ちょっと憂鬱で、切なくて、癖になる
最近スーパーにいくと「あぁ、もうそんな季節か。」と感じることが多くなった。冬至にクリスマスお正月と続き、あっという間に節分、バレンタイン、ひな祭り、春分……行事のたびにディスプレイを変更するのは大変だよなぁと思いつつ、ちょっとした楽しみでもあるから、今後もぜひ頑張ってほしいなぁとも思っている。
今の時期は、入り口付近にぴかぴかつやつやのいちごが陳列されていて、買い物に行くたびにほのかな甘い香りに癒される(誘惑される)。
先日はバレンタインデーだったこともあり、いちごの側にチョコレートも置かれていたものだから、こりゃもうたまらんといった状況だった。
いかん、話が逸れてしまった。
スーパーのディスプレイで季節を感じるようになる前、私は一体どんな風に季節の移り変わりを感じていたのだろうと振り返ってみると、はじめは必ず「風の匂い」だったと思う。
例えば、夏から秋に季節が変化する瞬間、風の香りは、土と草木の匂いが混じったような青々とした香りから、少し香ばしい甘い香りへと変化する(気がする)。感じ方はひとそれぞれだから、ひとりひとりイメージする香りは違うと思うけれど、少なからず私のように季節の変化を風の匂いで感じるひとはいるんじゃないかな?
でもここ2、3年は、風の匂いを感じていない。
マスクをすることが当たり前になった生活で、なかなか風の匂いを感じられなくなってしまった。気付かぬうちにそういった様々な機微に疎くなっているのかもしれないと思うと、しょうがないことだと分かっていても、なんだかとても勿体ないような、寂しい気持ちになってしまう。
もうすぐ春がくる。
冬から春になる空気の変化は、四季の中でも特別だ。しんとした混じり気のない大気の匂いのする風が、カラフルな春の香りを運んでくる。その匂いは、いつもちょっと憂鬱で、切なくて、癖になる。
お日様をたっぷり浴びたお布団に飛び込んで深呼吸したときのような日向の匂いと、たくさんの植物が芽吹き、花々が咲き誇る香りがする。どちらかといえば、幸福をイメージする香りばかりなのに、何故か春の香りには独特の憂鬱が潜んでいるように感じる。
“春”という季節に、いろんな「始まり」と「終わり」が集まるからだろうか。
もしかしたら、香りに対するイメージではなくて、春そのものに対して私が抱いているイメージなのかもしれない。
ともかく今年は自宅の窓を全開にして、思いっきりあの空気を感じてみよう。ちょっと憂鬱で、切なくて、癖になる、春風の匂い。そのイメージの基となった出来事に想いを馳せながら。
ここまで読んでくれて、ありがとう。
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