コロナが教えてくれたこと。
コロナが教えてくれたこと。
コロナウイルス騒動により、
急に様々な情報が飛び交い、今、私たちの身にいったい何が起きているのか?
世界がどの方向に向かっているのか?
ということがわからなくて、
一つひとつの情報に振り回されていましたが
最近、やっと情報が点として繋がり、自分の中で一定の理解ができたような気がするので、
でも人に上手く伝えることができないから、
文字にして書き起こしておこうと思う。
この3ヶ月ぐらい、ずっと頭の中でもやもやと考えていたこと。
コロナウイルス騒動の目的は、
世界政府の創設、管理・監視社会の実現。
優生思想に基づく「エリート人間しか要らない」という発想による人口削減計画
(人口が増えすぎると、今のままの地球じゃやっていけないから?)
もちろん政府に反対する人間も管理社会にはいてもらったら困るから削除の対象
そう考えると、いろんなことの辻褄が合ってきて繋がってくる。
消費税増税等でこれ以上経済の上昇が期待できなくなってきた。するとトップたちは一旦リセットする方法を取る。経済が伸びない原因を政治のせいではなく、全てウイルスのせいにできるから。
高齢化により社会保障費は膨らむ一方。
とっくに社会保障制度は崩壊している。
高齢者や持病のある免疫力の低い方が死亡、重症化する傾向があること。
全く関係ないことだろうか?
PCR検査という、正確性の低い検査を行い、
本当に感染しているかどうか定かではない人も陽性であれば感染者に計上し、隔離の対象とする。
テレビは「今日は何人増えた」と感染者(本当に感染しているかどうかも疑わしい)の数ばかりを報道し、感染者のうち何人が重症化している、軽症である、無症状であるという情報、退院したという情報、人口に対する感染率、陽性者における発症率、重症化率、死亡率の話はほとんどしない(分母を取り上げず分子のみで話す)。そうやって一方的にテレビで情報を流される国民は不安に煽られていく。
無症状なのに陽性反応が出る→元気な人が知らぬ間に他人に感染させる、というウイルスが目に見えないことをいいことに、人々を不安に落とし込む、「誰が感染してるかわからないから恐ろしい」という論調を作り出す。
「人」を病原菌扱いする。信じられなくさせる。
自粛要請などという法的措置ではないのに国民を恐怖に落とし込みそういう雰囲気を作り出す。
学校の休校措置は、社会にインパクトを与えるのには十分だった。
補償しますからお願いします、休業してください、ではなく同調圧力によりムードを作りそうせざるを得なくさせる。
順番が違うだろう、と。
誰が感染してるかわからないから、
マスク、ソーシャルディスタンス、三密を防ぐなどという言葉を使い、
「ステイホーム」
なんて“命令”されているのに、何も疑問に思わず、あたかも良いことのように使う。
「不要不急」という言葉で、政府によって、行政によって、人の行動に良し悪しをつけられることに、疑問を感じませんか?
人と人とが集うこと、人と人とに距離を取らせ、触れ合いを奪う。
人と人が集まるのを阻止すれば、デモなど政府にとって余計な企てを起こされることがなくなる。非常に都合がいい。
目指しているのは、人と人とを分断させる社会。
緊急事態宣言など、
人が街中からいなくなる、
お店が二週間も閉まってる。
そんな街を見て、「緊急事態宣言を出すことによって生まれた今の状況の方がよっぽど緊急事態だよ」って感じた。
補償金を出します、だから休業してください
じゃなく
休業してください、該当してたら補償金出してあげる
給付金あげる
企業や国民に行政に頼らせる雰囲気をつくる
給付金の支給に時間がかかるのは
マイナンバーカードに口座が紐付いてないから
とかいう意味のわからない理屈を述べ
国民の預金まで管理しようとしている。
「マイナンバー」なんて発想自体が、管理しようとしている現れだと思う。
私たちにはちゃんと名前があるのに!!
マイナポイントなんて、たかだか5,000円で、魂売らないで…
ソーシャルディスタンス。
2m以上離れましょう。
これは、AIによる顔認証ができる距離だとか…。
感染対策を理由に、各地に検温システムを配置しようとする動き。
感染者と接触したかどうかを追跡できるアプリの配信。
自分の行動も把握される、管理されるってことですよ?
5Gの基地は着々と設置が進んでいる…
コロナ対策が進まないのは日本のIT化が遅れているからだ!といい、
電子化、リモート化が急速に進む。
5Gによる健康被害について、日本では一切報道されない。可能性が否定できない限りは、導入について議論する必要があるのでは?
