亡霊の大隊~序章~


序章

 マナジウム。西暦2100年代後期に地球に飛来した「外宇宙からの彗星ウィズダムすいせい」より発見された鉱物。元素番号174:Mna、132番目に発見された物質である。
 当時の人類には解析不可能な物質であったが、一つだけ確かなことがあった。それは、マナジウムが触れた人間のシナプス信号に感応し、現象を発現させるということである。言い換えるならば、マナジウムに触れながら考えたことは現実になるのだ。
 人類はマナジウムの全貌を知ることはなかったが、その現象の名は旧くより知っていた。曰く、魔法と―――――

 「外宇宙からの彗星」がもたらしたのは、人類の古来からの夢だけではなかった。破壊、混乱、混沌…人類の築き上げてきた叡智への凌辱であった。
 月への移住もにわかに盛んになり始めた当時にして、人口は頭打ちと言われた100憶を超え150億へと届かんとしていた。
 しかし、突然やってきた宇宙からの旅人により、栄華を極めた我々はその数を3分の1にまで減らされることとなる。愚かさを取り戻した人類は、資源をめぐる国家間の争いによりその数をさらにいたずらに減らそうとしている。

 ある時、彗星の落下地点にほど近い一部の国家群が、自らを魔法貴族ウィズダムと名乗り始め、非マナジウム保有国家群を侮蔑の意味を込め旧文明国家群Ancient States、通称A.S.と呼称。他魔法貴族領地やマナジウムを保有しない国家への侵略を開始した。
 ―――魔歴9年。後に彗星大戦コメット・ウォーと呼ばれる時代の静かな幕開けである。

             ―――歴史家 アルブレヒト・W・フレイザー


魔歴125年8月25日 A.S.日本 青森県今別

 遠方から轟音が聞こえる。神聖ソビエト帝国から宣戦が布告されてから約三時間。青森は今別の町は戦火に飲まれていた。
 魔歴12年に対魔法貴族用の要衝が置かれた彼の地は、2000年代と比べるとはるかに発展し、栄えていた。
 皮肉にも、科学の発展によって減少した日本の人口は、この数百年の間にあったいくつかの戦争を超え、彗星の衝突を超え、2億を優に超えていた。日本ではその増えた人口を受け止める意味でも地方に防衛の要を造り、魔法貴族に対抗するための防備を固めてきたのである。
 彗星大戦が開戦してからすでに百余年。水面下で戦いへの準備をしつつ、外交によりなんとか侵略からその身を守り続けていた日本であったが、魔歴119年にマックナウモシリ―――かつて日本の北海道と呼ばれた地域が神聖ソビエトに合併されたことで、事態は風雲急を告げる。
 かつての同胞、同じ日本語話者ということで他の魔法貴族から日本への侵攻を食い止めていたマックナウモシリであったが、神聖ソビエトからの侵攻に耐え切れず吸収・合併。A.S.日本侵攻の軍事的要衝として使用されるに至った。  
 占領後の混乱の鎮圧や戦後処理に数年を要し、ようやくA.S.日本侵略の足掛かりとして真っ先に今別を標的としたのである。神聖ソビエトの持つ飛空艦隊では今別基地の対空戦力に対し遅れを取ることが予想されたため、地上戦力をもって制圧にかかったのだ。宣戦布告から十五分という短さで実行されたその電撃的・・・な上陸作戦は、いまだ交戦への準備中であった今別基地に対し大打撃を与えた。

「ソビエト方面軍本隊の援軍が来るまで持ちこたえろ!援軍が着き次第魔女狩り開始だ!」
 責任者と思しき自衛隊員が、部下に発破をかける。この数百年間、守ることに命を懸けてきた彼らが、防衛戦で負けるわけにはいかないのであった。自衛隊ソビエト方面軍今別駐屯兵団の面々は、対魔術師戦に備えた厳しい訓練を乗り越えこの地へ派遣された、いわば現代における自衛隊最強の特殊作戦群である。
 そんな彼らが敵の察知に今一歩遅れを取ったのは、敵の上陸方法が飛空戦艦からの降下でもなく、通常の艦隊による上陸でもなく、海面を凍らせ魔術師単位での上陸を行ったからにほかならない。常時展開されている兵装や防備はともかく、有事の際になって初めて運用する品々についての準備は彼らをしても間に合っていないのだ。

