丸飲み力
新しいことを学ぶときの、自分のスタイルについて。
私の父は普段口数は少なく、お世辞にも社交的とは言えない人だった。
しかし、自身の得意分野となると途端に饒舌になる人だった。その饒舌さは、理解を求めて目の前の相手に話しているのか、実は語っているようでいて自分自身でその知識を確認しているのか、わからないほどであった。
子供である私は、とりあえず一通り全部聞くと父も満足気な様子なので、内容は今一つわからない話であっても聞くようにしていた。
後に理解できた話や父のおかげで役に立った知識は正直、それほど無いが、このとりあえず全部聞くというスタンスは役に立っている気がする。
このスタンスーとりあえずよくわからないがとりあえず全部受け取ってみるーを、丸飲み力と名付ける。
クリティカルシンキングやアクティブラーニングといったキーワードには逆行するかもしれないが、丸飲み力は新しいことを学ぶときに役立つというのが私の仮説である。
丸飲み力の効能は、スタートダッシュを決められることと、わからないなりに全体像をつかめることである。
新しいことを学ぼうとすると何から手をつけると良いのかわからず、最初の一歩に躓くことはないだろうか。丸飲み力があれば、とりあえず気になる本を一冊読んでみるなど行動ができる。読んでいてもわからない単語や話が出てくるだろうが、それはそういうものとして雰囲気で読んでしまう。
もやもやすることも多いだろう、当然である。
読んでいるうちにわかった気になってくる部分もあれば結局わからないことが多いかもしれない。それを良しとするのだ。
その世界(新しく学ぼうとしていること)のルールに馴染もうとしてみることが大事である。
わからないことをとりあえずまるごと飲み込んでみることで、多少キーワードや自分が興味を持てるポイントが見つかってくると思う。きっとなにかしらアンテナが立つようになっている。
これこそがスタートダッシュである。次の行動のヒントが掴めて、ドミノ倒しのように学びを進められる可能性が高まっている。
丸飲みするのは違う著者で三冊くらいがよい。丸飲み中に何度も出会うキーワードは、その世界のキーワードである可能性が高い。
できればあまり即効性を謳ったものでない方が良いと思う。せっかく丸飲みする意義が薄くなる。
また、当たり前だがずっと丸飲みしていては学びは深まらない。あくまで学びの最初に全体像をぼんやり掴むために使う。
できればある程度わかってきた頃に丸飲みした本を読み返すとよい。最初わからないまま読んでいた内容の解像度が高まっていて、自分の理解度を確認できると、私はテンションが上がる。
よく考えてみると、丸飲み力は赤ちゃんの学習やAIのディープラーニングと通じるのではないか。
大人になった「人間」の私には、そんな吸収力もキャパもないので、丸飲み以外の方法で学ぶことになるのだが、学びの最初にはこの丸飲み力を意識している。
理解できないと進めない人や体系的な説明がないと無理というタイプもあると思う。
そういうタイプには、特に確立していないものを学ぶときには、敢えて丸飲みしてみるのもひとつかもしれない。
私に聞く忍耐力を授けてくれた父に感謝。
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