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『ロートレックとミュシャ』展@大阪中ノ島美術館から

 先週、12日~14日にかけて、京都・大阪に行ってきた。
 京都にホテルを予約し、最終日に電車に飛び乗って大阪中ノ島美術館へ。
 目当ては、『ロートレックとミュシャ』展の内覧会。
 詳細は、また別の記事で書くが、とにかく「濃かった」。
 
 ロートレックは、<ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ>や、<ディヴァン・ジャポネ>など、いくつかの有名な作品は知っていたが、彼が手掛けたポスターの総数までは知らなかった。


 今回の展覧会には、1891年のデビューから1901年に亡くなるまでに、ロートレックが手掛けたポスター全31点がそろうことが、見どころの一つになっている。
 ポスターは全て、リトグラフ、つまりは版画。
 それゆえに、量産できると共に、条件によって、印象が変わってくる。
 そんなステートの違うバージョンが、複数揃えられていたのも印象深い。

 そして、面白かったのが、展覧会の冒頭。
 まず目に入ってくるのが、この大きな<ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ>。
 会場に入った者の正面に入ってくるように位置している。
 
 こんなに大きい作品だったのか、と驚くと共に、構図の大胆さ、斬新さが見る側にくっきりと印象付けられる。
 このポスターが出回った当時のパリの人々も、同じように感じたのではないだろうか。
 後景の群衆は真黒に塗りつぶされ、前景にいる「骨なしヴァランタン」もグレーで姿もデフォルメされ、シルエットに等しい。
 彼らに挟まれて、中景で、足を上げて踊るのが、ムーラン・ルージュのダンサー、「ラ・グーリュ」。
 ロートレックの他の作品にも彼女は登場する。

アンリ・トゥールーズ・ロートレック、<ムーラン・ルージュに入るラ・グーリュ>(今回の展覧会には出品されず)

こちらは正面向き。

デフォルメされてはいるが、その人ならではの特徴はとらえられているのが、わかる。

さて、一通り眺めたところで、左側の壁を見てみると……ロートレックが<ラ・グーリュ>のポスターを手掛ける2年前の1889年、ムーランルージュのオープンを知らせるポスターが展示されている。


ジュール・シュレ、<ムーラン・ルージュの舞踏会>

 ムーラン・ルージュのトレードマークである「赤い風車(フランス語にすると、ムーラン・ルージュ)」を真ん中に据え、馬に乗った女性たちがその周りを廻っている。
 容器で賑やか。時にきわどい催し物も行われた、というムーラン・ルージュの空気を伝えている。
 横目でこちらを見る黄色いドレスの女性は、まるで「あなたもいらっしゃいよ、楽しいわよ」と誘っているかのよう。
 見る人の目に訴えかけ、関心を掻き立てる、という目的にちゃんと適っている。

 しかし、ロートレックのポスターの後に見ると……悪く言えば、ややごちゃごちゃした印象は否めない。
 
 最も、シェレの方は大ベテラン。
 対するロートレックは27歳の若手。
 日本の浮世絵にヒントを得た構図は、その大胆さ、斬新さゆえに、驚いたクライアント側から拒否される事態も引き起こす。
 が、それでも彼のポスターは人気を博し、亡くなるまでの10年間に31点の作品を手掛けた。晩年は、健康にすぐれなかったせいで、制作数が減っていた、というが、それでも平均して1年に3枚だ。
 どれも面白いが、やはり選ぶとすれば、<ディヴァン・ジャポネ>や<アンバサドールのアリスティード・ブリュアン>だろうか。



最後に、今回の展覧会に出品されていた同時代のポスター作家の作品群の中から、個人的に良いな、と思ったものを一枚。


ジュール・シェレ<フォリー・ベルジェールのロイ・フラー>

 ロイ・フラーは19世紀後半、ロートレックたちと同時代に活躍したアメリカ人ダンサーで、自分でデザインした照明と、ゆったりしたコスチュームを駆使した「サーペンタインダンス」で名高い。
 ロートレックにも、彼女をデッサンした作品がある。

 彼女の半生は、映画『ザ・ダンサー』で描かれているのに、興味を持たれた方は是非に。
 

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