 さて、二世紀も前の戦争であればこの轟音は戦車の、艦隊の、歩兵の発する爆撃、銃撃の音であったろう。
 しかし今は違う。これは数名の魔術師が放ついかづちの音である。彼らの放つ雷の速さは約マッハ600。一般的なライフル銃の約300倍の速度である。それに、生成した金属塊を乗せて放つ。射出物の寿命は短いが、絶大な破壊力を持つ兵器――レールガンの完成である。
 本来であれば大掛かりな装置を使用しなければ運用不可能であるはずの兵器を、人間一人で体力の続く限り放ち続けられる。これが魔法なのだ。

『隔壁を展開。基地電力持続時間を再計算中…出ました、戦況に変化なき場合、あと36分で基地内の電力が無くなります。防衛機構「石長イワナガ」持続可能時間も同様です。』
 しかし、旧文明も負けてはいない。間髪入れず雷撃が放たれているにも関わらず、隔壁外部には現状傷一つついていない。それは、西暦2000年代末期に確立された半重力装置の応用、半重力障壁によるものである。
 重力を自在な方向にかけることによって飛来物の軌道を反らし、そもそも着弾させないことによって対象を防衛する機構である。ただし、莫大な量の電力を消費する。神聖ソビエト側もその点を知っているため、まず気づかれる前に基地への電源供給を絶ったのだった。
 基地をサポートするために導入されているサポートAI「木花咲耶コノハナサクヤ」によると、半重力障壁含む基地防衛機構「石長」の持続可能時間は36分。仙台に置かれたソビエト方面軍本部が今別基地に到着するまでにかかる時間は想定45分。9分間は今別基地の人員のみで対処しなければならない。
 9分間もあれば、人は幾度死ねるのだろうか―――今別基地最高司令官、志村は考える。基地ほどの巨大な施設であれば、半重力障壁によってレールガンの猛威を耐えきることも可能だ。しかし、歩兵向けに開発された強化外骨格にはもちろんそんな防御力はない。
 地の利を生かした奇襲、あるいは共倒れ覚悟の突貫か。防衛に特化した今別基地には巨大な戦艦を改修するためのドッグがない。数週間前から侵略の兆候を見せ始めた神聖ソビエトに対し、航空戦力として今別基地が保有していた半重力戦艦富士一番艦「富士」は仙台の本部で改修中である。
 あるいはどこかの筋からその情報を仕入れた上での奇襲なのかも知れないが。高速で巡らせた思考の先、結論は別の場所から、より悪い形で訪れた。

『志村一等陸佐。北方1500km、上空2000mに敵艦影を補足。対空砲にて応戦可能ですが、基地内電力の消費量増大。再計算中……使用後、基地内電力は現在の80%まで減少。防衛機構の持続可能時間は28分まで短縮されます。』
 当然というべきか、敵は二の矢を用意していた。奇襲による電力系統の遮断、間髪入れぬ攻撃による大量の電力消費。そして飛空戦艦による攻撃でこちらの継戦能力を削ぐ作戦だろう。シンプルながら対処しがたい戦法だ。既に半重力障壁で敵の猛攻を防いだ結果、市街地に大きな被害が出ている。飛空戦艦はおそらく基地本体ではなく市街地を狙うはずだ。そうなれば、ここをしのいでも救援を行うことすらできない。
 市街地のこれ以上の被害を抑えるには、飛空戦艦が遠方にある状態で撃墜することが好ましいが…。と、思考をめぐらす志村はふと我に返る。周りを見渡すと、部下たちが自分の命令を待ってこちらを一心に見ているのがわかる。
 大本営に借りを作るのは好ましくないが、ここにいる部下や市街地の民間人を守るにはこれしかない、と志村は基地内に命令を出す。
「半重力対空砲、発射準備。全強化外骨格ユニット出撃準備。いいか、全ユニットだ。大本営からのお客さんにも出てもらう。
 第一、第二機動部隊は地下道を通って魔術師背後からの奇襲を敢行。目標数は12、小隊規模だ。全て倒す必要はない。目的は友軍援護までの攪乱。
第三機動部隊は機動特務の援護を。機動特務殿、自由に動いてください。多少の損害はこちらでカバーします。
 非戦闘員は本丸に集合。石長のフォローを最優先。命令は以上。」
 指揮官としてこの場でとれる最善策を指示したつもりだが―――大本営から今別を視察に来ていた機動特務の悪い噂を思い出し、志村は苦い顔をする。
 曰く、作戦は完璧に遂行するが、その後の損害が予想の倍であった、彼の通る後には敵味方関係なく塵も残らない等々。…何事も、なければいいのだが。


