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村上春樹作品を「よく分からない」で終わらせないためのささやかな試み

村上春樹の作品は何が言いたい話なのか分からない?

 村上春樹の作品の魅力は、その圧倒的な文学表現にある。翻訳調とも言われる独特の文体、軽妙な会話、大胆な比喩表現――それらは唯一無二のスタイルを確立している。  
 しかし、一方で「結局何がこの話の帰着なのかよく分からなかった」「主人公は一体何をしているのか?」という感想を抱いたことはないだろうか
 確かに村上作品では、事件や問題が明確に解決することは少ない。主人公の日常に様々なユニークなキャラクターが現れるが、彼らの目的も曖昧で、主人公も「やれやれ」と流すだけ、という構図が多い。  
 筆者は村上作品を愛し、全ての長編・短編(合わせて30作品以上)を読破している。しかし、友人に薦めてみても「どういう小説かよく分からなかった」と言われてしまった経験がある。
 どんなに表現が優れていても、作品のテーマやモチーフが伝わらなければ面白さが届かないこともあるだろう。  
 そこで今回は、村上春樹が取り扱ってきたテーマやモチーフを整理し、作品を読み解くヒントを提示したい。  

村上春樹のテーマとは?

 村上春樹の作品に共通する重要なテーマは、「別れや悲しみとの向き合い方」である。  
その端的な表明が、デビュー作『風の歌を聴け』の冒頭にある以下の文章だ。  

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」

「文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みに過ぎない」

風の歌を聴け

 このように、小説を書く行為そのものを「自分を救済するための試み」として位置づけている。この姿勢は、彼の多くの作品に通底している。  
 例えば、村上作品では、僕の前から多くの登場人物が突然消え去る。『ノルウェイの森』のキズキや直子、『羊をめぐる冒険』の鼠、『スプートニクの恋人』のすみれなど、主人公にとって大切な人々が死別したり、理由も告げず姿を消す。残された主人公たちは彼らを探し、あるいはその喪失と向き合う旅に出る。鉄板の村上春樹ストーリーだ。  

デタッチメントからコミットメントへの転換


 前述のような「喪失との向き合い方」が初期からのテーマだが、村上作品においては、初期から後期にかけて、「デタッチメント(非関与)」から「コミットメント(関与)」へと主人公の姿勢が変化していくことがしばしば指摘されている。これが村上作品の本質を理解するためには外せないポイントだ。
 デタッチメントとは物事と関わり方をもたず無関心であることであり、コミットメントとは、物事を理解しようと努め、自ら主体的に働きかけていくことを指す。

デタッチメント(非関与)の時代  


 初期作品では、主人公たちは社会や他者に積極的に関わることなく、ただ日常を漂っている。『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』の処女三部作はその典型だ。  
 これらの作品において、主人公は飄々としているが、その内面には喪失感や孤独が潜んでいる。そうした悲しみや痛みは直接描写されず、表層的なやり取りの背後に潜んでいる。
 また、これらの作品において、主人公達は社会や他者への関与は最小限であり、現実世界よりも内面的な世界に重きが置かれる。彼らは深く傷ついており、敢えて自身と物事との間に距離を取ろうとしているのである
 こうした登場人物の深層心理が汲み取れないと、行動の行動意図がよく分からないまま終わってしまう可能性も高いはずだ。

コミットメント(関与)への転換期


 やがて、村上の作品は「デタッチメント(非関与)」から「コミットメント(関与)」へと移行していく。
 この変化は、1980年代後半から1990年代の『ノルウェイの森』『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』などから見られる。  

主な作品  
- 『ノルウェイの森』
主人公・ワタナベは、友人や恋人との関係性を深く考えるようになる。直子の死を通じて、他者とのつながりや生きる意味について模索していく。  

- 『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』
現実と幻想の二重構造の中で、主人公は問題解決に向けて積極的に行動する。一方で、静的な「世界の終り」の描写は、内面的世界への回帰(=デタッチメント的な選択)も示唆する。  

