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日本民俗学と【セリアンスロピー/Therianthropy】

 これは私が大学時代に師事していた教授の唱える学説の影響が大きい事を先に述べておきます。

 師は「今流行っている〔ゆるキャラ〕とは、「妖怪の現代版」であり、民俗学の分野である」との持論を展開していらっしゃいました。学生時代の私にとっては少々突飛な発想に思えたものでしたが、この歳になってようやく師の言っていた事が腑に落ちました。
 かつて習った事が何年も何十年も経った後でようやく身体に染み込んで来る事は割とよくある事なのでしょう。機会があれば師に謝意を伝えたいものです。


民俗学と史学の違い

 本格的に民俗学的な内容に入っていく前に、まず民俗学と史学の違いについて最も基本的な事だけ説明しておこうと思います。

 史学は「為政者の歴史」です。
 民俗学は「一般人の歴史」です。

 現代風に例えて言うならば、「政府からの公式発表」が史学の内容です。
「SNSなどで巷に流行っている情報、一般人が日常的に触れる情報」が民俗学の内容です。
 どちらも100%正しいか定かではありません。
「政府からの公式発表」がその時々の政治家の意向によって捻じ曲げられる事もありますし、「SNSに拡散された情報」がデマや誤報である場合もあります。なので、史学と民俗学は表裏一体と言えます。どちらも掘り下げて研究する、要するに「情報の裏を取る」事によって、どちらかの嘘や誤報が暴かれる事もありますし、逆に確証を得る事もあります。

 ただ、残念ながら我々【セリアン/Therian】や【アザーキン/Otherkin】に関係するような情報が「政府からの公式発表」に載る事は滅多にありません。なので、必然的に我々は「SNSに拡散された情報」を頼りにする事になりがちで、我々に限っていえばインフォメーションソースが史学よりも民俗学に極端に偏りがちになってしまいます。【セリアンスロピー/Therianthropy】や【アザーキニティ/Otherkinity】の持つ性質として避けては通れない問題なのかもしれません。


民俗学に於ける妖怪と幽霊の定義

 民俗学では幽霊と妖怪は明確に違うものと定義されています。

「幽霊」は「元々生身の肉体を持っていた生き物が死後に残す霊魂」の事を指します。

「妖怪」は「特定の自然現象をキャラクター化したもの」の事を指します。

 したがって、守護霊であれ怨霊であれ、かつて生きていた人や動物が死後に観測されたものは「幽霊」として扱われますが、「風に吹かれて飛んできた傘に当たった」という経験や現象を「唐笠お化け」というキャラクターに転化したものは「妖怪」と定義されます。
 そのため、化け猫や妖狐は民俗学では「幽霊」と「妖怪」の中間的存在と言えるでしょう。

 非常に極端な言い方をするなら、「幽霊」も「妖怪」も何らかの元ネタになる人物、動物、ないしエピソードが存在し、そこから派生した「二次創作」のようなものと例えられるかもしれません。
 元ネタが人物や動物であれば「幽霊」になり、現象やエピソード記憶であれば「妖怪」になります。
 だからこそ「動物が引き起こした現象」については「幽霊」か「妖怪」か甲乙つけ難くなるのでしょう。

「現象そのものをキャラクター化する」という試みが行われたのは、なにも日本だけではありません。ギリシャでは雷鳴はケルベロスの咆哮といわれ、雷光はゼウスの槍だと信じられていたそうです。西洋では何かよくない事が起きると「悪魔にとりつかれた」と考えられていました。これは日本の「鬼」の概念と非常によく似ています。日本でも何か良くない事が起きると「鬼に憑かれた」と考えられていました。

 人間には元来「エピソード記憶を擬人化・キャラクター化する」能力や、理屈の分からない現象の背後に何者かの作為や行動を原因として創出する創作性が備わっているものと考えられます。
 太古の昔から数々の神話や物語が産み出されてきた事から、これは人間が本能的に持つ種族特性なのではないかと考えられます。
 とはいえ、日本には八百万の神がおわすと謳われていますし、これほどまで多くの神や妖の類が産み出された国は日本以外には滅多にないのではないでしょうか。少なくとも日本人が培ってきた民俗文化は他国には見られない特色を持っていると言えるでしょう。


【セリアン/Therian】は幽霊か妖怪か

 初めに断っておきます。この民俗学的視点で【セリアンスロピー/Therianthropy】そのものに切り口を入れるのはある意味でとても危険です。誤解を招く可能性があるからです。
 ですので、これはあくまでも私個人の独自研究に基づいているものであり、一般的に海外で知られている【セリアンスロピー/Therianthropy】の考え方とは異なる事をご承知おきください。
 これはあくまでも「【セリアンスロピー/Therianthropy】を日本にローカライズするために考案された例え話の一つ」だと思ってください。それだけ日本の民俗学的風習が世界から見ると特異でガラパゴス化している裏返しでもあります。


