note始めました。|自己紹介
みなさんはじめまして。しるしの照沼(てるぬま)です。
2022年5月にしるし株式会社の1人目の人事になりました。
しるしに入るまで、わたしはずっと営業畑ですくすく育ってきました。
これからnoteでしるしのあれこれを書いていきたいと思いますが、
まずはじめにわたしの自己紹介をしたいと思います。
■プロフィール
名前 照沼 梓(てるぬま あずさ)
出身 茨城県
趣味 散歩、銭湯、焼肉
最近 箱推しのSnowManオタクになりました
好きな場所 景色のいい高層階、川
日課 毎朝緑茶を飲むこと
大学 早稲田大学教育学部
経歴 2015年 新卒でハウスメーカーに入社 営業になる
2020年 本社の営業推進部に異動
2021年 人材業界に転職
2022年 しるし株式会社に入社 人事になる
■マイペースな幼少期
茨城県常陸大宮市出身。両親は小学校の先生。2人姉妹の次女。
私が3ヶ月の時に仕事復帰した母に代わり、幼少期は祖父母に育てられました。
これまた元教員の祖父母。教育方針は「とにかくやってみよう」
2歳ながら初めて包丁を持ったり、毎日畑で野菜育てたり、ミシンでお裁縫したり、幼い頃からとにかく何でもやらせてくれました。
相撲を観ながら晩酌する祖父の膝の上でおつまみ貰って食べるのが好きでした。
子供のころからマイペースな性格で、集団行動は少し苦手。
小学生の頃、夏休み終わるのが嫌すぎて休みを1週間延長する子でした。
そんな時両親は「そのうち飽きて学校行くでしょう」と、
自分から学校に行くまで待っていてくれました。
そんな形で、わたしのペースを尊重してくれる家族に見守られながら、
自然の中でゆっくりのびのび育った幼少期でした。
■辛かった時期
中学校は姉の後を追い私立の女子中に進学。
かなり自由な校風で、これまたのびのび育ちました。
テニスの王子様ブームの煽りを受けテニス部に入部。
ひとつの事に没頭する性格なので、毎日毎日練習する事がとにかく楽しかった!そして人生で一番日焼けしてた時期でした。
(しっかり日焼け止め塗りなさいと、あの頃の自分に言ってやりたい)
そして最初の人生の転機である高校受験。
第一志望に落ち、滑り止めでなんとなく受けた高校に行きました。
受験に落ちたことは悔しかったけど、なんとなく入った高校もそれはそれで楽しかったし、入学当初は学校内での学力順位も良い方でした。
放課後に友達と教室で喋ったり、カラオケ行ったり、体育教師とすれ違う度にスカート短いと怒られる毎日で、普通の女子高生でした。
ただ、一見普通な生活に徐々に虚しさを感じるようになっていきました。
一生懸命になれるものがなくて、勉強もしなくなって、いつしか何もやる気になれない自分を責めるようになりました。
高2の秋あたりから授業もサボりがちになり、あっという間に7科目で出席日数不足による留年の危機。
自分に問う「わたしは今何がしたいの?」の答えが分からなくて、それが本当に辛く感じた時期でした。
悩みに悩んだ末「東京に出て通信制の高校通って、自分が何したいのか探したい」と両親に伝えました。
さすがに反対されるだろうと思っていましたが、百聞は一見にしかず精神の両親は「一緒に東京の学校見に行こうか」と言ってくれました。
そして実際に東京の学校を見に行き色々と考えた結果、今通っている高校に残ることを決めました。
そこから無事高3に進級、いよいよ進路を決める時期に。
周りの友達が続々と進路を決めていく中、わたしは何も決まらないまま
あっという間に1月。そんなある日。
「早稲田に行きたい!!!!」と突然思い立つ事件。
(なんで思い立ったのか謎)
そして「わたし早稲田に行きたい!!!!」とそのまま両親に伝え、
すると「早稲田見に行ってみようか」と言ってくれました。
そして実際に早稲田を見に行き、自由な雰囲気に衝撃を受け、見事に一目惚れ。
ここからわたしの長い受験戦争が始まったのでした。
■思いつきから始まった人生の転機
進路を決めるのが遅すぎた故、卒業と共に浪人生活がスタートしました。
高校で一切勉強しなかったので浪人スタート時の偏差値は35(笑)
ただ、高校生の間に悩んだ時間は一切無駄ではありませんでした。
目指すものが見つかったわたしは、一生懸命になれる事がある幸せを噛み締め、机に向かうことは全く苦にはならず、日々出来ることが増える感覚がとにかく嬉しくてたまらなかった。
寝食忘れて勉強に没頭し、あっという間に入試がある2月になりました。
そしてまた壁にぶつかる。
浪人させてもらってこんなに頑張ってきたのに、もし落ちたらどうしようというプレッシャーで受験直前にして頭が真っ白になりました。
1人で東京のホテルに連泊しながら早稲田を受験しましたが全く手応えがなく、不安でと悔しさで泣きながら母に電話しました。
母は泣きじゃくるわたしが落ち着くまで何も言わずに待ってくれました。
