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公務員と建築。#1 育った環境と建築との出会い

私はとある市役所に勤めて8年目になる。職種は建築の専門職。12歳で建築の世界で仕事をすることを決めた私がこの仕事を選んだ経緯と様々な経験を経て今思うこと、そしてこれからのことを書いて行こうと思う。あまり世間に知られていない公務員の建築職という仕事のリアルなお話。今の自分の考えを整理する為にも素直につらつらと書いて行こうと思う。

絶対になりたくなかった公務員

父も母もいとこも地方公務員、祖父も叔父も自衛官。身内はみんな公務員。

「公務員はいいぞ〜」と言われながら、それ以外の職業なんてあり得ないような環境で育った。父は同じ技術の専門職で、根っからの仕事人間。仕事に誇りと責任感を持って働いていた。母は水泳の実業団チームに所属しながら、家庭と仕事を両立していた。

世間のイメージ通り経済的には安定していたのかもしれない。でも父も母も責任感が強く、仕事が好きで母に至っては実業団の水泳チームとの両立でいつも忙しかった。私が学童クラブに入るまで、千葉からおばあちゃんが2日に1回、片道1時間半掛けて通い私たちの母親がわりをしてくれたことを鮮明に覚えている。保育園の行事も他のお母さんに混じっていつもおばあちゃんが参加してくれていた。小学校4年生くらいから学校から帰ったら、洗濯物を取り込んで畳み、お風呂を洗って夕飯の支度を自分でしていた。それくらい両親は忙しかった。そして毎日夫婦喧嘩が絶えなかった。時に父が母に手を出をあげることもあった。日頃のストレスの行き場が無かったのか、母の布団の下の畳には爪で何度も何度も引っかいた跡が残っているのを見たこともあった。父はとにかく仕事で家に居なかった。両親の負担が減り、楽になるように家族で笑顔でご飯が食べられるようにとにかく家事を率先して手伝った。泣きながら仲裁に何度も入った。それでも毎日両親は喧嘩ばかりだった。

「絶対公務員にはならない」

子供ながらに思っていた。職業は関係無くただの夫婦関係の問題だったのかもしれない。でもとにかく両親の仕事が大嫌いだった。

12才。建築との出会い。恋だった。

得意な科目は社会科と図工と音楽と英語。子供の頃から運動も勉強もパッとしなかったけど、図工の授業や夏休みの自由研究でものをつくる時間は大好きだった。知らない国の事や歴史を知れる社会科も、話せる言葉が増える英語も大好きだった。(とにかく変わった子供だったと思う)

小学校6年生の時、地元の交換留学のプログラムに参加した。好きな要素しかなかったから絶対に行きたいと思った。行き先はカナダのバンクーバー近くの小さな町だった。2週間一人でホームステイをしながら地元の学校と交流したり観光をした。ホームステイをした家はカナダの一般家庭だったが、家の大きさとセンス溢れるインテリアに感動した。どこを切り取っても美しい景観の街並みも歩いているだけでウキウキだった。バンクーバー島のビクトリアに船で上陸した時に雷が落ちた。英国情緒溢れるエレガントで美しい街並みと建物を見て、美しさはもちろん日本との景観に対する美意識のギャップがショックだった。この2週間ずっと街並みや建物ばかり見ていた。帰る頃には「建築は日常を楽しくする人の生活に一番身近な美術品。それを作る仕事がしたい。お家が綺麗になったらお父さんとお母さんも喧嘩しないでみんな仲良く暮らせるかもしれない。」という夢が出来上がっていた。

建築というめんどくさい男にどうしようもなく恋をしてしまった。今思うとそんな感じ。

その恋は中学生、高校生になっても、大学生になっても、社会人になっても冷めなかった。

続く

▶️次回は・・・学生時代の進路選択から大学入学までのお話。






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