あちら側の人たちにとっては、とても都合の良い状況ができた訳です。
リモートワーク、オンライン授業の推進。
パソコンが売れれば、Microsoftの創始者は儲かりますよね…。
人との接触を減らすためにネットショッピングを利用しましょう、
お金の受け渡しを減らすためにキャッシュレスを推進しましょう。
こうすることで、儲かるのは誰でしょう?
誰が何を買ったか
何にお金を使ったか
個人の行動、趣味・志向を好きなだけ把握できるから。
マスク、除菌、、
ウイルスに勝とうとすることがそもそも間違っている。
人間はウイルスに勝てなどしない。
その考え自体が傲慢であり、その発想を改めなければならない。
マスクや除菌は対症法でしかない。
除菌・殺菌のしすぎは、自らが持ってる常在菌を殺すことにもなり、免疫力の低下につながる。
高齢者や持病のある方は重症化のリスクがあるから、外出自粛や接触の機会を減らすことは大切かもしれない。
(ただそれも、家族や大切な人にも会えず、閉じこもって生活することが正しいのか?という疑問もある。)
元気な人は、ウイルスに怯えてマスク、除菌、自粛…ってするんじゃなくて、日々の食事や生活に気を配り、自分の免疫力を下げない努力をすること、もし感染したとしても、重症化しない身体をつくることの方が大切では?
感染者を追跡する方法を取っているから、
感染者がどこに住んでいるか、どんな行動を取っていたかというプライベートな情報まで公表され
感染者を犯罪者のように扱うことを、平気で(そして悪気なく)行う人を間近に見てきたし、
自粛しない人差別をする人たちの姿も見てきた。
誰もかかりたくてかかった訳じゃない。
自分がそういう風に言われたらどう思う?
今回のことは、子どもたちが一番の被害者だと思う。
教育の機会を奪われ、
友達と触れ合う時間を奪われ、
疑心暗鬼になる、
身体をつくる大事な時期の給食を「感染対策」という名のもとに粗末なものにしている。
これは本末転倒では??
誰も責任を取りたくない、上から言われたことをただやるという社会が露呈したと思う。
子どもがマスクを外すのは苦しいからしたくないという本能だ。
マスクをしろ、というのは身体的拘束に他ならない。
マスクをしないという選択をすることが、あまりにも難しい社会になってしまっている。
私たちがマスクをし続け、マスメディアに言われるがまま恐がっていれば、ずっとこの状況が続くでしょう。
もし、あなたがまだマスクをしているのなら、マスクを外そう。
こんなに暑いのに、息苦しくないですか?
生きるのに必要な呼吸を、もっと大事にしませんか?
「息苦しい」っていう自分の感覚、もっと大切にしませんか?
そもそも、「何の為にマスクをしているか?」、って考えてますか?
マスクをしろ、って言われるからしてるだけだったら、思考停止してませんか?
マスクをしててもウイルスを防げる訳ではありません。
かかるときにはかかります。
マスクをするのにも、リスクがあります。
熱中症のリスク、雑菌の繁殖、鼻呼吸から口呼吸になることによる免疫力の低下
自分の免疫力を落としてまでマスクをしたいですか?
唯一マスクの効果をあげるとしたらつばを止めるだけ
もしかしたら自分が感染してるかもしれないから…飛沫を防ぐためにマスクをしてるんだよ!って言われる人。
「本当に自分が感染してると思ってる?」
「周りの人に白い目で見られるから…」っていう理由でマスクしてる人、
それはウイルスじゃなくて「人」が怖いってことに気づいて。
人は人、自分は自分…って割り切ることも大事かなと思う。
だけど、こんなに一気に人々が洗脳され、言うことを聞いている姿を見ていると、この国は戦争に向かっていく気がする。
マスク=口封じ、物を言うな!って象徴ですよ。
人々を洗脳するために、マスクが配られたんです。
原子爆弾が落とされたのは、ほんの、たった75年前のことだ。
私が生まれる、45年前。
半世紀も経っていない時代のことだ。
もし、今国がやっていることが間違っているんだとしたら
どうして国はこんなことをしているの?
って思いますよね。
どうして?って、わからない方が自然なことだと思う。
だって、私には、原子爆弾を落とそうと思ったり
戦争をしたり
人を殺したりする人の気持ちはわからないから。
それはみんなも同じだと思う。
みんな平和な世界を願っているはず。
だけど、戦時中は、
みんなが同じ方向を向いてしまって
「人を殺すなんておかしいよ!」
「人を殺すために、命を落とすなんておかしいよ!」って言えなかったから。
だから、戦争が起きてしまった。
今の人たちは、
直接自分の手を下して人を殺すことはやめ
人々を病気にし、クスリ漬けにし、
じわじわと、そして金儲けしてから
殺すことを選んだのだ。
最終的には人間をロボットとして管理する社会を目指しているのだろう。
マスクは増す苦
クスリには、リスクがある。
言葉は意図してなくても、現していますよ。
世の中の人が
薬さえあれば…
ワクチンさえできれば…安心できるのにって
対症療法的思考。
むしろ、ワクチンを打たせるためにこの騒動が起きたといっても過言ではないと考えています。
予防接種、全世界の人に毎年打ってもらったら、いったいいくら儲けられるんでしょうか?
