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Re:『新復興論』-東京の22歳が考えたこと-

『たたみかた』創刊号「福島特集」で小松理虔さんに惹かれた。「バックヤード」へのまなざし、「福島を忘れないで、なんて優等生みたいな台詞を言うつもりはない。ただ、日常の足元を忘れるなとは言いたいかな。」という飾らなさ、たぶん私はこの人が好きだな、と思った。10月が始まった頃、新宿の紀伊國屋で小松さんの新刊『新復興論』を買ったものの、忙しくなかなか読み出せずにいた。先週ようやく落ち着いたので、満を持して表紙を開いた。

読み終えたときに真っ先に思ったのは、車の免許を取ろう、ということだった。本の中に出てくる3つのツアー、いわき裏観光ツアー・ロッコクツアー・常磐ツアーの説明はひたすらに魅力的に思えたし、何となく、自分の手で運転してこの旅路を進んでみたいなと感じた。この本の素晴らしさはきっと、そういうところなのだと思う。そういうところとはつまり、「いてもたってもいられなくさせる」力だ。ただ福島のことを知る、福島のいまを理解する、というだけに留まらず、常に考える余地を与えて次の誰かのアクションを起こさせる。少なくとも私は、この本からそんな力を受け取った。

私は、都内の女子大で哲学を学んでいる。考えること、考えたことをことばにするのが好きだ。今回、『新復興論』を読みながら、心臓がどきどきするほどいろいろなひとや場所や出来事に思いを馳せた。思いを馳せたし、思いの先にある対象に対してどう関われるか、あれこれと考えを巡らせた。そして、どうかこれを、誰かひとりでもいい、誰かに知ってほしいと思った。ひとりで考えたままにするのはあまりにも寂しかった。いま、東京で暮らすひとりの22歳として、『新復興論』への小さなリプライを送りたいと思う。これは決して、この本を執筆された小松さんだけに向けられたことばではなく、『新復興論』を読まれた方、さらには『新復興論』で語られた問題たちそのものへのことばでもある。というか、願わくば、そうなってほしい。

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大学の授業で福島に関わり始めてから、10ヶ月が経とうとしている。福島に関わる、ということは私にとっては勇気の要る一歩だった。『たたみかた』創刊号の福島特集を読んだときの感想(https://note.mu/azutopianz/n/n1f5723a3fbce)で書いた通り、痛みや悲しみのある地に「外側から関わること」の怖さと向き合うのに、ゆうに7年もの年月がかかってしまった。

ひとの痛みは、絶対に解らない。そのひと自身に成り代わらない限り、同じ痛みを体験することはできない。だから、その痛みの中にあるとき、本当に必要としている手当ては何なのか、それはもう推し量ることしかできない。でも、その推量だって所詮は推量でしかなくて、「ありがた迷惑」なことは必ず起きてしまう。西日本豪雨が発生した今年7月にも、「被災地いらなかったものリスト」というハッシュタグがツイッター上で多く使われた。比較的有効に用いられていた印象があるが、私は、そのときの空気感にどこか危うさも感じた。一歩間違えれば、外側から関わろうとする動きを拒絶することになりかねない流れだったからだ。「正しくない手当て」をしてしまうことを恐れて関わることをやめてしまう、たとえば少し前までの私がそうなのだけれど、そういうひとが増えてしまうことを危惧した。

傷を負ったある地域が、痛みの解らないよそ者を遠ざけて閉鎖的になる。外側から関わることのハードルは高くなり、内と外がどんどん引き裂かれていく。こういう現象を、とてももどかしく思っていた。だから、『新復興論』の中に出てくる「当事者」を巡る議論は何となく、救われた気分になった。「真の当事者などいない」、その答えはきっと、内側と外側どちらにも向けられている。「当事者性」を合鍵にした扉を立ててしまうこと、合鍵を持っていないことを理由に扉をノックすることさえやめてしまうこと、それはきっと悲しい断絶しか生まない。もちろん、扉を閉めていたいときは閉めていてよいしそうするべきなのだ。だけどいつだって開けられるし、開くときがあるのだと、それを忘れてはいけないということを改めて強く思った。

