小説を誰かたったひとりに届けるとしたら……──あの日の私とこの先へ
(※すみません、あとで消すかもしれません。でも、自分のために書きます)
「歩くのって……どうやるんだっけ?」
──これは、高校2年生のクリスマスに、私が実際、母に言った言葉。
歩き方がわからない……。
母は愕然としてたけど、私はその反応に唖然とした。
親には歩けないのをなんとか隠し通したかったけど、そんなの自分の浅知恵だと思ってた。
学校からとっくに連絡がいって、バレてるものだとばかり思ってた……。
身体を壊したのは、秋のこと。
11月の文化祭だって、合唱のステージに立ってることもできなくて、椅子に座ってやっとの思いで歌った。
部活引退前の、最後の舞台。
練習にもろくに参加できてなかったから、直前まで出れないかもしれないと思ってて。
でも、中高ずっと一緒に過ごしてきた仲間と、
なんとか舞台に立ちたくて……。
実際には立ってすらいなかったけど、最後まで歌いきっただけで、涙が出るぐらい嬉しくて──悔しかった。
本当は、もっとちゃんと歌いたかった。
もっと、ちゃんとできたはずだった。
身体を壊したことが、悔しくて悲しくてふがいなかった。
あの文化祭には、親も来てたはずだ。
なのに、なんでバレてなかったのかは、今でもわからない。
多分、当日たまたま体調悪かったんだとか、適当にごまかしたんだと思うけど……。
とにかくもクリスマスの夜、家族で外食に行った帰りに歩き方がギクシャクとして、どんどんゆっくりになって歩けなくなって、私はとうとう親に打ち明けた。
もうずっと歩けなくて、でも、無理して学校に行ってたこと。
家では、壁に手をついて歩いてごまかしてたこと。
でも、本当は、椅子に30分座ってることもできなくて、保健室のベッドで泣いてばかりいたこと……。
学校までは、地下鉄も使って片道45分の道のり。
なのに、当時の私は倍の1時間半かけて、亀みたいに歩いてた。
杖をついたヨボヨボのおばあさんにも追い抜かれた。
横断歩道は、青信号を見送って、次の青信号が始まるまで待たないと渡りきれない。
普通の地下鉄の階段が、まるで山みたいで、のぼれなくて。
でも、私の足じゃエレベーターまでも遠くて、学校の最寄り駅に着いたのに、泣く泣く引き返す日もあった。
学校までたどり着いても、椅子に座っていると具合が悪くて授業にも出れない。
単位を出してもらえる「授業時間の半分」も座ってられない。
保健室に行くたびに、無力でみじめで……。
でも、絶対に親にはバレたくなかった。
絶対に、迷惑をかけたくないって思ってた。
なんであんなに強情だったのかって、今なら思うけど。
自分が面倒起こしたら、親が離婚する。
家族がみんなバラバラになる。
そんなふうに思うぐらい、あの頃は家の中が冷えきってた。
両親が笑いあってる今だから言える話。
本当は、歯磨きをする間も立ってられなくて、
椅子に座って、でも背もたれにももたれていられないから、壁にもたれて地べたに座って。
でも、壁にももたれていられないから、床に寝そべって歯磨きする。
そんな状態が親にバレて、どこかほっとしてる自分もいた。
もう必死になって隠さなくていい……。
病院に行っても原因はわからなくて、面と向かって「精神的なものでしょう」って言うお医者さんもいた。
親の方は、「一生寝たきりかも」って言われてたらしい。……あとから聞いた話。
大学病院に行って、変な病名をつけられた。
今じゃよく覚えてないけど、専門家じゃない担任の先生でさえ「違うと思うんだけどなぁ」って首をかしげる病名。
薬が何種類も出て、眠くて眠くてしょうがなかった。
セーラー服の女子高生が、一日14時間睡眠。
その頃には、もう学校にも行ってなかった。
でも、起きててもベッドの上で、何もできない。
なんでこんなことになったんだろう?
私、何か悪いことした?
別に、死にたいなんて思わない。
でも、なんで生きてるのかわからなかった。
まだ十代なのに、このまま一生、親のお荷物になるのかな?って思ったら悲しくて悔しくて。
未来なんか、全然見えなくて。
生きてても、こんなに突然、「人生終わっちゃう」んだって。
やりたいこと、できなくなっちゃうんだって、思い知った。
死ぬほど後悔した。
元気なときに、もっとやりたいこと、やっておけばよかった!
家が医療系だったから、私も当たり前みたいに医療系に進むんだと思ってた。
それが自分の「やりたいこと」なんだって思い込んでた。
そうじゃなかった。
でも、自分が何したいのかもわかんなくて。
友達と一日、笑って遊びたかった。
ディズニーランドに行って、自分の足で歩いて回りたかった。
そんなこともできないでベッドにいる自分が、周りに迷惑ばっかりかけて悲しませてる自分が、みじめでしょうがなかった。
結局、高校は半分、まともに行けなかった。
でも、なんとか回復してきて、往復タクシーを使ってでもセンター試験に行けたあの日。
一日ずっと試験会場にいて、テストを受けれたあの雪の日。
勉強してなかったから、結果は全然期待してなかったけど、本当に誇らしかったのを覚えてる。
私はカウンセラーさんにあこがれて、心理学部を目指した。
こんな私でも、話を聞いて、誰かの役に立てるかもしれないって思った。
もともと不安定な職種だから、週5で働かなくても小説書けるかも……、ってチラッと思ったのは、ここだけの話(笑)。
実際、社会に出てみたら、週5で働きながら小説書いてたけど。
浪人生活は楽しかった。
半分リハビリみたいなものだったから、授業もけっこうサボって、カラオケ行ったり喫茶店行ったり。
(勉強もしてたよ?笑)
その予備校生活の初日に、唯一無二の親友と出会った。
今では小説を読んで編集してくれる、私専属の編集者さんみたいになってる親友。
その彼女は、のちに私と同じカウンセラーの道へ。
今じゃ、私よりもしっかり臨床心理士やってる(笑)。
お互いに出会うために浪人したんだねって、ふたりで笑い話にしてる。
今の私の原点は、間違いなく、あの苦しかった高校時代。
小説を誰かたったひとりに届けるとしたら、私はあの高校生の頃の自分に届けたい。
苦しくても、悲しくても、先が見えなくても。
あの頃の私がいてくれたから、今の私がいるんだって、そう伝えたい。
そんなことを、ふと思い出した日でした。
読んでくれてありがとう。
あなたに幸せがいっぱい降り注ぎますように🌈
(イラスト:漫画家 青木ガレ先生)
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