【スピリチュアル セリアンスロピー/Spiritual Therianthropy】を信じる方の中には、前世の記憶を持つと主張する方や、生まれ変わりで現在の肉体に転生したと考える方もいらっしゃいます。
「かつて生身の肉体を持っていて、一度死を経験したもの」が霊魂となって残ったものが「幽霊」です。
 その霊魂が新たな肉体に宿ったと考えるなら、極端な例えをするなら前世の記憶を持つ【セリアン/Therian】は「幽霊の亜種」である、と民俗学的には考える事も出来るかもしれません。

【アザーキン/Otherkin】の【キンタイプ/Kintype】であるドラゴンやグリフォンやユニコーンやペガサスは元々が「妖怪」です。実際には存在しないものの、人々からよく知られる現象が擬人化されたもの、ヒトの観測、認識、そして想像力から発生したキャラクターです。
 唐笠お化けは「風に吹かれて飛んできた傘」を代表するキャラクターですし、ケルベロスは「雷鳴」を代表するキャラクターと言えます。

 我が師が「ご当地キャラはその地方を代表するキャラクターである、つまり土地から生まれた妖怪である。ご当地キャラを産み出すとは土地を妖怪化する事である」とおっしゃっていたのはこういう理由なのでしょう。

 ただ、こう言うと「本来実在しないものが命や魂を持ち得るものなのか」という議論にも発展しかねません。ですから私が今踏み込んでいる領域は【アザーキン/Otherkin】の方にとってはタブーに近い話題でしょう。
 不愉快にさせてしまったのなら申し訳ありません。
 
 私自身は【アザーキニティ/Otherkinity】を否定しませんし、むしろ肯定し支持しています。
「本来実在しないものが命や魂を持ち得るものなのか」という問いに対しては、「既にフィクションという形ででも存在しているのなら、それは既に形を得て存在が確定している」と私は定義しています。

 魂を科学的な方法で観測する技術が開発されていない以上、魂の有無や実在性に関して議論する事は現代では不可能ですし意味を為さないでしょう。
 だからこそ私は「キャラクターが存在している」という事実そのものが、少なくとも何らかの「想い」の実在性を証明すると考えています。
 そもそも並ならぬ動機と継続力がなければゼロから何かを産み出し完成にまでこぎつける事は出来ません。「作品や概念が完成し、形を成すまでに至った」という事実そのものが、製作者の情念を証明する何よりの証拠と言えるでしょう。そしてそれが多くの人々に支持され、何百年何千年と継承されてきて現代でもまだ残っているという歴史は、少なくともたかが数年で忘れ去られてしまう程度の一過性の流行ではなかったという何よりの証です。

 多くの生き物が自然淘汰の中で絶滅し、それでも多くの種がまだ現存しているのと同じように、数え切れないほど生成されたコンテンツの中で時代を超えてずっと生き続けている存在は、少なくとも「フィクションという環境の中で生存競争を勝ち残って生き延びた強い種」である事の証明と言えます。私はそこに強力な「実在性」を感じます。

 長い間大切にされてきた道具には霊魂が宿って付喪神になるとされています。逆に大切にされなかった道具は打ち捨てられ燃やされ埋められ忘れ去られます。
 道具だけでなく、その道具に対して人が感じる愛着や執着も、道具が棄てられた際に「死ぬ」と私は考えています。
 だからこそ、フィクションの存在であれ、妖怪であれ、人の愛着や情念の有無という間接的な現象を介してであれば、少なくとも「そこにまだ存在している」「まだ滅んでいない」「忘れ去られていない」という事実そのものが「実在性」の一番の論拠であると私は考えています。


 では【アザーハーテッド/Otherhearted】の場合はどうか。
 私個人は「幽霊」ではなく「妖怪」であり、しかも「憑依」だと考えています。


「憑依」の在り方の違い

「憑依」とは「魂が他の動物や器物に乗り移る現象」の事です。霊媒師などが行う「口寄せ」は、他者の魂を自らに憑依させる事で、その魂が伝えたい事を代弁する術とされています。

【臨床的人狼症/Clinical Lycanthropy】が15年ほど前に日本に輸入された際には、人狼症を日本式にローカライズするために「狐憑きや犬憑きのようなもの」と例えられていた事がありました。現在の定義がどのようになっているか定かではありませんが、【セリアンスロピー/Therianthropy】に関する研究を踏まえたアップデートがされている事を願うばかりです。
 問題を起こす「テリアン」の方が増えるなら、【臨床的人狼症/Clinical Lycanthropy】に関する近代的な知識もきっと必要になってくるはずです。

 それはさておき。

【セリアン/Therian】や【アザーキン/Otherkin】にとっての「憑依」は、【アストラル プロジェクション/Astral Projection】と非常に関連深いものだと思います。
 自分の魂を自分の肉体から一時的に解き放ち、VRChat や SecondLife、MMORPGなどの自分のアバターに憑依させる事で、自分自身があたかもバーチャル空間上に「自分本来の肉体」として存在するという感覚を覚えると多くの【セリアン/Therian】や【アザーキン/Otherkin】が証言しています。