そして最近、この扉に対するもどかしさを巡って、印象的な体験をしたことを思い浮かべた。自分の通う大学の学園祭でのことだ。授業で行ったいわきへのフィールドワークや個人の関心に基づいた視察のレポートを土台に、「福島に関わること」そのものを考えてもらうことを狙いにしたブースを構えた。私は個人の視察で双葉郡の富岡町に行っていたのだが、ある男性の来場者からこんなことを言われた。
「あなたは、これから少子化を解決するために妊娠・出産をする女性なんだから、そういう場所に行くのはやめたほうがいい」
主張の強い発言に、返す言葉がなかった。ほとんど信仰と言ってもいいほどの隙間のなさに、議論が生まれる余地もなかった。何かを語りかけても、きっとこの人は耳と頭を貸さないだろうな、と思った。一刻も早く帰ってくれ、関わらないで欲しい、怒りと悔しさを感じながらそう思ったのだった。

関わらないで欲しい。私はこのとき、そんな思いと共に扉を立て、鍵を閉めた。少なくともこのときだけは紛れもなく「当事者」だった。感情の渦を抜けてから冷静に振り返り、ああ、こういうことなのかも、と思った。自分自身が扉の外に立つとき、扉の向こうで起きていることはこういうことなのかもしれない。解らないと思っていた痛みが、初めて自分のからだに訪れたのだった。そこでようやく、何かのスタートラインに立てたと思った。

同じ痛みは存在しない。でも、似ている痛みは確実にある。誰かの痛みを代わることはできないけれど、自分の知っている痛みの中から照らし合わせることはできる。それを確かめる過程でことばが生まれる。それを届ける悪意のない声が、どうか扉越しに届いてほしいと思った。願った。福島のことだけではなくて全ての、痛みのそばにある扉に対して。ひととひとが一緒に生きることは、難しいけれど楽しいことなはずなのだ。救いになることだと思うのだ。少なくとも今は、そう信じていたい。

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似ている痛みを持つのなら、それを癒すすべを一緒に見つけていこう。そんな発想を言い表したのが「課題先進地区」という言葉だろう。外部とつながる大きな切り口である。そして、そのための手段としてこの本で一貫して採られているのが「観光」、「ダークツーリズム」だ。「そこにある悲しみや絶望の痕跡を辿ること」によって、「よりよい未来を設計するための希望の種を手に入れる」。その地域だけの話ではなくて、みんなのはなしとして問題を捉えていく。一緒に考えていく。そのために来てもらう。学生のスタディツアーなどが多く組まれる理由もこれなのだと思う。

この本の中で紹介される3つのツアーは、ぜひ小松さんのガイド付きで行ってみたいと思った。というのも、これまで3回浜通りを訪れて、ひとりの訪問者として何を感じればよいのか、分からなくなることがあったからだ。「双葉郡は当然見るべきものが多いのだが、あまりにも現実の磁場が強く、想像というものを許してくれない」、まさにその通りの気持ちになることが多かった。

大学の授業では、履修メンバーみんなでバスに乗って帰還困難区域の中に入った。その日の夜、感じたことをシェアしたときに、「7年前のままだった」、「時が止まっているみたいだった」という感想が出た。私も、そう口にした。2ヶ月後、ひとりで富岡町を訪れてお話を聞いて初めて、「7年前のまま」なんてありえないこと、時は着実に流れているし、時が止まらないようにその場所を動かし続けてきたひとたちがいることを知った。実際のところ、7年前のその場所を私たちは知らない。だからそもそも、「7年前のまま」なんて私たちが言うこと自体がおかしいのだ。それでもそういう言葉が出てきてしまうのは、たとえばテレビで見た震災直後の光景と目の前にある景色が、重なって見えるからだ。ちょうどよく、私たちの頭の中にある「震災」とつながってしまうからだ。そうして、これがあの、という妙な納得感を得るだけで精一杯になってしまう。そういう意味で、双葉郡、特に帰還困難区域の中は私たちの思考を停止させてしまうところがある。目に映ったものを受け容れることに意識が集中してしまって、「いま、ここ」以外にある背景や出来事に思いが至らなくなってしまう。

