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エドゥアール・マネの話(メモ)~マネとスペイン

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エドゥアール・マネ、<スペインの歌手>、1860年、メトロポリタン美術館


 マネについての覚書は、 昨日の日記の表紙にも使ったこの絵<スペインの歌手>から始めてみようか。

 

 マネ28歳の作品であり、サロンに初めて入選した二枚のうちの一枚。

 無地の背景の中で、黒い上着をまとい、ギターを手にした奏者が主役。

 こちらへと飛び出してきそうにも見える右足や、汚れた白い靴がリアル。

 また、画面右下に置かれた壺と玉ねぎの存在が、画面全体にアクセントを加え、引き締めている。

 初期から、マネには闘牛士など、スペイン風のモチーフを扱った作品が多い。

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エドゥアール・マネ、<エスパダの衣装をつけたヴィクトリーヌ・ムーラン>、1862年、メトロポリタン美術館

 その理由は、当時政権のトップにいた皇帝ナポレオン3世(マネが20歳の時に帝位についた)の皇后ウージェニーがスペイン出身で、スペイン趣味が流行していたから。

 音楽やダンスなど、スペインのエキゾチックな文物は持てはやされた。

 この<スペインの歌手>も、当時の人々の嗜好にうまく合った、と言えよう。

 実際に、当初はサロンでは高い位置に展示されていたが、人気が出て、来場者にとってもっと見やすいようにと低い位置にかけなおされた、というエピソードまである。

(ちなみに3年後の1863年のサロンで物議を醸した<オランピア>は、「作品に傷がつけられないように」高い位置にかけられた)

 さらに1865年のスペインに旅行してからは、マネの絵にはスペインの画家、ベラスケスやゴヤの影響が濃厚にみられるようになる。

 特にベラスケスに対しては、「画家の中の画家」とまで呼び、賞賛している。

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ディエゴ・ベラスケス、<パブロ・デ・バリャトリード>、1632年、プラド美術館

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エドゥアール・マネ、<笛を吹く少年>、1866年、オルセー美術館

 このマネと言えば…の代表作<笛を吹く少年>の、無背景に人物を一人だけポンと置く手法は、ベラスケスの肖像画から学んだものと言われている。

 <スペインの歌手>やベラスケスの作品と比べても、ベタっとした塗り方が印象的だが(日本の浮世絵の影響)、その分色の鮮やかさが際立っている。


 マネは、イタリアやスペインの古典から、同時代の画家たち(印象派含む)、そして遥か東方の日本の浮世絵や琳派まで、境界に囚われることなく取り入れるものを取り入れて行った人物だ。

 自由で伸びやかな筆致。

 特に時代が進むにつれて、画面には明るい色彩が溢れるようになる。

 この取り入れられるものは取り入れる、という姿勢は羨ましい。

 今まわりで流行っているものでも、古典作品で良いな、と思ったものでも。

 これから追いかけて行くのが楽しみだ。

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