 これらの作品でも序盤は受け身な主人公だが、様々なトラブルに巻き込まれつつも、最終的には個人的な問題に向き合おうとする姿が書かれており、これまでの作品からは大きな変化が感じられる。
 この頃から、愛や喪失といった個人の問題だけではなく、「権力との対峙」も村上作品の大きな主題となる。日本にもまだまだ根強く存在している中央集権的な大きな権力や暴力に対して、個人はどう向き合っていくべきなのか。こうした権力や悪はメタファーによって示唆されるため、文字通りに作品を読んだだけでは汲み取りづらい。

コミットメント(関与)の時代  


 コミットメントの流れが大きく加速したのが1995年以降だ。オウム真理教事件や阪神淡路大震災をきっかけに、村上の作風はさらに変化する
 彼は現実世界の問題に真正面から取り組むようになり、作家として社会的なテーマを扱い始めた

主な作品  
- 『アンダーグラウンド』
オウム真理教事件の被害者と加害者双方の証言を丹念に記録し、人間の心理と社会の歪みを掘り下げる。  

- 『1Q84』
カルト宗教や巨大な権力と対峙する主人公たちを通して、個人が社会にどう向き合うべきかを問う。  

『海辺のカフカ』も含め、これらの作品において、主人公は問題に対して積極的に立ち向かっていく。そしてそのための手段として、現実と異世界との二重構造という舞台装置が用いられる。(なお、長くなりすぎるので、村上作品における「あちら側の世界」の重要性はここでは掘り下げない。)
 転換期の作品の主人公達は、「現実世界と架空の世界の間を行き来する」ことを通し、これまで徹底した俯瞰的態度で距離を取ってきた現実世界に対して、実際的に働きかけるようになる。
そしてコミットメント期の作品においては、自身の選択を通して、巨大な権力や世界の構造に抗っていくのである。さらに、その過程で初期からのテーマである「心の喪失と再生」が実現されていく。

 なお、最新長編である『街と不確かな壁』はまだまだデタッチメントの要素が濃い時代の作品のリメイクだ。
 壁に囲まれた精神世界で暮らす主人公の選択やその結果について、コミットメントの作品を経た今の村上春樹の着眼点から書き直しがなされている。村上春樹という作家がまだまだ進化していくことを強く感じ取れるような作品だ。

村上作品を読み解くヒント  


 村上春樹の作品に興味がある方や、一度手に取ってみたはいいが苦手だと感じてしまった方には、以下のポイントを提示したい。

1. 主人公の感情が直接描かれない部分に注目する。
 喪失感や悲しみ、孤独は表面的な行動の裏側に潜んでいる。直接的には表記されていない心理状態や彼らの混乱が、作品の読み取りの鍵となる。

2. 物語が「解決」ではなく「向き合うこと」を目指していることを理解する。
 問題の解決そのものではなく、それをどう受け止め、解釈して乗り越えていくのかが物語の鍵であることが多い。

3. 作品ごとのテーマの変化を追う。
 「初期→転換期→後期」といった変遷や、取り扱われているテーマの本質を知ることで、作品をより深く理解できる。


 物憂げで何かに失望している主人公が、ただただ受け身な生活を送っている。そんな日常の中にどこか個性的で浮世離れした人達が現れ、主人公はある日突然、不思議な世界に足を踏み入れる。これが大体のハルキ作品のテンプレたるイメージだろう。
 初期の飄々とした主人公たちが抱える喪失感、そして後期作品向けての「他者との関わり」への意識の変化――このような視点を持つことで、村上作品の奥深い魅力に気づけるのではないか。
 村上作品を完全に読み解くことは難しいが、表現の美しさに留まらず、主題やストーリー展開にも大きな魅力が存在する。今回、その理解への糸口を少しでも提示できたのであれば嬉しい。

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