船に乗っていたら・・・。
大阪湾に係留していた幕府の軍艦に艦長の榎本武揚は乗艦していませんでした。
もし、"徹底抗戦派"である彼が艦に乗っていたら、慶喜の命令に素直に応じたでしょうか?
副長以上に慶喜に対し"反意"を示したのでは?
「城に残っている者たちは、貴方を信じて戦おうとしているのです。その仲間たちを、私は見捨てることは出来ない。」
「船を動かしたいなら、"謀反人として"私を切ってからにしてください。」
あるいは、
「貴方の"武士道に悖る行い"を戒めるため、私はここで切腹致します。」
慶喜と共に来た重臣たちにも自分の行動に、忸怩たる思いがあるはずです。
その熱意に絆され、彼らも慶喜に大阪城に戻るよう強力に説得する事になれば、慶喜にそれを覆すだけの"理由"を、彼らに伝える事が出来たでしょうか?
少なくとも、武揚がこの時に歴史の舞台から"退場"していれば、函館まで至る「彼の奮戦記」は存在しません。