「浅霧機動特務。お手柔らかにお願いしますよ。」
 今別基地、強化外骨格バンカー内。第三機動部隊と機動特務―――A.S.日本の大本営から認められた、強化外骨格のエースパイロット―――の浅霧は、出撃のタイミングを見計らっていた。第一、第二機動部隊の襲撃、並びに遠方の敵艦の撃墜と同時に出撃するのだ。
「なに、前に出すぎなければ死ぬことはない。俺の近くに寄ったら……都合のいい壁か武器と見なすから気をつけろよ」
 浅霧による強化外骨格の上からでも表情がわかるのではないかというほどの不敵な発言。実際、外骨格に隠されたその顔には不敵な笑みを浮かべていた。そして実際、数日でも彼と訓練を共にした第三機動隊員ならばわかる―――目の前の相手は冗談など決して言っていないのだという純然たる事実を。

 訓練であってなお、彼の戦い方は生に貪欲で、生き汚く、そして多くの人間の意表をつくようなものだった。それが実戦となれば、より一層苛烈なものになるであろうことは簡単に予想できる。
 例えば、最初に浅霧に話しかけた男、名を佐藤。武装をはぎ取られ、模擬弾の壁に使われ、投げられ、飛ばされ…ほんの数日を共にしただけでも、自身の身の危険に敏感になるほど様々な責め苦を受けた。しかし同時に、日本各地にて厳しい訓練を積んだという自負のある自分やほかの隊員たちが、赤子のように弄ばれる様を見て、力の差を理解したものだった。
 それゆえに機動部隊員たちは、その実志村一等陸佐よりも期待していた。ともすれば絶望的なこの状況、この男ならばソビエトを退けることができるのではないか。それどころか最低限の損害で済ませられるのではないか、と。

『第三機動隊員諸君、そろそろだ。』
 ここで、志村より通信が入り、バンカー内の砕けた雰囲気が一瞬で切り替わる。よい訓練を受けているな、と思うと同時に惜しいとも思うのは、誰でもない浅霧だ。
 正直に見積もって、この戦いでは多くの兵が命を落とすだろう。もちろん自分は生き残るが、自分の命令が原因で命を落とすものもゼロではあるまい。幼少期を魔法貴族領「オセアニアン共和国」の辺境で過ごした彼は、物心ついた時にはすでに戦っていた。彼の戦い方が獰猛で実に野性的なのは、この時期の本能に従った戦い方が原因に他ならない。実を言うと、大本営にいる恩人に助け出されるまでは読み書きもできなかったのだ。
「浅霧機動特務、何か一発気合の入るのお願いしますよ。」
 そんな自分が母国の人間に気の利いた言葉を求められているのだ、運命とは数奇なものだと彼は思う。
「第三機動部隊諸君。生憎気の利いたことは言えないが、機動特務として一つだけ命令を出そう。……生きて帰れ。生きていれば大体なんとかなる。…なんとかするぞ」
「フーアー!」


『半重力対空砲、発射準備完了。合図あり次第いつでも発射可能です。』
 木花咲耶によるアナウンスが入り、それに応じて志村は第一、第二機動部隊に確認を取る。
「第一、第二機動部隊。配置についたか?」
 その呼びかけに応える声は、第一部隊長だ。
『敵方の防御障壁の出力が一番低い兵の背後に展開完了。合図があれば一人は持っていけますよ。』

 ここで少し魔法の原理に踏み込んでおこう。ごく単純な現象を起こすだけであれば、赤子にすら可能である。前述のとおりマナジウムに触れながら念じるだけでよいからだ。
 しかし、神聖ソビエトの兵士たちが行っているのは決して単純な作業ではない。金属塊を生み出し、雷を発生させ、狙った方向に飛ばし、その際発生する衝撃に耐えられるよう障壁を展開し、かつ攻撃されてもいいように異なる障壁も張る。それらを常に同時に考えていなければ、この攻撃は成立しない。
 猛攻を加えている彼らとしては、前の四段階は確実にこなしていなければならない。必然、自身の防御はほかに比べて疎かになる。それも複数人の魔術師がそれぞれに役割を分担していた場合は突破が困難となるが、今回は少数による奇襲であったこともあり各々が各々で基地に対する攻撃を加えていた。
 そこで奇襲だ。上記の原理で魔法を使用しているため、魔術師に最も有効な戦術は奇襲とされている。対空砲による味方艦の撃沈、自身への奇襲、前方後方からの挟撃。それらを同時に行うことで少しでも相手の意表を突き、一秒でも考えがまとまる隙を伸ばすことが生き残るために最も重要なのである。
 そして高度な並列思考を同時に行う必要があるため、個人差によって防御面に綻びが発生する者もいる。また、長時間の並列思考では術者に大きな疲労も訪れる。防衛したのちの奇襲、それこそが現状を打破できる唯一の意可能性なのだ。

