ken

音楽をしています。転職を数度、バンドは月数回、映画は好きだけれど最近は見ていません。殆どの時間、耳と頭が空いていればオーディオブックを聴くか、Kindleを読み上げ機能で聴いています。そんな日々に飽きてきて、何か心の動くものを探しています。

ken

音楽をしています。転職を数度、バンドは月数回、映画は好きだけれど最近は見ていません。殆どの時間、耳と頭が空いていればオーディオブックを聴くか、Kindleを読み上げ機能で聴いています。そんな日々に飽きてきて、何か心の動くものを探しています。

最近の記事

2024.11.22 過ぎて

・何か小さい頃好きだったこと。 そういったことから話題を繋げて、今自分が好きだと感じていることについて書こう、と思った。 しかしその好きだったことを忘れてしまった。 ・正しい目標に向かっていない効率化は無駄だ、という言葉を見た。 正しい目標。 正しい目的。 ここにまだいるっていることは、人が好きなんだ。 きっと、1人でいたい、というのは、ずっとそうしていたい、ということではない。 それ、これ、はどんなものなんだろう? つまり、病気のように感染するのか? 1人でいたい気持

    • 眠る前、明日になる前に、 1番やっておきたいことは、 何かを記録することだ。 何を? 少しでも、痛いと思ったことを、 振り返った時、その後が細い川になって だれかの川と繋がっているのを。 痛み、というほどでもなく、 でもこんなにも時間が遅くなってしまった。

      • 2024.11.18 充電が切れそう

        外出したが、携帯の充電が30%しか残っていなかった。 電車の中で、いつもは電子書籍を読むのだけれど、1番しなきゃいけないことは何かを考えて、noteにログインをした。 特にこれといったことは何もないけれど。 特にこれといったことは何もないけれど。 常にギリギリのところで、何とか運良く生きている、という感じがしている。ちょうど1年前くらいから、今だけがこんなに忙しいんだ、身体にも心にも悪いけれど、一過性のものだ、と思いながら過ごしてきた。 それがまだ続いている。 家を買

        • 生き方の指針みたいなもの

          良く言われる"自分自身に正直になる"といったこと。 それはわかるんだけど、と、脇に置いていた。 その自分に正直になる、ということは、どこまでも自分を偽らずに、自分を平らに、真っ直ぐにしていくような行為だ。 自分に正直になったつもりになる、ということは簡単でも、本当に一つの違和感もなしに、正直になることは難しく、というよりも、そこまでするというイメージ、発想がない。だから難しく感じるし、現実的ではないのでやめてしまう。試してみない。 これまでの自分のこと。 これからの自分

        • 2024.11.22 過ぎて

        • 眠る前、明日になる前に、 1番やっておきたいことは、 何かを記録することだ。 何を? 少しでも、痛いと思ったことを、 振り返った時、その後が細い川になって だれかの川と繋がっているのを。 痛み、というほどでもなく、 でもこんなにも時間が遅くなってしまった。

        • 2024.11.18 充電が切れそう

        • 生き方の指針みたいなもの

          過去から遡り、理由を探す

          話し方の本を読んでいて、ふと手を止めて考える箇所があった。 時系列に物事を並べるのではなく、 過去からストーリーとして語る。 その方がより興味を持ってもらえる。 という内容だ。 そこで考えたのは、バンドのプロフィールについて。 いつもバンドのプロフィールを書く欄になると、途端に何を書けばいいかわからなくなる。 一体誰のために?何のために? 特に実績のない、活動の少ないバンドの、何を、誰に、どう、何のために伝えるべきなのか? この質問をした人は何を求めているの? という

          過去から遡り、理由を探す

          「神秘」白石一文を読んで

          Kindleでの聴き流しと、時々音楽を聴きながら目で読んでいた。 面白かった。上手く面白くさせられたというか。 神秘という題名や、癌を治す為に人を探しに行く、という部分には少し苦手意識が働き、読んで大丈夫かなと思いながら読み始めた。 というのも殆ど白石一文の著作を読んでしまい、他のものが僅かになっていたからだった。 面白かった部分というのは、余命僅かになり、死ぬ気になればなんでもできる、ということから何でもできる境遇になったにも関わらず、何もしたいことがない、という心境

          「神秘」白石一文を読んで

          アウトプット なんであれ肥溜め

          読んだ本の感想をnoteに書いてみませんか? という文が残っていた。フリックするとそれは消える。 しかし自分はじゃあ何を書こうとしているのだろう? 本の感想より、世の中にとって意味のあることが書けますか? 感想、感想、感想、殆ど人の褌で相撲を取るようなこと。 でもそうやって借りて、借りて、借りられるものは借りて、そうやって少しだけ世の中には優しい行為として、何かの価値を最大限にする、という立場で、借りて、感想を書いてもいいんじゃないだろうか? 疑問。というより、句読点、