薬が何で出来ているか、
ワクチンに何が含まれているか、
どんな副作用があるのか、
調べてみたことがありますか?
水銀、アルミニウム、ホルムアルデヒド…(他にもまだある)
病気にかからないようにするためのものに、そんな物を入れる必要がありますか?
「自分の身体に異物を入れる」ということに感じる違和感を大事にしてほしい。
ワクチンを寄付するなんて善意でやっている人、本当にやめてほしい。
私はワクチンを絶対に打ちたくない。
子どもにも、大切な家族にも打たせたくない。
でもおそらく世の中の99%の人はワクチンの開発を望んでおり喜んで摂取するだろう。
そうなると自粛警察が現れたように
「ワクチンを打たない」という基本的人権さえ尊重されない社会になっていく。
最終的には…強制摂取
だから、私の周りの大切な人たちに私がおかしいと思うことを伝えたいのはもちろんあるけど
それ以上に自分が正しいと思う選択ができなくなる社会にさせられてしまうのが自分が嫌だから、自分の為に、伝える。
私も軽い気持ちで摂取した過去があるから。
医者や、薬や、予防接種を信じている気持ちはわからなくはない。
けど、私はもう気づいたから。
怖いと思っている人は、きっとまだ気づいてないだけ。
薬は症状を取り除く対処療法でしかないよ。
自分の身体に起きていることは、自分が一番わかるはず。原因に向き合わなければ、同じことを繰り返すだけ。そのときは楽になるかもしれないけど、また同じことが起きる。
自分の日々の生活、食事や身にまとっているもの、使っているものを見直すこと、自分の身体の声に耳を傾けてみること。
自分で治そう、という気持ちがあれば自立できる。
医者に頼ろう、薬で治そう、とする気持ちは依存につながる。
経済を今までのように元に戻せばいい、とも思わなくて。
今回のことで、海外に依存していることが浮き彫りになった。
内需を見直すこと。
自分の身の回りのものを、なるべく多くどこで作られたのかわかるもので生活していくこと。
深夜まで働く人のための公共交通機関ってほんとに必要?とか
街中に電気を赤々とつけて、
深夜まで飲み歩かなくてもよくない?とか
コンビニの24時間営業はなぜ許されるの?とか
たぶん、今回のことで、淘汰される業界も出てくるだろう。
そのとき、自分がしている仕事は、人から求められている仕事だろうか?
自分自身も含め、人が生きていくのに、必要な仕事だろうか?と問いかけていくことが大切ではないだろうか。
国がいう、「新しい生活様式」などではなく、(散々横文字使っといて、ここだけ日本語使うのも腹が立つ)
今までの消費社会、大量生産・大量廃棄、経済優先の社会の限界に気づき、一人ひとりがライフスタイルを見直す機会を与えてくれたのだと思っています。
私自身、このコロナの前から
出産を経験し、子育てしながらの仕事、仕事しながらの子育てをする中で
自分の人生の中で仕事が占める時間って圧倒的に多いのではないか
「このままでいいの?」っていう漠然とした焦りがあり。
それはおそらく、自分のやりたいことや将来の目標が今の仕事に直結していないと感じているからだ。
今までは、
「お金と時間ってどっちが大切?」という尺度で物事を考えていた。
でも今は…
どっちが大切とかよりも、「どう生きるか?」って考えるようになった。
そして真面目に考えたのは今回が初めてかもしれない。
「何のために生きているのか?」
私の中から出た答えは、
「生きるために、生きているのだ。」
答えになってないじゃん!って思うかもしれないけど、わかる人にはわかると思う。
だから、「生きる」=「生活する」という
日々の生活を大切にしたいと思った
私たちは「忙しい」ということを理由に
日々の生活をないがしろにしてないだろうか?
