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罪悪感を愛おしく思えることで、また一つ大人になる。

大なり小なり、どんな人にでも罪悪感を感じることがあると思います。
それは、自分自身でも感じられないほど些細なレベルのものだったりもするのだけれど。

私がまだずっと若い頃、家の塀にアゲハ蝶か何かの(まぁまぁな大きさの)幼虫が張り付いていたことがあって、声にならない、「うぅぅ。キ、キモぃぃ。。」という想いから、そこにあったスコップに、その幼虫を乗せて少し離れた道端に放っておいた。
しばらくすると、その幼虫は、また同じ塀にへばり付いていた。
私はまたもやそのスコップに幼虫を乗せようと、、、したら、、、誤って幼虫を潰してしまった!!

オーマイガー!なんてこった!
ちょっとまだウゴウゴしているその幼虫を側溝に捨てた。

そんな無駄な殺生をしてしまったこと、その幼虫の未来を奪ってしまうことに対して罪悪感を覚えた。そして、そんなナイーブすぎる自分も嫌だった。

こんな些細な出来事が今でも強く心に残っている。

その罪悪感の裏側には、「私は人として間違えている(真っ当な人間ではない)」というような、うっすらとした自分自身に対する想いが心の奥底に水溜りのように溜まっていた。

この想いは、幼少期、イタズラをしたり、妹をいじめたりした時に、よく親から『お前は、いつもろくなことしかしない!』と怒鳴られていたことに起因するのだと今ならわかります。
そして、親だってその時の感情に任せてイライラを私にぶつけていただけだということも。

(でも、意外とこういうことって、大人になっても無意識的に、人生の色んな部分に影響されていることもあるので、何か上手くいかないことがあったり、ネガティブな感情が沸いた時には、丁寧に観ていく必要もありますね。)

罪悪感を持った自分を抱きしめてみると

私は、本当は、幼虫を殺してしまったことに対して罪悪感を抱いていたのではなくて、親からの『お前は、いつもろくなことしかしない!』という言葉に反応していただけなんですよね。

「いつもろくなことしかしなくて、ごめんね。」と。

そんな罪悪感を持っている自分自身をぎゅーっと抱きしめてあげると、そんなにろくでもない訳ではないと知ることができる。
親に「ろくでもない」と言われたからといって、私は本当にろくでもない訳ではないのだ。
だって、基本的には愛に満ちているし、人に優しくしようと思えるし、実際にそうしている。たまには、意地悪な気持ちにもなったりするけど、どちらの想いが強いかというと、前者なのだから。
そんな風に、罪悪感を持っていた自分を愛おしいと思う。

それも、言ってみれば、私の(親に対する)愛の表現の一つだと思うから。

だから、「そんな子供っぽいこと」なんて言わないで、ちゃんと自分の心の奥にある想いを感じてみて欲しい。そして、その想いが実は本当のことではないということに気づいて欲しい。

そうすることで、私たちは、親から自立して、また一つ大人になるのかも知れません。


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後藤あづさ
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