 第一部隊長の応答を聞き、志村はいよいよ命令を下す。
「石長に通達、合図から20秒後に対空砲発射。
 各員、対空砲の発射と同時に第一、第二機動部隊は奇襲を実行。奇襲開始から15秒の後に第三機動部隊も攻撃を開始。後は機動特務の判断で撤退。
 発射準備用意!」
『命令を受諾。半重力対空砲発射準備。カウント20から。19…18
…17…』


『3…2…1、半重力対空砲発射、行動開始。』
 石長によるカウントの終了と共に凄まじい衝撃波。その周囲にいた者は皆、体の芯に響くその波動に動きが止まる。今別基地より放たれた目に見えぬその一撃は、遠く離れた神聖ソビエトの飛空戦艦を確実に捉え、撃沈させていた。
 しかし、魔術師たちは皮肉にも自身を守るための防御障壁により振動を遮断しており、不可視の一撃の結果を把握できている者は未だいないようだった。ただ数名、並列思考の未熟さから防御に綻びのあったものが、いぶかしげに辺りを見渡し隊列を崩す。
 その隙を突き、後方から基地に向けて魔法を放っていた若い魔術師に対し、第一、第二機動部隊の面々は一斉に攻撃を放つ。本来であれば戦車や施設などに向かって放たれるべき強力な攻撃の数々が、若い魔術師を襲う。
 しかしそれでも、さすがは魔法といったところか。通常の人体であれば跡形もなくなっているであろう攻撃に対し、上半身の60%程度が残った。即死である。
 ここにきて漸く敵兵は攻撃に気づいたようで、基地への攻撃の手を緩め第一、第二機動部隊へと向き直る。身体強化を施した近接戦闘員と、遠距離攻撃を行う要員で分かれての応戦に移るようだ。さすがは対処が早い。


「第三機動部隊!我々から見て右から二番目の奴、対応遅い。やれるぞ!カウント0だ!」
 言うが早いか飛び出していく浅霧機動特務。自身を追い越していく砲弾を右手側に感じながら、こちらに背を向けている近接戦闘員の一人の頭を掴み、そのまま地面に顔面をこすりつけながら第一、第二機動部隊の面々の前まで引きずっていく。
 強化外骨格は、普通の人が魔術師と戦えるように、機動力を高めかつ人力では扱えぬ兵装を運用可能にした、身にまとう機械の塊である。装着時の最高速は時速120kmに達し、他にも人体では叶えられぬ様々な無理を可能にした。
「掃射!」
 十分に意表を突きダメージを与えた対象を確実に仕留めるために、機動部隊員たちに命令を出す。シンプルかつ明確な浅霧の命令は、部下たちに躊躇を許さない。そのまま引きずられた哀れな敵兵を踏みつけ後方に跳躍し、新たな敵兵へと向かっていった。踏みつけられた敵兵はというと、浅霧の命令通り一斉掃射を受け、原形を失っていた。


 会敵後わずか45秒、魔術師部隊はその数を12から9へ減らしていた。ここまでは上々、しかしそろそろ敵も態勢を整え終わる頃合いだろう。宙返りをしながら敵兵の方を見やると、近接戦闘員6名は陣形を整え終わり、遠距離攻撃部隊3名は基地への攻撃を再開していた。
 打って出たことから、基地内でこもっているわけにもいかなくなったことを察したのだろう。またこの陣形は、裏返すと近接戦闘員6名のみで機動部隊には事足りると向こうが判断した結果でもある。事実、奇襲でなければ魔術師と強化外骨格の戦力差は6対37で勝算があるほどのものである。
 ここからが本番だ、と浅霧は気合を入れる。こちらの損耗を最小限に抑えるには、場をうまく攪乱して各個撃破を狙うしかない。対魔術師戦の定石だ。もちろん相手もそのつもりでかかってくるだろうが―――
「―――!!――!」
 と、魔術師の中に何事かを叫んで軍刀を抜き、こちらに突っ込んで来る者が一人。首の階級章から階級は中佐、顔の傷や引き締まった肉体からは歴戦の勇士であることが伺える。何より先ほどからの基地に対する攻撃で、最も威力が高く最も防御に隙がなかったのがこの男だ。おそらく文武共に優れた男に違いあるまい。
「友軍各員、一番手強そうな奴にダンスに誘われてしまった。ほかの対処は任せる。
 遠距離攻撃を行っている魔術師はおそらく中でも安定して砲撃が続けられる者を選抜しているはずだ。真正面からの攻撃はまず届かないものと思っていい。近接戦闘員を狙え。最低4人で一人を相手にするんだ。行動開始!」


