいという思いが芽生え、2回目の転職活動を始めてみたのが、2社目に入って6年目のことでした。
結果的に丸6年でこの会社を退職することになります。