「忙しい」という字は心を亡くすと書くという。ほんとにうまくできていると思う。
忙しいという理由で、身体をつくるのに大切な食事をつくらず、加工食品で済ませたり。
なんか、本末転倒な気がして。
仕事に追われて、お金は稼げるかもしれないけど、その分余裕をなくして、大切なものを失っているような気がする。
お金は人間が作り出した概念でしかない。
人間が本当に生きていくのに必要なのは、食料と水と酸素だ。
だからその食を大事にしたい。
自分自身も、2月3月はずっと体調不良が続いてて、やっぱり自分の体調が良くないと「もしかしたら感染しているかもしれない」と不安になった。
けれど、自分の体調不良をきっかけに自分が日々口にしているものを見直すことにした。
本当に恥ずかしながら、頭ではわかっているつもりでも、実際に自分の身に起きてみないと、なかなか気づけないんだな…ということを自覚した。
今までも食事には気をつけているつもりで
手作りするものの調味料や食材にはこだわって選んでいた。
でも、身体に悪いとわかっていながら、
コンビニで売られているお菓子や食品を買って食べていた。
悪いものを食べているのに、「夜ごはんはきちんと作っているから大丈夫だろう」と自分に言い訳をしていた。
でも今回のことでやめた。正確にいうと、やめれた。
健康のために余計なものを食べないということはもちろんだけど、
身体に悪い商品を買うことは、その企業に投資することになるから。
添加物たっぷり、砂糖たっぷりお菓子を子どもに食べさせたくないのに、
なぜ自分は食べている?
自分が食べる=商品にお金を払う=企業に投資する=世の中に不健康な食品が出回ることに加担することになることに気づいたから。
自分の健康とか以上に、そういう企業にお金を払いたくない!って思った。
コンビニに行くのをやめた。
自動販売機を使うことをやめた。
今までの私は
なんとなくコンビニに寄り
気になる商品があれば買い
なんとなく間食をしていた
遺伝子組み換え作物が普及することは絶対に嫌なのに
遺伝子組み換え作物でつくられたぶどう糖果糖液糖が入っているジュースを飲み
ゴミが増えること、無駄な電力が使われることが嫌なのに
自動販売機でジュースを買う
などというちぐはぐな行動を取っていた。
もう、今までの自分が愚かで本当に恥ずかしい。
私は今まで自分に自信がなかった。
それは、自分の思いと行動が一致していなかったからだということがわかった。
余計なものを食べるのをやめたら、
そもそも、お腹があまり空かなくなった
間食が必要なくなった
一回の食事を大切にするようになった
お店に寄らないって決めたら、
商品を見ないから買いたくもならない
今まで自分がいかに無駄なお金を使ってきたか
いかにバカだったかわかった
思考がクリアになった
欲が少なくなった
朝起きるのが辛くなくなった
一回の食事を大切にするようになった
罪悪感が無いから、不安になることもない
顔色も良くなり、健康になった気がする
見たままをそのまま受け取るのではなく
目的を考えられるようになった(思考が深くなったような気がする)
自分に自信がついた
自分の中から生まれるパワーにわくわくしてきた!
悪い物を食べることが、自分の思考にまで影響を及ぼしていることを身をもって実感したのです。
これから、やりたいことが見えてきました。
いろんなことを、自分の手で足でやってみたい。
日々の生活の中で、「自分の力でやっている」と実感できることを増やしていきたい。
自然の恵みに感謝し、「生きてる」ことを楽しむ人生。
少しずつ、そのための準備をしていこうと思っています。
自分の思いや考えを伝えることは、こわいし、勇気がいる。
だけど、伝えることを諦めたら、何も変わらないから。
人に伝えて、それを信じてもらえるかどうか…
それは、その人が言葉の通り行動しているかどうかだ。
行動している人の言葉は信じられる。
だから、行動を変えなきゃいけない。
動かなきゃいけない。
物事を信じる、信じないは、
最終的には、その人のもつ感性の問題だと思っているけれど。
SNSを見ていると、暗い気持ちになってしまうし
今の嘘ばかりのテレビを見ていると本当に腹立たしい
だけど、必要なのは互いを批判し合い、対立することではない
それこそ思惑通りの分断社会に進む。
今恐怖によって人が同じ方向に動かされようとしているけど
きっと、それよりも
人の心が動くのは、
肯定的な言葉や
感動したときや
力をもらえること。
美味しいとか
楽しいとか
面白そうとか
そんな単純なこと。
自粛が終わったら何したい?って思ったとき、
私は「大切な人たちに会って語り合いたい」って思った
今回のことから私が学び、自分が変えていかなければならないと思ったこと
「自分の使うお金の使い途に責任を持つ」
商品が何で作られているか、
どこで、どのように生産されているのか、
もっと興味を持とう。
お金=権力の社会になることを食い止めよう。
私たちは「消費」というカードを持っている。
みんなができる行動だ。
もう待っていてもヒーローは現れない。
問題は自分のうちにあり、自分がどう行動するかだ。