母の前で嗚咽するまで泣いたのはこれが最初で最後。
そして全ての試験が終わりましたが、早稲田には合格出来ませんでした。
それでもわたしに滑り止めで受かった大学に行く選択肢は無く、
「もう1年、家を出て早稲田に近い場所で浪人させてほしい」と両親にお願いし、上京が決まりました。
上京先はたまたま見つけた学生寮、この寮との出会いが再度わたしの転機に。
予備校は高田馬場、寮は偶然にも早稲田のスポーツグランドがある東伏見。
寮生の9割は早稲田の学生、1割は早稲田学院の高校生。
同じタイミングで入寮した女の子が1人、その他寮生90人は男子という
変わった環境で2浪目がスタートしました。
早大生に囲まれながらの浪人生活は本当にありがたい環境で、
絶対に早稲田に行きたいという気持ちは一瞬もぶれませんでした。
寮長寮母さんには大変気をかけていただき、お正月も授業で帰省できない
わたしを家に招いて、鍋と年越しそばを食べさせてくれました。
成人式も予備校で過ごし、再び受験の2月。
「もう失敗できない」というプレッシャーは1浪目に感じたものよりはるかに大きく、当時使っていた日本史のノートについた涙の跡を見る度に今も胸が苦しくなります。
不安でどうにもならない夜は誰もいない大隈講堂まで行き、一礼して帰ったこともありました。
そして入試に突入。1浪目と同様、本当に手応えがなかった。
怖くて自己採点もできないまま全ての試験が終わり、
怖くて合格発表も聞けないまま、上京して初めて実家に帰りました。
東京に戻る時、心配した両親が寮まで送ってくれました。
そして、ポストを開けたら1冊の分厚い封筒が入っていました。
何よりも欲しかった早稲田の合格通知。
生まれて初めての成功体験でした。この時の気持ちは一生忘れません。
こうして突然の思いつきから始まった長い受験戦争は幕を閉じたのでした。
■成功体験の積み重ね
恋憧れた早稲田での生活は、とにかく全てが楽しかったです。
出会う人全てが個性豊かで、毎日が刺激に溢れていました。
そして再度突然の思いつき。
「わたしチアリーディングやりたい!!!!」
そのまま競技チアリーディングチームに入部したのでした。
入ったは良いものの、浪人生活で鈍った体は滑稽なくらい全く動かない(笑)
そして入部早々に足首を骨折しました。
しかし持つべきものは良き寮生。
寮生たちが歩けないわたしの部屋に交代制で遊びに来てくれて、
全く退屈せずに足首は治っていきました(大感謝)
所属するチームは60人の大所帯で、1軍から4軍に分けるトライアウトを経て年に4回開催される大会に出場します。
毎日毎日毎日毎日練習して出来ることは増えていったものの、3軍以上に上がれないまま2年間が過ぎていきました。
そんなある日、たまたま高田馬場のスタバでOGの先輩に会い、これが再び転機に。
今まであまり話したことない先輩でしたが、どうしたら1軍に上がれるか相談してみると「あずさ、ポジション変えてみたら?」と言われたことがピンと来ました。
そこから新入部員と共に1から別ポジションを練習し、結果的に出来る技術の増えて念願の1軍に。これが人生2回目の成功体験。
1軍での練習は本当に大変だったけど、周りの仲間に支えられてしっかり結果に残すことができたのも嬉しかった。
あの時スタバで先輩に相談して本当に良かったです(大感謝)
そしてチア漬け早大生ライフを大満喫の末、無事(ギリギリ)卒業しました。
そして新卒で大手ハウスメーカーに入社し、営業ウーマンになりました。
ここでも1つの事に没頭しがちな性格が合い、とにかく仕事が楽しくて仕方なかった日々でした。
先輩上司にも恵まれ、有難いことに結果もついてきました。
家はお客様にとって一生に一度の買い物。
頑張った分だけ「ありがとう」と言って頂けました。
その分数えきれないくらい大変なことも沢山ありました。
どんなに頑張っても自分の実力不足のせいでお叱りを頂くこともありました。
そんな思いをさせてしまったことが本当に悔しくて、夜中に誰もいない事務所で大泣きしたこともありました。
でも、たくさんの感情を感じながら記憶に残る仕事ができた経験は、わたしにとっては財産です。
そして苦しみながらも実際に成功体験をたくさん積み重ねられたことで、成功体験の作り方がはっきり理解できた時期でした。
そんな風にとにかく必死にたくさん働いた経験のおかげで「人生にとって働くことの意味」をより強く意識するようになっていきました。
そして新卒採用のリクルーターで採用に携わったことが、前職である人材業界に入るきっかけの1つになりました。
■働くことは生きること
新卒の会社での経験から働くことや人材採用に興味を持ったわたしは、
次のステップとして2021年に人材業界への転職を決めました。
そもそもわたしが何故こんなにも「働くこと」にピンと来たのかという原体験は2つあると考えます。
1つ目は、教師として生きる母を見て育ったことです。
