稽古場外アクティビティ
9月1日は、関東大震災(転じて防災)の日であるが、「竹久夢二さんの御命日」の日でもある。
お墓は雑司ヶ谷霊園にあり、ググれば何号の何側、という詳細まで出てくるので墓参にでかけることが容易だ。
竹久夢二さんは拙作ソングサイクル『sign』で1曲書かせて頂いた。その生涯、作品群、逸話、交わされた書簡、お人柄、資料を調べまくったものだ。できあがった曲は全くの妄想シーンなわけだけど。まあそれが「創作」ってことで、いい、よ、ね、
とは思いつつ、誰に教わったわけでもないけれど実在の方を描くときはできる限りご挨拶というかお詣りというか、するようにしている。
『カムイレラ』なら北海道の各地(札幌、白老、阿寒、平取、根室と納沙布岬、知床斜里など)。『氷刀火伝』なら人首町。『古事記』なら出雲。『ソレイル』はちょっとフランスは無理なので箱根の星の王子さまミュージアムでご勘弁ください。
『sign』はなかなかたいへんだ。全曲が東京を舞台にした実話なもんだから、あちこちまわらんといかん。後楽園の慰霊碑とか、墓所でいったらお七やら、ハチ公と上野教授やら、竹久夢二さま、尾崎豊氏…。
それらにでかけ、書かせて頂きます、とか、書かせて頂きました、とか、公演終了しました有難うございました、と申し上げたりする。作品を創るにあたり、足を運ぶのは取材先や稽古場だけではなくて、あくまで自分の場合ではあるけれどこれは稽古場外の大事なアクティビティのひとつ。(役者としてそれを行うことも勿論ある。そういう時は「やらせて頂きます」。同じだね。)
竹久夢二氏の墓参については、おまけの話がもうひとつだけ。
あの雑司ヶ谷霊園は、名を聞けば「ああ」と知っている人がものすごく沢山眠っていらっしゃる。そのひとりが島村抱月さんだ。
夢二さんのお墓の近くというか、夢二さんの墓参をおえて駅へむかって帰る道すがら、自然と視界に入ってくるのだ。
抱月さんといえば、スペイン風邪でご逝去されたこと、そして恋愛関係にあった松井須磨子さんが後追い自殺をされた話は印象深い。
そのお墓の横を通りながら、「いつかはこの方も何かのお話にするのかしら…」なんてうすーく考えていて、それから約6年後、4度目の『sign』でとうとう新曲に採り入れられた。「寝巻會(ナイト・ガウン・パーティー)」で小此木まりさん&熊澤沙穂さんが歌った"先生に言われてなった日本初の整形女優"が彼らである。エピソードは雑司ヶ谷霊園で増殖したのであった。
夢二さんのお墓の周りを、蝶がひらひらと飛んでいました。不思議と、ずっと。そして、自分以外にも、お花とお線香がたくさんでした。
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