魔歴124年3月18日 神聖ソビエト帝国 帝都ウラジオストク

 まだ厳しい冬の影響が残る帝都。その軍部、窓のない一室で年若い青年とにやけ面の壮年が向かい合っていた。壮年の軍服には中佐であることを示す階級章が添えられ、顔には傷一つなく、良いものを食べているのであろうだらしない腹をたたえている。
「クズネツォフ君、よくぞ来てくれた!なぜ呼ばれたか、わかっているかね?」
 クズネツォフと呼ばれた青年には、心当たりが全くなかったのだが、軍部が学力の高い若者を軍部にスカウトしているという話を思い出し、もしやと思う。
 彼の数学の成績はサンクトペテルブルグ大学の第三学年トップである。それは、貧しい家に生まれ親を失った彼が大学に行き、慢性的な病に侵されている妹を少しでも楽にするための努力の成果であった。彼の妹は誰よりも彼のことを愛し、共にする時間を大切にしていた。

「……軍部へのスカウト、でしょうか?」
 だが目の前の恰幅の良い男が提案しようとしているのは、クズネツォフと彼の妹を引き離す行為に他ならない。彼は男の提案を断固として拒否する決意を固めた。
「素晴らしい!さすがは聡明な君のことだけあって話が早いな!さぁ、軍服のサイズはいくつだ?いつから来られる?」
 そんな彼の決意はお構いなしに男は話を進めようとするが、すかさずクズネツォフは男を諫めようとする。
「お待ちください中佐殿。自分はマナジウム研究員志望でして…。そちらの方で軍への協力を惜しみませんので、ここは一つこの場を収めていただけると…」

 軍部が強兵と同時に推し進めてきたもう一つの施策、マナジウム研究員の増員。国からの補助金が多く出され、人が二人生きていくには十二分な待遇が約束されている。そして、彼はその道に間違いなく進めるであろうと教授から太鼓判を押されたばかりだったのだ。
 この場を丸く収めようとしての発言であったが、中佐は馬鹿にするような笑みを浮かべる。
「ふん、そんなものとうの昔に人手は足りておる。わからぬか?各地の大学にマナジウム研究学部を設立した理由が何か。」
 聞かれ、クズネツォフは思案する。多額の給金を提示し、優秀な学生を一手に集める。つまるところそれは、多額の金銭を必要とする思考能力の高い若者・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・を集めるための施策ということか―――まさか、と彼が口にするより早く、彼の様子を見ていた中佐が口を開く。
「思い至ったか。その通り、後に引けぬ理由のある能力の高い若者を軍で囲うためよ。
 君も可愛い妹さんがおるようだなあ?しかもなるほど、彗星病の患者というわけか。」

 彗星病。クズネツォフの妹を始め、外宇宙からの彗星が地球に飛来してから時折発症する者が現れる原因不明の病。彗星と共に存在が確認され始めたことから「彗星病」と呼ばれる。
「であればこそ、軍に入るべきではないか。軍部は彗星病研究の最先端。君が国のために戦ってさえくれれば、君たちの亡きご両親に代わって君の妹の病を治すことに手を尽くすと誓おう。どうかね?」
 こんなものは、まるきり脅しである。こちらの身辺調査は完全に済んでいるのだろう。拒否すればいくらでもどうとでもできると、彼は暗に述べているのだ。だが、だからと言って反抗するには良い話が過ぎた。
 妹との時間を奪われ、自身を危険にさらしてでも―――クズネツォフは妹の健やかな未来の可能性を信じずにはいられなかった。
「……わかりました。その話、お受けいたします。」
 そう答えた時の、中佐の満足げな笑みをクズネツォフは忘れるものかと胸に刻んだ。

「少佐!また一人連れてきたぞ!こいつを半年で使えるようにしろ!」
 入隊を承諾してすぐクズネツォフが連れてこられたのは、まさに練兵場といった様子の部屋だった。そこには自分と同じくらいの年齢の男性が10数名おり、少佐と呼ばれた男はその一人一人を見て指導しているようだった。
「承りました、中佐。それでは後のことはお任せを。」
 そう言って世にも不快な男を部屋の外へエスコートすると、少佐は再びクズネツォフの前まで戻ってきた。
「さて、また一人被害者が増えたか…すまんな、君も従軍の意思はなかったのだろう。」
 思ってもみなかった言葉の羅列にクズネツォフは面食らい、いえ…と答えることしかできなかった。そんな彼に対し少佐―――顔に傷を讃え、引き締まった肉体をした威圧感のある男は自己紹介をする。
「ヴィクトル・スミノフ少佐だ。以後お前の上官となる。俺の部下になるからには獅子奮迅の活躍ができるように鍛えなおしてやるから、覚悟しておくように。」
 軍部に来てから初めて、優しさを感じる笑顔をクズネツォフは見たのだった。