だからこそ、ひとりの東京からの学生としては、通訳士のような役割を担う人が一緒にいてくれたらなあ、と思った。『新復興論』の中で引かれている古川日出男さんの「真実を翻訳する」という表現にとても共感を覚えた。そしてできれば、翻訳ではなく通訳、話し言葉的なリアルタイムさでそれが進められればよいと思った。ただ、全てを説明してほしいということではない。それでは、現地を踏む意味がない。あくまで、見る者に「考えるための余白」を与えてほしいということを思った。

私が『新復興論』を読んで核心的に共感したのはこれだった。思想の不在、想像力の拒絶、言い方は様々だけれど、本の中で繰り返しなぞられる「考えること」の重要性・必要性が、私にとって一番に印象的だった。

私は哲学科で、卒業論文で福島の話を扱っている。ただ、書いているとどうしても、福島の話を哲学という視点から捉えることの虚しさを覚えてしまうのだった。どんなに考えても、言葉を並べても、人々を実際に救えるのはお金や物資や技術であって、「考えること」や「考えたこと」はどれだけの役に立つんだろう、と思ってしまう。でも一方で、それらが絶対に必要だということを証明したいと強く思っている。一概に価値をはかれないもの、目に見えないもの、手では触れられないもの。ことばにはできないこと、どちらかひとつではないこと、まっすぐではないこと、美しくないこと。そういう子たちを置き去りにしては、〈ほんとうのこと〉は語り出せないし、そういう子たちを引き受けられるのが、哲学だと思うのだ。私がいまの福島という場所に惹き寄せられたのは、哲学が生かされる余地が大いにあるからだったのかもしれない、そんなふうに思った。考えること、想像すること、分析すること、言語化すること、哲学に含まれる作業のひとつひとつが、福島では尊いものになるのだ。

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東京にいる私たちに何ができるんだろう。
あの日、あの場所にいなかった私たちに何が語れるんだろう。
福島に「よそ者」として関わることの無力さや迷いは尽きなくて、
でもだからといって立ち止まって、黙り込んでしまうのは
あまりにも悲しいことだと思うのです。
「被災地」「被災者」という言葉の向こう側、
何よりもまずそこにいるひとたちの、
今まさに進んでいる営みに触れながら。
ちょっと気になってた、からの始まりです。

学園祭の展示ブースに掲げていたボディコピーである。どうしても福島の外側に向けたメッセージになってしまうことに迷いを感じたりもしたが、とりあえず今は、自分たちの視点からの景色や気持ちを正直に語ることが私たちにできることだと思った。でも実際、正直に語ることができたかどうかはよく分からない。なにしろ怖いのだ。傷つけないか、怒られないか、正しいのか、受け容れられるのか。未だにうまく付き合えないその恐怖に、『本の最後に綴られている「批評」についての文章がじんわりと染みた。そろそろ〈ほんとうのこと〉を考え始めてもいいのではないか、今までも今もずっとそう思い続けている私は、大いに勇気づけられた。

いわき・相双哲学ツアーとか面白そうだよな、とか思う。この本を読んで、自分はこれから福島と、そして福島に関わろうとする全ての人たちと、どのようにつながっていけるのかということを考えた。そのためにもとにかく今は、もっと福島を体感したい。体感しながら、考えたい。外側の人間だからこそ内側を知って、どちらの視点からの見え方も分かるような、そんなポジションに立てたらなと思った。もちろん、一番の本当の部分というのはきっと解ることはできない。でも、解りたいという気持ちは捨てずにいたい。これまで考えていたこと、願っていたこと、これからやりたいと思っていたこと、それらを始動させようという決心をくれたのがこの、『新復興論』だ。

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