読書ログ_「バカロレアの哲学」 坂本尚志著
いや~フランスの中等教育(高校)凄いですね。
哲学教育があるんですって。
バカロレア試験とは、フランスの高校生が卒業時に受ける試験で、合格すると高校卒業資格が取得でき、同時に大学入学の資格にもなるものだそうです。
その歴史は、ナポレオンの時代である1808年にまで遡り、当初は口述試験でしたが、1830年には筆記試験が導入され、何度もの改革を経ていますが、今も変わらずフランスの教育の大事な位置を占めているそうです。
同じコミュニティの方から、チャットGTPなどの生成AIに対して、ヨーロッパが規制に厳しいのは、バカロレアなどの論文形式の試験が多いからと聞き、興味を持ち読んでみたら、凄く面白かったです。
フランスでは、なぜ高校で哲学教育が大切だとされているのか?
それは、民主主義社会を支える、自分で考え、意見を表明し、行動できる「市民」を育てるため。
そして、哲学で「思考の型」を学ぶことが、肯定意見と否定意見、両方を論拠を示したうえで、対話形式で意思決定をするという訓練になると考えられているから。
実際のバカロレアの試験で過去に出題された問題を使って、どのように小論文を書くか、教えてくれていて、練習問題もありますが、まあ、できないですね笑。
私はこう思う的な主観的な記述は、御法度で加点されないのだそうで、肯定意見と否定意見の両方を検討する際、論拠を明示しなければいけなくて、それには過去の哲学者たちの主張を使いつつ(引用は高得点の秘訣)、自分の文章で説明されていなければいけないそうです。
哲学なんて自分には難しすぎて、縁が無い学問だと思っていましたが、この本を読んで、もやもやした「答えのない問題」をどう考えたらいいかのヒントになるのでは?と思い始めました。
1.高校生は、どんな「哲学」を学ぶのか?
教科書はなく、教え方も教員の裁量に任されていますが、「学ぶべき内容」は細かく決まっていて
「概念」・・・ex. 芸術、幸福、意識、義務、国家、正義、自由、理性
「哲学者」・・ex. プラトン、アリストテレス、荘子、スピノザ、フロイト
「手がかり」・ex. 抽象的/具体的、概念/イメージ/メタファー
これらの概念や哲学者について個別に学ぶのではなく、横断的に学んだり、逆に一つの概念に関係する哲学者たちの著作について系統的に学んだりして、その中で小論文の書き方や方法について添削などによって徐々に学んでいくそうです。
うわー、大変、生徒も先生も!
大学受験だけのためだったら、生成AI、そりゃぁ使いたくなっちゃいますよね。
でも、哲学教育で目指しているのは、「哲学」という知を使って、社会で生きるための「論理的思考力・表現力」という「武器」を育てることなので、生成AIの使用はまずいわけです。(添削は有効だと思いますが)
2.教養と問題発見
民主主義社会では、人々はさまざまな意見を表明します。
その中で、何が正しく何が間違っているのか、どうすれば合意や妥協ができるのか考えるためには、批判的な態度が絶対に必要だと筆者は言います。
批判的思考は、差異を認識して受け入れるための前提であり結果だというのです。
そしてそういう人になるために「教養」が必要で、教養は知識のことを指すだけでなく、知識を獲得するための方法でもあるのではないかと。
でも、日常生活で、何かをしたいけど、どうしたらよいかわからない、というような状況で、「思考の型」を応用して解決することができるでしょうか?
そのためには、まず自分で「問題を発見」して解決することが必要ですよね。
筆者は、バカロレア哲学試験の問題の形式が参考になるのではと言っています。
ぐるぐる同じ所を回ってしまう事の多い私の思考(思考とは呼べないか)も、分解して分析することが出来そうな気分になってきました。
でもかなりしんどい作業ですが。
3.まとめ・・・「答えのない問題」を恐れないために
日常生活で遭遇する問題は複雑で多様なので、バカロレア哲学試験の答え方は、役に立たない時もたくさんあるはずだけれど、まるで歯が立たないと途方に暮れるのではなく、問題を分析したり、背景を考えてみたり、問いを作ったりして、考えを深める道具になるにはなるはずだと筆者は言っています。
そして、例えその時点で解決出来なくても、ちきりんさんが言うように「思考の棚」に置いておけば、また考える事ができると。
そうすれば、「答えのない問題」に対する恐れも減るはずと。
山野弘樹さんの「独学の思考法」を読んだときも哲学の手法って、面白いな、やってみたいなと思いましたが、普通の人が日常生活で使えるような哲学があればいいのにと思いましたが、簡単ではないのでしょうね。
なんせ、フランスの方も哲学に苦手意識を持っている人が多いと本書に書いてありましたから笑)。