2024.11.18 充電が切れそう

外出したが、携帯の充電が30%しか残っていなかった。

電車の中で、いつもは電子書籍を読むのだけれど、1番しなきゃいけないことは何かを考えて、noteにログインをした。

特にこれといったことは何もないけれど。


特にこれといったことは何もないけれど。
常にギリギリのところで、何とか運良く生きている、という感じがしている。ちょうど1年前くらいから、今だけがこんなに忙しいんだ、身体にも心にも悪いけれど、一過性のものだ、と思いながら過ごしてきた。

それがまだ続いている。
家を買おうとして、健康診断の経過観察が引っかかって、団信にその金利で入らないのじゃないか、そもそも本ローンが通らないのじゃないか。

それよりももっと自分の身体は致命的なところまできているのじゃないか。
この部署にいれば、かつて潰されてきた人たちのように潰されてしまうのじゃないか。
毎週毎週、今週は乗り切れるか?無事に会社の駐車場に停めた車から降りられるか?
という気持ちで、長期的なビジョンなんて全く考えられない心持ちで働いている。
段々と会社についてから、車を降りるまでの時間が長くなってきている。
一時は手が震えているのを止められなかった。
それを見たその原因の人が、震えてるじゃない、と言って無邪気に笑っていた。

そして周りの人がみかねて相談にのってくれたり、ヒントをくれたりして、何とか持ち堪えつつ、どんどん増していく負荷に耐えるようになってきている。

という状況の中での、35年ローン、というのが、現実的ではなく、寧ろ、何が現実的な選択なのかがわからない。

自分が成長しているという実感と、疎かに扱われている、ということが、相関関係がなく両立している。
ただその片方だけをやめてもらうのは無理だろう、ということはわかっている。
他の人なら上手くやっていけるだろうか?ということは、多分無理だろうと思う。最初からできていた人でなければ。

悪気なく、潰れた人に対しては後悔も、後ろめたさもなく、恐ろしく共感性に欠ける人、人たちをみて、立場が上になるとそうなってしまうのか、そもそも立場を上げるべき人ではないのか。
良くわからなくなる。

ギリギリのところまで行って、無理なら潰される前に辞めなければいけない。1人だけのチキンレースみたいに、入れ替え可能な部品が、震えながらアクセルを押し込んでいる。

特にこれといったことは、何もないけれど、結構ギリギリなところにいる。

もっと子供のことをやってあげたい。悩みを聴いて、何かためになることを教えてあげたい。

自分にイライラして、自分を痛めつけるように、YouTubeやInstagramで、スクロールをしながら、無駄な時間を作っている。何かを吐き出すように、意味のなさに対抗するかのように、自分から意味のない世界へ突っ込んでいっている。

そういう印象を持っている。

いいなと思ったら応援しよう!