リストラされて海外へ
仕事もないし、専門の研究にそこそこ熱中できてもいたので、浪人したのに大学院まで行くという酔狂な道を選んだ私ですが、大学院を出てすぐに、同窓のツテもあり一本釣りのようなかたちで、ひとまず教育関係に就職を果たしました。
そんなに大きくないところでしたが、せっかく声を掛けてもらったし、ここで頑張るのも悪くないかな、と前向きな気持ちでいたところ、まさかの展開が……。
いわゆる「お家騒動」というやつに巻き込まれて、リストラの憂き目に遭ったのでした。
私を引っ張ってくれた人は、創業家の方で、跡取りと目されていた人でしたが、私が入ってみるとなぜか反対勢力により、閑職に追いやられていました。
そして一年後には私も、上司から突然のリストラ宣告を受けるのです。
「君に恨みはないし、評判もいいんだけど、このままいてもらうわけにはいかないんだよ。」
実に理不尽な言葉でした。
恐るべし派閥抗争!
実のところ、自分を引っ張ってくれたその人とは、就職後、数えるほどしか会っていなかったですし、そんなに関わりが深かったわけではなかったんですけど……。
結局その人がせめてものお情けということで、自分の人脈を駆使して、同業の他所を紹介してくれることになりました。
正直、元のところよりむしろ業績の良い有名どころだったので、結果オーライかと思いましたが、面接に行ってみると、
「東南アジアの某国でポストが空いてしまい、至急行ける人を探しているんですよ。ぜひお願いできませんか?」
と言われ、急転直下の海外渡航となりました。
それでも、突然のリストラよりは、衝撃度は薄いというか、とにかく冷静に話を聞くことができました。
その日から1ヶ月も経たないうちに海外での生活が始まりましたが、その目まぐるしさよりも、お金のことが案外大変でした。
というのも、前年の暮れに、清水の舞台から飛び降りたつもりで、最新のタワーPCを組み上げ、高級液晶モニタまで買ったため貯金がすっからかんだったんです。
海外で使うなら、世界仕様のノートPCとかにした方がいい、というアドバイスをもらったので、PCは買い直すハメになり、高級PCは実家に置き去りにされることに決まりました。
兄がくれた餞別は、本当にありがたかったです。
初任給は初月の25日と聞いていたので、想定される1ヶ月分の生活費の数倍くらいを現地通貨に替えて持って行きました。
しかし、世間知らずの私には、自立して生活を始めるための資金、すなわち「自立支度金」についての知識が、まるで不足していたのです。
駐在員なので、住むところはちゃんと勤め先で用意してもらえたのですが、それでも、各種インフラの契約金、最低限の生活用品、最低限の家電や家具、銀行開設のデポジット(日本では無料)、引越しの船便荷物が到着するまでのつなぎの服などなど、想定外にお金が出ていき、食費などについては、初任給が出るまでは、かなり切り詰めることを余儀なくされました。
まあ、そこそこ忙しくて、お金を使う時間もなかったから、なんとかなりましたが。
職場は日系なので、100%英語と言うわけではないし、日系のスーパーやファストフードなども進出していたので、英語が苦手で海外初心者の私でも、決して苦しい日々ではありませんでした。
むしろ休日にまで日本人に会いたくない私は、現地の人々が行くようなショッピングセンターにばかり行っていたくらいです。
パソコンを介してのインターネットやE-mailはギリギリありましたが、まだまだ携帯電話でネットにつないだりはできない時代です。
海外は今よりはるかに遠かったけれど、経験としてはそれが良かった気もします。
若かったこともあり、前向きに駐在生活を送りました。結局、日本に本帰国したのはそれから7年後のことでした。
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