魔歴125年8月25日 A.S.日本 青森県今別

黒いのチョールヌイ!!貴様よくもクズネツォフを!」
 相対する三十あまりの白銀の強化外骨格のうち、明らかに一体だけ別格であろう黒い個体に、部下をやられた。スミノフ中佐は作戦を残った部下たちに伝えると、先ほど哀れにも命を散らした部下への弔いとして黒い個体を屠らんと、空に軍刀を掲げる。


 浅霧はスミノフ中佐に対し、腰の投げナイフを投じることで宣戦布告の答えとする。強化外骨格の膂力で放たれた弾丸にも等しい速さの投げナイフは、しかし容易く弾き飛ばされた。
 このまま状況を開始してもよいが間違いなく友軍に被害が及ぶため、出来れば少し離れたいが―――という刹那の思考は、目の前を掠める軍刀に切り裂かれた。どうやらこちらに戦場を選ぶ権利はないらしい。
 魔術師お得意の空中歩行。空中に物体を作り出し、それを足場に身体強化による脚力で一気に相手との距離を詰める。魔術師の教練ではまず最初に無意識下で空中歩行ができるようになるまで訓練すると聞いたことがある。

 浅霧は距離を開けるために至近距離で榴弾を炸裂させ、爆風により後方の地面に着地する。スミノフ中佐はもちろん無傷だ。横目に友軍を見れば、なんとか死傷者は出ていない、という様子。このまま遅滞戦闘を続ければ、或いは援軍の到着にも間に合うかもしれない。しかし、それには自分が目の前の勇士を倒すか、せめて抑えておくことが前提だ。
 スミノフ中佐が片手を上げ、こちらに軍刀を再び向けてくる。またも宣戦布告かと思ったが、瞬間的に浅霧の勘が自らの死を察知し、体を宙に飛ばせていた。自分が先ほどまでいた場所を見れば、凄まじい勢いで飛来した金属塊が地面を大きく抉っていた―――あの動作は遠距離攻撃部隊への合図だったのだ。
「4対1とは卑怯だな!」
 先ほどまで今別基地に向けれらていた凶弾が浅霧に降り注ぐ。どこに向けて放ってもよい巨大な対象と比べて動き回る小さな対象であったおかげで避けるのは困難ではないが、如何せんこちらから打って出られない。
 そこで、浅霧はこの状況を好転させるために第三機動部隊に交信を飛ばす。
「第三機動部隊各員!前線の援護に向かい、基地から離れろ!」

 援護射撃を行っていた第三機動部隊を壁のこちら側へ移動させ、近接戦闘員に対しさらなる数的有利を作る。というのはもちろん理由の一つにすぎないのだが、基地内から様子を窺っていた志村はいよいよもって機動特務の噂に信憑性を感じ始めるのだった。
『浅霧機動特務、壁内へ退避完了。遠距離攻撃部隊が第三機動部隊に気を取られたところで退避したようです。』
 奴め、自身が不利になった途端味方を囮に使ったのか……!?
「浅霧機動特務!何をしている!浅霧!」
 応答はない。このまま雲隠れするつもりか。だからこその魔術師戦における生存率ということか。要するには引き際をわきまえている・・・・・・・・・・・のだ。
 基地の外では遠距離攻撃部隊が再び基地を攻撃し始め、敵の指揮官は浅霧に対し何か怒鳴っているようであった。無理もあるまい。
 そんな状況で、今度はAIであるはずの木花咲耶が驚きの声を上げた。
『浅霧機動特務、お止めください!お姉さまを傷つけないでください!』
 お姉さま、というのは基地防衛機構「石長」のことである。姉妹のように設定したのは、戦闘支援AIと基地防衛AIの連携をより密にするためと、設計者の趣味である。
 今度は敵にでも寝返ったかと浅霧の映ったモニターを見ると、彼は半重力障壁を地面から引っこ抜こうとしていた。


