強い犬は吠えない~カラヴァッジョ<ゴリアテの首を持つダヴィデ>
強い犬は吠えない。
最初にどこで、この言葉を知ったのかは、定かではない。
だが、良い機会と思い調べてみると、山本五十六の言葉らしい。
本当に強い人間は、自分から吠えない。
ふむ。
確かに、実際の犬を見ても、きゃんきゃんと吠えるのは、ポメラニアンなど、小型犬の方が多い気がする。
ちなみに家に帰る途中、外に出ていれば、必ずと言って良いほど吠え掛かってくる近所の犬は体格は大きいが、あまり強そうには見えない。
大型犬で、うるさく吠えついてくるのをよく見ていると、尻尾が後ろ脚の間へと縮こまっていることが多い。(まあ、訓練された警察犬などなら別だろうが)
なら、この男の場合はどうだろう。
カラヴァッジョ、<ゴリアテの首を持つダヴィデ>、1609~10年、ボルゲーゼ美術館
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571~1610)。
美術史上でも、一、二を争う凶暴な男、札付きの悪だ。
2週間キャンヴァスに向かっていたかと思えば、1,2か月間は剣を持って街をうろつく。そして、騒ぎを起こす。
器物破損、武器不法所持、傷害、公務執行妨害…罪状のレパートリーには、よくもまあ、と呆れかえる。留置場送りになった回数は数えきれない。
この男への一番良い対処法は、関わらないことだろう。街で見かけたら、すぐに逃げた方が良い。
そういうレベルの男だ。
だが、一方で「これまでにない絵」を生み出す才があったのも事実だっそたし、彼自身、自分の才とポリシーとに、傲慢とも言えるほどの自信を持っていた。
そして、そんな彼を留置場から出すためなら、パトロンたちはいくらでも保釈金を払った。善良な市民たちにしてみれば、まったくもって迷惑な話である。
カラヴァッジョも、大人しく反省すれば良いものを、何度でも同じことを繰り返す。
そして、ついには殺人を犯し、ローマから逃げ出す。二度と戻ることはなかった。
殺人者として指名手配されてからは、一つ所に長くとどまることはできない日々が続いた。
ナポリ、マルタ島、シラクーサ、メッシーナ、そしてまたナポリ。
そして、恩赦を受けるべく、ローマへと向かう途上、彼は熱病にかかって死ぬ。その時に携えていた三枚のうちの一枚に、<ゴリアテの首を持つダヴィデ>があった。有力なパトロンであったシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿に贈るために描いたとされている。
もしも、ローマに無事に帰りつけていたら、彼はどのように生きただろうか。
正直、とてもではないが、前非を悔いてまともな生活を送った、とは想像できない。人というものは、簡単に変わることができるものではない。心身にしみついてしまった習慣は、矯正が難しい。
そもそもローマにいた頃、彼はなぜ喧嘩に明け暮れる生活を送っていたのだろう。
彼の描く、ドラマチックで迫真的な画面は、人々を圧倒し、魅了する一方で、しばしば「品性に欠ける」と非難され、受け取りを拒否されることもあった。
自信と誇りをもって制作したものを拒否されることに対する苛立ちもあっただろう。
成功を謳歌する他の画家(特にバリオーネなど)への焼けつくような嫉妬もあっただろう。
だが、それだけではないのではないか。
強い犬は滅多に吠えない。
カラヴァッジョは、「強さ」を誇示することで、必死に「弱さ」を隠そうとしていたのかもしれない。
だが、それがもたらす結果も、十分すぎるほど知っていたはずではないだろうか。
絵の中のゴリアテは、カラヴァッジョ自身の自画像と言われる。
巨人の戦士として、誰にも負けたことがなく、敵から恐れられていたゴリアテは、しかし、羊飼いの少年ダヴィデの投げた石によって、あっけなく仕留められる。
石を受けた、額の傷が生々しい。
これは、ナポリで実際にカラヴァッジョが受けた傷とも言われている。
自分の強さを過信し、「非力」と侮っていた少年によって、悲惨な最期を遂げたゴリアテ。画才によってそこそこ名声を得つつも、喧嘩に明け暮れ、最後は殺人犯として彷徨ったカラヴァッジョの境遇が重なる。
しかし、「勝者」であるはずのダヴィデも、その表情は暗い。旧約聖書では、ゴリアテを倒したことで、「英雄」として称えられるも、嫉妬した主君サウル王によって命を狙われ、逃亡生活を余儀なくされる。
これらの事を考えても、この絵のテーマを一言で表すなら、「虚無」と言うべきか。
どこまでも暗い闇の中、認められるのは、ただダヴィデと首になったゴリアテのみ。だが、そのうち、闇は二人を呑んでしまうかもしれない。
救いのない絵だ。
だからこそ、一縷の希望の光が、「恩赦」が欲しくてたまらない。
それが、彼の絵筆を動かした。
そんなところだろうか。