デイリー新潮の伊東選手報道を読んで元新聞記者が疑問に思ったこと
先月1日にデイリー新潮から日本代表MF伊東純也選手の性加害報道が出てから伊東選手の代表離脱などで日本のサッカー界は大荒れしている。ただ新潮が掲載した4記事を読んで私は大きな違和感を抱いた。そこでこの違和感を文字に残したいと考えた。
雑誌編集、新聞記者、テレビ報道記者、ウェブ媒体編集と様々な媒体を経験した私が新潮掲載記事の私的な雑感をnoteに掲載する。
本来あるはずのものがない違和感
新潮記事に感じた大きな違和感は記事内に性加害を加えた決定的な根拠が掲載されていないことだった。通常週刊誌のスクープ報道は写真、画像といった誰が見ても分かる証拠を最優先で載せなければ信ぴょう性が落ちるものだ。例えば現場写真、LINEのスクリーンショット、法的文書(契約書)などの写真など様々だが、それらの写真や画像が一切掲載されていない。また伊東選手と女性とのやり取りした音声データなども掲載されていなかった。彼らの論拠は取材に基づいた文書だけなので、記事としては根拠に乏しい大学生でも書けそうな雑多な内容だった。
週刊誌記者は決定的な視覚に訴える証拠を押さえようと全力を尽くす。それらが記事内にない時点で記事としての価値も信ぴょう性も落ちるわけで、当該記事は建物のなどの風景写真や伊東選手のプレー写真しか掲載されていなかった。
このことから新潮社は決定的な証拠を押さえられなかったまたは決定的な証拠を何らかの事情で出せないということになるが、記事を読み進めると前者の決定的な証拠を押さえられなかったのではないかと思うようになった。
見切り発車感が否めない
この記事は見切り発車したのではないかと疑問を抱いた。まず上記した証拠以外に週刊誌記事として大事な要点が抜け落ちている。①取材対象者の独自写真、②取材対象者の言質(取材拒否でも可)といった要点がある。これらがなぜ重要になるかというと、本人を取材した証拠(記事の価値)となるからだ。独自取材は本人とのやり取りした証拠が重要となる。撮影を含めた本人を取材していない記事を掲載することは基本的にありえない。
代表に帯同している伊東選手を取材する場合は、日本サッカー協会の申請を通さなければならないが、申請の許可が降りる可能性は極めて低い。そのため通常この手の記事を掲載するならアジアカップ開催前か大会後に記者が渡仏して、練習場から引き上げるタイミングを狙って本人に直撃する取材がセオリーとなる。だがこの重要なセオリーを無視して新潮は記事掲載を急いだ。
恐らく発覚したのがアジアカップ直前だとすると他媒体に掲載される前に十分な証拠を得る前に掲載を急いだのだろう。後追い取材で他媒体が証拠を掲載していもずる式で伊東選手を吊るし上げることを想定していたのだろうか。だが後追いは発生せず、ただ証拠もない、本人も取材していない稚拙な記事が自分たちの首を絞めているように思える。
誤報なら社会的責任は甚大
筆者はこの記事を読んで恐らく大誤報だろうと考えている。根拠となる証拠の掲載や本人に取材していない記事のため、大学生でも書けてしまうような内容だからだ。また書かれている文書も事実齟齬や本人が言わなそうな内容も含まれており、雑多で稚拙な取材に基づいて書かれたひどい記事としか思えなかった。
この内容でGoサインを出したデスクや編集長のレベルも知れたものだ。媒体、社名に泥を塗るゴミのような記事をよく世に出せたなと感心してしまった(笑)。
この記事が誤報であれば社会的責任は甚大なものとなるだろう。廃刊に追い込まれても文句は言えない。それだけこのようなテーマを扱うなら慎重かつ丁寧で綿密な取材が必要とされるが、この程度の雑な記事で報じるなら文書に関わるものとして己を恥じたほうがいいと強く思った。
事案の真相は不明だが、デイリー新潮の記事を読んで違和感しか抱けなかった。
<了>
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