徒然日記~木も見る、森も見る
記事の原稿執筆中。
朝イチで、今日書くパートについて内容や構成を考えるべく、片っ端からネタの棚卸しをした。
こういう時は箇条書きで羅列していくよりも、マインドマップ形式の方が良い、と気づいたのは、仕事をしていく中で気づいたこと。
思いついたネタや手持ちの情報の中で、何を使うか。
パーツ同士をどうつなげるか。
言うなれば、「森」全体が見えるようになる。
どんなジャンルにせよ、記事を書くにあたって、情報の正確さやそれをどう料理するかは重要である。
記事を「森」とするなら、この「情報」が木にあたる。一つ一つの情報を吟味したり、典拠を辿ったりするのは、森を構成する木の一つについて細かく観察することとも言えようか。
もちろん欠かせない作業である。(病気にかかった木があれば、森全体が危なくなる)
だが、「木を見て森を見ず」は危ない。
どこかのパート(森の一部)に意識が向きすぎて、他とのバランスが崩れていないか。ちゃんとパート同士が繋がって、一つの森としてまとまっているか。
「森」を見ることをおろそかにすると失敗する。
ただの木の集合体(情報の集積)ではなく、それなりに木の一叢(情報の一塊)同士をつないでくれる道(糸)なくして、人はちゃんと最後までその森(記事)を見て(読んで)くれるだろうか。
具体例を挙げるなら…
たとえば、この記事は、「パック旅行」をイメージしている。
http://girlsartalk.com/feature/31176.html
ロシア絵画という、マイナーな、しかし「穴場」と言うべき旅行先について、その魅力や楽しみ方をガイドする形式にしよう、と。
「ロマンティックロシア」というタイトルも、イメージ源の一つにもなった。
「ロマンティック」、「ロマン」って何だろう、と。
一方こちらは、まだ駆け出しだったころの記事。
その頃もとにかく仕事(と経験値)が欲しくて、「ゴッホとゴーギャン」展についても、書けるネタがあれば書きたい、とそわそわしていた。
何とか時間をひねり出して上野に行ったものの、美術館はちょうど休館日。
代わりに、と足を向けたのが上野の森美術館で開催していた「デトロイト美術館」展。ここにもゴッホとゴーギャンの作品が来ていたのだが、私が注目したのは別の作品、エミール・ノルデによる<向日葵>だった。
この「アクシデント」がもとになって、ゴッホとゴーギャン、ノルデ、三人がそれぞれに描いた向日葵について書くことを思いつき、帰りの電車の中では、ルーズリーフにひたすらアイディアを書きなぐった。
思いついたはいいが、きちんと形に整えるまでが大変で、ソテーされた向日葵が三つ、皿にのせられて出される夢まで見た。
そして、書き終えた後は、「しばらくは、こいつらの絵見たくねえ」状態が続いた。(笑)
それでも、今思うと、この記事を書いた時には、ちゃんと「森の全容イメージ」を最初の方の段階で把握していたのではないだろうか。
木は大事。森をつくる際も、来た人(読者)が、中をめぐりやすいように。
そして、入口に、できるだけ短い単語で森全体の「名前」をつけられれば良い。