わたしが生まれてから実家を出るまで、母はずっと「母+教師」でした。
わたしの習い事が終わるのを待つ間、母はカフェでずっと仕事をしていました。それが母にとっては息抜き。
毎週日曜日、同じく教師の父と母がダイニングテーブルでコーヒー片手に一緒に仕事をしているのが日常でした。
本屋さんに行くときは、母はいつも教育本を買ってました。
数十年に渡り母が没頭していたのは「教師」という仕事。
これがまさに母にとっての生きる証でした。
もう退職して10年弱経ちますが、今も教え子たちから年賀状が届きます。
「教師」として生きる事に没頭した母ですが、よく体を壊して寝込んだり、母の荒ぶる感情を感じる時もありました。
それだけストイックに仕事をしていた母。
わたしが「働くこと」に興味を持ったのは、「教師」として生き続けた母の姿を見ていたことは大きいです。
2つ目は、30歳目前にしてに体を壊した経験でした。
ある日突然謎の発熱、それが1ヶ月間続きました。
入社以降ずっと前向きに仕事に没頭していましたが、その時ばかりは
精神的に辛い事が続いていたタイミングでもありました。
業務にも支障が出て、思うように働けない事実が更に不甲斐なく、
その時に母が過去に体調を崩していた時の姿と気持ちが重なりました。
この経験が心身ともに健康であることが働く上で不可欠なことを実感する
機会になった記憶があります。
働く時間は人生の中で大きな比重を占めます。
身体と心どちらかが壊れてしまっても働くことはできません。
心身ともに健康な状態で働き続けることが、より良い人生を送る鍵になる。
だからこそ、働くことは生きることだと思っています。
■しるしとの出会い
2022年2月、更なるスッテプアップを目指して転職を決意。
そんな時に出会ったのがしるしでした。
人材営業として働いてきた中、エージェントの方からしるしの人事募集の
求人票をいただき、人事へのキャリアチェンジに興味を持ちました。
ただ、当時社員7名のスタートアップは正直未知の世界。
ドキドキしながら初めて会社を訪れた時、社員の方々が「こんにちは!」と挨拶してくれたのが印象的でした。
そして代表の長井や共同創業の下田と実際に会って、2人がお互いを補い合っているような空気感を感じ「わたしここにいる人たちの為に頑張りたいかもしれない」と思い始めました。
最終的にしるし以外2社内定をいただきましたが、しるしがどうしても
ずっと気になっていました。
そしてしるしに入社することを決めたのでした。
最終的な入社の意思決定要因は4つ。
①長井下田がしるしに纏わる全ての事柄を一緒に意思決定している
②社員10人未満という拡大フェーズ前なので、手触り感のある仕事が出来る
③クライアントの利益が自社の利益に繋がるビジネスモデル
④面接で会社を訪れた時の雰囲気に違和感がなかった
自分の感覚を信じて意思決定をし続けてきたわたしらしい選択だと思います。
現在社員9名。入社前と入社後のギャップもなく、社員の皆さんはとても柔らかい雰囲気を持っています。そしてお互いへの思いやりを感じます。
ただいま絶賛採用強化中ですので、ご興味のある方は是非ご連絡ください。
しるしはまだ見ぬご縁ある新メンバーを待ち望んでおります。
採用ページはこちら↓
■「1人目人事」という選択
人事未経験のわたしが「1人目人事」になる選択は、正直不安もあり、
「わたしに本当に出来るのか?」と本当に思いました。
しかし10名未満の企業での人事採用は、恐らく会社のフェーズ的には早め。
「この段階から人事として会社の拡大に携われる機会を逃すわけにいかない」と直感的に思う気持ちが勝ちました。
今まで「縁とタイミング」には何度も助けられました。
そして人生のこのタイミングで、縁あって一緒に働くことになったしるしの人たち。
これから拡大しようとしているフェーズだからこそ、今のしるしと丁寧にコミュニケーションを取って密度濃く向き合っていきたいです。
そして、これからしるしを一緒に成長させていく仲間をどんどん増やしていきたい。
「しるしで働く人たち全員が心身ともに健康で、自分の人生が豊かになるような仕事をしてほしい」
「人とのつながりを感じながら成功体験を積み重ねてほしい」
わたし自身、もがき苦しみながら周りに助けられ成功体験を得られた事実に今も支えられているからこそ、今度はしるしの人たちに還元していきたいです。
それがわたしのにとってやり甲斐だと思っています。
人と人はいつもお互い様で、完璧な人などいません。
本気になればなるほど自分の未熟さに苦しくなる時もあります。
だからこそ得意なところを発揮して、苦手なところを補い合って、全員がやさしい気持ちで一緒に手を取り合って進んでいけるようなサポートをしていきたいと思います。
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