【アザーハーテッド/Otherhearted】の場合はむしろその逆で、「動物の魂を借りてきて自分に憑依させる事で、動物のパワーを一時的に獲得する」のが【セリアン ギア/Therian Gear】による「変身」だと解釈できます。
 その意味では「古典的な」【臨床的人狼症/Clinical Lycanthropy】の解釈は非常に的を射たものだったと言えるでしょう。

 これは私の憶測なのですが、多くの【アザーハーテッド/Otherhearted】の方が前世の記憶を持っていないのではないかと考えています。
 少なくとも【セリアン ギア/Therian Gear】を取り換えて別の動物の仮面を被れば別の【セリオタイプ/Theriotype】に変身できると考えていらっしゃる方には前世の記憶がないものと考えられます。
 要するに「本人が幽霊」ではないわけです。

 では、【アザーハーテッド/Otherhearted】の方が抱く「動物に対する親近感」、【キース/Kith】の根本は何かと問われれば、おそらく「キャラクターに対する愛着」だと思います。
 ハローキティやミッキーマウスのような「人間に愛されるようにカスタマイズされた生身ではない人工の動物」に対する憧れ、要するに「推し」です。
 だからこそ興味や愛着の対象は「生身の動物」というよりも、むしろ「アニメや映画に出てきてグッズにもなっているキャラクター」の方が好ましいのでしょう。【アザーハーテッド/Otherhearted】の方にとって「テリアン」とはハローキティやミッキーマウスの耳をつけてテーマパークを練り歩くのと大きな違いはないのかもしれません。
 だからこそ誰でもできる手軽な趣味として流行ってしまったのかもしれません。

 今まで様々な記事で散々説明してきた事ですが、民俗学という切り口で【セリアン/Therian】、【アザーキン/Otherkin】、【アザーハーテッド/Otherhearted】の違いを解くなら、その特徴がよりハッキリと明確化できるのかもしれません。

【セリアン/Therian】や【アザーキン/Otherkin】は「本人が獣」であって、自分の魂を人間の肉体から解き放って、アバターという「人形(ひとがた) ※民俗学用語」に憑依させる事によって、現実の肉体と自分本来の【セリオタイプ/Theriotype】や【キンタイプ/Kintype】の肉体とのギャップを埋めようと試みる方もいます。

【アザーハーテッド/Otherhearted】は真逆で「本人は人間」であって、動物の魂を自分に憑依させる事によって自分自身にBuffをかけるイタコのような存在であると言えます。
 そして15年前の【臨床的人狼症/Clinical Lycanthropy】では「動物の幽霊」を憑依させるものと例えられていました。現代では定義や様式が変わって「動物の妖怪」を憑依させるものに変化したと私は感じています。
 つまり、「元ネタ」は実在するリアルな動物ではなく、架空のキャラクターだという事です。架空のキャラクターを「降ろす」触媒として用いられるのが【セリアン ギア/Therian Gear】であり、「降霊術の儀式」が【クアドロビクス/Quadrobics】と考えられます。
 そう考えると、小学生の間で「コックリさん」が一時期爆発的に流行った現象との類似点が見えてくるかもしれません。


結論

 究極的には若い世代の「テリアン」の流行は「小学生の間でコックリさんが流行った」現象と同じである、で片付いてしまう事なのかもしれません。
 Wikipediaによれば「コックリさん」とは元来「狐の霊を呼び出す儀式」だったらしく、「狐狗狸さん」という字が充てられていたそうです。字面だけ見ると確かに【セリアンスロピー/Therianthropy】を想起させます。

 ですから、我々大人は子供たちの「妖怪を降ろすコックリさん」に関しては、あまり目くじらを立てずに静観するべきなのかもしれません。

 とはいえ、学校や公園などの公共施設で【クアドロビクス/Quadrobics】をした、他人を噛んだ、そういった様子をTikTokに投稿してバズらせた、そういった行動は看過できるものではありません。それは【セリアンスロピー/Therianthropy】の問題ではなく公衆道徳と報道倫理の問題です。
 多くの一般人の方は【セリアン/Therian】が何なのか、「テリアン」が何なのかを知りません。知らない方に誤解を与えるような表現や発言や行動は控えるべきだと私は主張します。

 いつも言っている事ですが、【セリアンスロピー/Therianthropy】は悪事を働く言い訳に使ったら猛毒に化けます。それは【セリアン/Therian】であろうと【アザーハーテッド/Otherhearted】であろうと普通の人間であろうと変わりません。良い事をするためのモチベーションにするのが正しい【セリアンスロピー/Therianthropy】の使い道です。

 ですから、仲の良い友達とコックリさんをする事をいちいち咎める事はしませんが、無関係な人をコックリさんに無理矢理巻き込む事と、コックリさんが【セリアンスロピー/Therianthropy】だと誤解させるような内容をTikTokなどのSNSに投稿する事は控えていただけると助かります。私からのお願いはその二つだけです。