映画『ウォルト・ディズニーの約束』覚え書き
久しぶりに映画のDVDを見た。
コンテンツ大王ディズニー作品を、一つずつでも潰していきたい―――と思っていたものの、なかなか一歩踏み出すまでにいたらなかった。
メインストーリーは『映画「メアリー・ポピンズ」制作秘話』。その底流にあるキーワードは、ズバリ「父」。
「『メアリー・ポピンズ』を映画化する」という約束を果たすべく原作者トラヴァースとの交渉を20年にわたって続けるディズニー。
父として、何年かかっても約束は果たす、と粘るが、トラヴァースの答えはいつも「ノー」。
今回、お金に困っていたこともあって、ようやく重い腰を上げるものの、脚本は彼女の眼を通すこと、やりとりは全部録音すること、ミュージカルやアニメ化はダメ、赤は使うな……ダメ出しの多い事、多い事!
ナニー(乳母)を雇う文化や、階級社会など、舞台となるイギリス特有の文化の細部にこだわるのは、まあ理解できないことはない。(日本人が、洋画やドラマの「なんちゃって日本文化」にイラつくのと同じ)
しかし、制作メンバーの一人が、「重要な問題ですか」と問えば、どこぞの学校の先生よろしく「外に出てなさい」。
アニメ化や映画化にあたって、解釈の違いや演出の変更などで、原作者と制作者側の間で齟齬が生じるのは珍しくない。あまりにも原作とかけ離れすぎて、原作者やファンを怒らせる、などという話もよく聞く。
だが、ここまで細かくてうるさいと、面倒くさい事この上ない。傍から見れば、さっさと諦めてしまう方が得策だろう。
しかし、ディズニーがそうしないのは、「父として約束したから」。
また、トラヴァースがうるさく口出しし、一度は契約そのものを破棄して、ロンドンに帰ってしまうのも、根底にあるのは、作中のバンクス氏同様に銀行で働いていた、大好きな父親への思いだ。
彼女を「ギンティ」と呼び、想像のすばらしさを教えてくれた父。
しかし、実生活のストレスから酒におぼれ、亡くなった父。
父親を思いながら、一度は窓際に追いやったミッキーの大きなぬいぐるみを抱きしめ、眠る。
一方、「夢の国」を作り上げたディズニーも、幼いころは厳しい父親に働かされていた過去を持っていた。雪の中でも新聞配達に走らされたし、革ベルトで殴られることもあった。それでも、愛していた。
そう、父親に関して、二人は、実は似たような過去を持っていた。だからこそ、ぶつかり合うし、理解もする。
『メリー・ポピンズ』は、「誰の心の中にもいるすべてのバンクス氏(父)を救う話」だった。
できあがった映画を見ながら、時折、辛辣な言葉をもらしつつも、家族で凧を揚げに行くラストシーンのバンクス氏(父)の姿を見て涙するトラヴァース。
現実にはかなわなかった「夢」も、想像の世界でなら…。
『メアリー・ポピンズ』をちゃんと読んでみたい。
『メリー・ポピンズ・リターンズ』も見たい。
久しぶりに、このように気持ちを外に向けてくれる映画と出会えたことに感謝したい。