          アウトプット なんであれ肥溜め

          zatsunenn

          カールバラーのソロアルバムを聴き返した。ピアノの弾き語り風の曲。出だしのピアノが流れるだけでーーリバーブーー暗い小さな部屋、しかし夜空の星が見えるーーキラキラ鳴る音、何かインパクトーー優しい歌、傍にいる人に聴かせるように、そこに誰もいないかのようにーー。 リバティーンズのTell the kingを聴き返した。ギターの高音から下がっていくパート、それからふらふらと地面に降り立ち、おそらく二日酔いかドラッグの酩酊後の朝、世間からは大分取り残されて。 自分の現状を省みた。 確

          zatsunenn

          仕事が耐えられなくなる。

          とある人に自分の曲を褒められた。もっと広めたら良いと思うと言われて、曖昧な返事しか返せなかった。 ただしっかりと自分の中の音楽に対する欲望に影響を与えていて、もうそれは最近の自分を押し退けようとするまで肥大化していた。 音楽をやりたい。そう思ったら、途端に明日の仕事が耐え難いものに感じるようになってしまった。 何とかやり甲斐を見つけて、その時間を有意義なものに変えようとしていたけれど、こうなってしまってはただ苦痛に耐える時間になってしまう。 誰に対しても責任も、未来の

          仕事が耐えられなくなる。

          幸せに気づく?不幸せに気づく?

          それを知ったら世の中を見る目が変わる、という類の言い方、物の見方があると思う。子供のうちは何も知らず幸せだが、大人になるにつれ、世間の悪い様を知って、所謂世知辛さを知るとともにそれとどう向き合うかという問題が出てくる。 結局のところ世の中の人は幸せになろうとしているのか、不幸せにやらないようにしているのか、大人になるにつれて幸せになろうとしなければそれは不幸せにしかなれない、といったような感じになっている気がする。 詩人の目を持って世の中を見れば、そこに希望よりも残酷な真

          幸せに気づく?不幸せに気づく?

          やさしさについて

          仕事柄飲食店の人と会うことが多いのだけれど、少し前、コロナで大分ダメージを負ったのか、その人と会った時に以前と違った印象を受けた人がいた。 その人を見て、何かその人の壁を壊してしまった事があったのだろうと感じた。というのも、以前より弱々しく、柔らかい微笑みを浮かべていたからだ。そして、どこか自分自身に向けて話しているようなところもあった。それを見て、この優しさは臆病な優しさだと思った。 優しさには、自分の世界が広くなって、或い余裕ができたことで優しくなる優しさと、自分が傷

          やさしさについて

          自分のできなさについて

          現時点での自分を書くとしたら、それまでの自分とこれからの自分を書かなければいけない。現時点でのできていない点は何なのか、それをどうするつもりで、今はどうなのか。 自分のできなさについて、出来るだけありのまま書くことで、それがセールスポイントに変わるという面白さ。できることを自慢することは余り意味がない、というのも、それはただの中間地点であり、今後どのように成長していくか、ということの方が大切だからだ。 だからできなかったことを、どうやってできるようになったのか、ということ

          自分のできなさについて

          意味のない日常

          意味のない日常。意味を持とうとしていることが恥ずかしい。何かしらの感触を、存在意義を欲している自分と、ただめんどくさい自分。 子供がメロンを見て、雨みたいにおっきいと言った。 無伴奏のチェロを聴いて、ゴジラが踊ってると言った。 自分は何も言わない。それで少し仕事で責任を感じて、接する人たちのささやかな幸せを願って、いつもと同じ道を帰るたびいつもと同じ道だなと思い、時計を見るともう時間がなくなっている。 親であるということと、夫であるということ、従業員であるということで

          意味のない日常

          何でもいいから今凌げるものを、と適当に本を買ってしまう。

          最近はよっぽどじゃないと紙の本を買わない。Kindleで買って、読み上げ機能で聴いてしまう。慣れてくると速くても聴き取れるし、眠くなるけれど、漢字、平仮名の区別もなく音は1種類なので分かりやすい。ミシェル・ウェルベックのKindle版の本がなくなってしまって、早く他のものも出て欲しいと思う。闘争領域の拡大やセロトニンは読んでいると心が落ち着く。自分では言わない、聞かないだろうことにまで言及しているところが何故か安心する。ただ何度も読んでしまえば飽きてしまうし、そうすると更に本

          何でもいいから今凌げるものを、と適当に本を買ってしまう。

          忘れている日常の癖

          テレビが点いているとつい見てしまう。妻が点けたままにして台所で料理をしている。子供はプラレールを壊して遊んでいる。ぼくは布団から起きて時間を確認して、何をしようか考える。それからテレビのつまらないバラエティ番組を見てしまう。嫌だな、こんなの見たくない、と思いながらしっかりと無表情で見ている。テレビから見てくれ、見てくれと言ってくるから、つい顔をそちらに向けて話を聞いてしまう。どの映像からも、どの笑い声からもこちらを見て!と聞こえてくる。 何となくその声を無視できずに見て、イ

          忘れている日常の癖

          哲学と詩が近づく

          最近の体験。 「三体」を読んで、SF小説に興味が起こり「ゲームの王国」を読んでより興味を持ち始めた。アマゾンのお勧め機能の奴隷となって、ミシェル・ウェルベックの「ある島の可能性」を読み、「服従」「セロトニン」「闘争領域の拡大」を読んだ。 その途中でオーディオブックで「世界の哲学者が今考えていること」を聴き始め、マルクス・ガブリエルの「欲望の資本主義」を聴いた。 この中で世界の哲学者の中で服従を引用する箇所があり、マルクス・ガブリエルも出てきた。ミシェル・ウェルベックの作

          哲学と詩が近づく