「黒いの!逃げていないで戦え!」
 スミノフ中佐は激昂していた。倒すと誓い、宣戦を布告し、それに応じた男が基地内に逃げ帰ったのだ。それは間違いなく、彼のような真っすぐな男の信ずる道に反していた。
「中佐、どうしますか?」
 そう聞いてくるのは遠距離攻撃部隊の一人。部隊員の中では手練れの方だ。その問いかけに中佐は冷静になり命令を出す。
「…基地に向けて砲撃を再開。私は後方の援護に向かう。」
 そうだ、これは戦争なのだ。生き残った方が勝者であり、この戦いを生き延びれば次こちらを殺すチャンスだってある。あの黒い機体のとった行動は何も間違っていない。であればせめて、次戦うときにあいつの戦力が少しでも少なくなるように敵軍を削ろう。見ればすでに何名かは行動不能にしているようだ。私も部下に続かねばな。

 そう思い、スミノフが基地方向から目を反らした時だった。
 先ほど問いかけてきた部下の叫び声が聞こえた。嫌な予感と共に振り返る。するとそこには案の定というべきか、大地と共に大きく穿たれた部下の姿。
 発射点を見れば、またもあの黒い機体。担ぎ上げた基地の半重力障壁の向きを調整し、金属塊をこちらに撃ち返してきたのだ。奴は逃げたわけではなく、こちらの戦力を削ぐための奇襲を仕掛ける準備をしていたのだ。
「また卑怯な真似を…!後方を援護しろ!私が前に出る!」

 スミノフ中佐は猛スピードで浅霧に向かってくる。浅霧はその一瞬に生じた時間で、状況を確認するため本部に通信を行う。
「本部!こちらの損害は!?」
 問いかけると、木花咲耶が間髪を入れずに回答する。
『計上いたします。大破4、中破3、経戦可能29。推定援軍到着時間は残り12分です。』
 自分が戦線を離脱してわずか数分。それだけですでに七人の強化外骨格が使い物にならなくなっていた。そのうち何名が生きているか…いや、考えるのは後にしよう。今は目前の脅威のみに集中するのみだ。
 半重力障壁を後方に投げ捨て腰のナイフを逆手に抜き、ファイティングポーズを取る。ボクシングのオーソドックススタイルに近いそれは、敵からの攻撃を的確にいなし、隙を見て素早く反撃することに長ける形だ。
 スミノフ中佐は軍刀で刺突を繰り出す。身体強化と防御障壁による音速に近い突きの連続。浅霧はそれをすんでのところでいなし続けている。

 魔術師による身体強化は、速度や強度など多くの要素を強化できるが、その性能は魔術師本人の経験や想像力、集中力などに大きく左右される。実戦を経験すればするほど通常は強化性能が上がっていく。
 対し、防御障壁は能力の最大値がすでに決まっている。魔術師による防御障壁は、肉体の周りに”無”と便宜上呼ばれる空間を体の周囲に膜のように作り出すものである。人間が触れても全くの無害、しかして術者を狙って放たれた飛来物などは出力に応じて通さない。無の性質は科学的に解明されておらず、マナジウムの存在と共に数百年間人類における最大の謎として君臨し続けている。
 その無をいかにバランスよくかつ厚く展開できるかが、魔術師の力量の見せどころなのである。
 そして、スミノフは軍刀の周囲を薄い無で包むことによって、大気と軍刀との摩擦を極限まで減らし、刺突のさらなる加速を成功させているのだ。

 それに対し、浅霧。音速に届かんとする刺突をなぜいなせているのかと言えば、強化外骨格にも防衛用として搭載されている石長の力によるところが大きい。敵の体運びや癖などから瞬時に行動を予測し、強化外骨格を無理やり操作しているのだ。この操作は通常、操作する人間の意思とは関係なく強化外骨格が動くため怪我と紙一重の技術なのだが、浅霧はそれを使いこなしている。故にこそ彼は機動特務・・なのだ。
 スミノフが呼吸のため、瞬きのため、一瞬でも気を抜くと浅霧はそれに合わせナイフを投げていた。刹那の間でも集中が切れる瞬間を狙うためだ。しかし、その全てがことごとく弾かれ、投げられたナイフはスミノフではなく地面へと刺さっていく。

 何度目の応酬か。浅霧の腰からナイフが消えかけてきたその頃―――ついに浅霧は蒔いた種を摘み始める。
「何…!?」
 スミノフ中佐が驚いたのは、足裏。彼ほどの魔術師ともなればこれほどまでに激しい応酬を繰り返していても、身体の周囲に無を張り巡らせることは怠らない。しかし、さすがの彼でも全ての防御障壁を完全な出力で維持するのは骨が折れる。
 だからこそ、足の裏や現在敵と相対していない部位などの防御障壁は、意図的に出力を落としているのだ。その中で左足裏に走る激痛。見ると、何かが爆発したような跡。そして自身の足からは止めどなく血が溢れている。
 そこでスミノフ中佐は思い至る。目の前の男―――浅霧が投げていたのはナイフなどではない、と。

