「一緒にマラソン走ろう」の裏切りは社会のドライさな縮図


自分の成績と約束を天秤にかけた時に「こいつの成績は自分と関係ない」と割り切る人やドライな人ほど社会で自分が得するように器用に立ち回る本性な気がする。

決して自己中でも自分勝手でもない。
優しい。わけではない。
だから、なんだかなぁってなる。
テストの日に「全然勉強してない」より腹立つ。


この図を顕著にしたのが営業のノルマだ。
「別に個人の業績が低くても他人の生活やボーナスは自分と関係ないし…」って思考の人もいるだろう。

自分は自分のテリトリーの部分しか干渉する気がない思考が強い人はこのタイプにも感じる。

しないと余裕がないからできないはまったくの別物。

だけど、どこか見切りをつけなきゃ自分の生活とも関係するし、自分の人生と正直関係がない。

だけど急に見切られるのは困る。
困るというか冷めてしまう。