徒然日記~エドガー・ドガのこと
録画していた、フランスのドラマ『アート・オブ・クライム』のキーが、ドガだったので、少し書いて見ることに。
代表作<エトワール>の舞台袖に、出番待ちのダンサーたちに混ざって、男性の姿が描き込まれていることが指摘されているのは、中野京子さんの『怖い絵』などを通して、今ではよく知られていよう。
こうして改めて見ると、セットの影に隠れているために、男の表情が見えない分、不気味だ。
だがその視線の先にいるのが、舞台の中央、光の下で踊っている踊り子であることは想像できる。
「エトワール」という花形の地位を手に入れても、それは儚い。
すべては、パトロンの意向次第でどうとも変化してしまいうる。
華やかな舞台、強い光がある場所ほど、より濃い闇が存在する。
そう考えると、この<エトワール>は、まさに華やかなバレエの舞台の、「光と闇」を同じ画面の中に描き出した一枚、と言えるだろうか。
この「場違い」にも見える男の存在は、他の作品でも散見できる。
こちらは、『舞台のバレエ稽古』。
踊っている二人に対し、画面手前にいる踊り子たちは、座り込んだり、伸びをしたりと思い思いに振舞っている。
そして画面右手奥には…二人の紳士。
ふんぞり返っている右の男。
左の男も椅子に逆向きに座っているのが、いかにもふてぶてしい。
その関心の先は、少女たちの踊りの美しさではなく、幾重にも重なったチュチュのスカートから見える足だろうか。(男って……)
この時代、女性の服が足を隠すドレスが普通だったことを思えば、バレエの舞台や稽古場面は、「足の美しさ」を堂々と鑑賞できる場だったと言えるだろうか。
実際に、オーケストラ席が下げられたのも、「踊り子の足がよく見えないから」、と昔大学の授業で聞いたことがある。
そして、そんな男たちの欲望丸出しの舞台に立つのは、貧しい労働者階級の少女たちばかりだった。
現代と100年以上前のドガの時代とでは、こんなにもバレエのあり方、「当たり前」が違う。
それを知ったうえで見ると、一見華やかなベールがぞろりと剥がれ落ちる。
うーん、確かに怖いな。
そして、作者―――ドガについて、ちゃんと調べたくなる。