 自身が周りにまき散らした小型地雷・・・・をスミノフ中佐が踏んだことを確認し、さすがの浅霧もニヤリと上がる口の端をこらえられなかった。
 対魔術師戦闘の基本、意識の攪乱と不意打ち。それを徹底する者こそが、この戦いで生き残れる。そしてこの一瞬、スミノフ中佐の意識は完全に左足裏に向いた。その隙を見逃す浅霧ではない。
 シュッという風切り音と共に放たれた彼のナイフが、ついにスミノフ中佐に届く。ほんのかすり傷だが、それだけでよかった。
 腕に走った鋭い痛みに、スミノフ中佐は否応なしに目の前の敵へと意識を向けられる。先ほどまでと違い、浅霧は小刻みなステップでこちらを動かそうとしてくる。明らかに地雷へと誘導する動きだ。
 どうせ地雷を踏みぬくなら、とスミノフ中佐は自身に痛覚遮断の魔法をかける。地雷による多少・・のダメージはこれで気にならなくなるだろう。意を決し思い切り軍刀を振りぬいたスミノフ中佐は、しかしその軌道の的外れさに驚くこととなる。体の動きが鈍くなってきている…?

 どうやら効いていたようだ、とあちこち焼け焦げた機体の中浅霧は安堵する。先ほど一度だけ入った一撃。このナイフは地雷ではなく、刀身に神経毒が塗られている。実に古典的だが、古典より語り継がれているのには理由がある。人類はそう簡単に抗えぬものなのだ。
 効きはじめであればあるいは魔法で何とかなっただろう。しかし、並列した高度な魔法の行使、痛覚遮断の魔法がスミノフ中佐に異変の発見を遅らせた。今は既に魔法を行使するために意識をまとめることすら困難になっていることだろう。
「立っているのも辛いだろう。あと数分、楽にしておけ。」

 敵が自身に語り掛けてきていることを悟ったスミノフ中佐は、急いで自身に言語翻訳の魔法をかける。敵兵のその言葉は、表面上はこちらを慮る言葉であった。だがその実、馬鹿にした言葉であることに間違いはないだろう。
「舐めるな…ァ!」
 スミノフ中佐は痛覚遮断の魔法を解き、痛みによって意識を覚醒させる。防御などいらない。全力の攻撃を以て目の前の敵を屠らなければ、あるいは残った部下たちにも危害が与えられかねない。
 スミノフ中佐の内に、感じたことがないほどの魔力の奔流が流れる。これを放てば自身もろとも半径数百メートルを消し炭にできるであろう。だが、それでこの危険分子を亡き者にできるならばそれでよい。自分程度いくらでも代わりがいるのだ。

 と、スミノフ中佐が浅霧を睨みつけた時だった。甲高いラッパの音と共に、友軍からの通信が入る。神聖ソビエト帝国の第四魔術師大隊、その残り20名の到着だ。
「黒いの、残念だったな。我々の勝利だ。大人しく投降するのだ。」
 勝利を確信し、黒い機体に語り掛けたスミノフ中佐に入った通信は、しかしあまりも驚くべき内容であった。
「中佐…撤退の合図を。」

「浅霧機動特務。こちら状況終了、です…」
 第三機動部隊佐藤からの通信が浅霧に入ったのは、スミノフ中佐が体に魔力を溜め始めた時であった。あまりの通信内容に遠方の友軍を確認すると、満身創痍の彼らの前に、残っていた魔術師7名の案山子・・・が出来上がっていた。
 少なくとも彼らはあんな死者の尊厳を奪うような戦い方はしなかったはずだが…
「佐藤、これは一体どういうことだ…?」
 思わず尋ねる。友軍の様子を見れば、こんなに一方的に魔術師を倒せるような状況でなかったのは明らかだ。それがいきなりこの状態では、あまりにもおかしい。
「それが我々にもわからないのです…。正直に答えますと、いきなり死んだとしか…」

 その戦場にいる誰にも、今何が起きているのかはわからなかったが、スミノフ中佐だけは今何をすればよいのかはわかっていた。
「…撤退だ!本国で立て直しを図る!」
 先ほど練っていた魔力を推進力として用いて氷の道を辿ってきた大隊に合流し、戦場を後にする。神聖ソビエト帝国軍の最初の一手としては、あまりにも深い痛手であった。
 撤退するソビエト帝国軍を追撃する余力は日本側には残っていない。浅霧は遠くなる彼らの姿を、案山子越しに眺めることしか出来ないでいた―――


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