
本屋で出会ったおばあちゃん
「本屋のにおい」が大好きだ。店内に入った瞬間に感じる、紙とインクの混ざりあったにおい。紙の本を手に取って読むことはできなくても、目の前に何百冊もの本が並んでいて、一冊一冊に物語や知識が詰まっていると思うだけで気持ちが浮きたってくる。
久しぶりに娘と本屋に行った。その日の朝出没したGを退治してくれたお礼に、好きな本を私と夫それぞれから買ってあげることになっていたのだ。
「ママ、これだよ」
娘がお目当ての漫画を二冊取り出し「ここにあるよ」といつものように私の手に触れさせてくれた。
「わかった。他のも見なくていいん?」
「うん、大丈夫」
満足気な娘とともに、レジの列に並んだ。
二台あるレジでは男性と女性の店員さんがそれぞれ対応をしていた。店員さんの声と自分との距離から、列の長さがだいたい分かる。あと3、4人ぐらいかなと目星をつけていたとき、娘が
「ママ、並んでるから」
と教えてくれた。
レジの順番を待っている私の耳に、お客さんと店員さんのやり取りが聞こえてきた。
お客さんは70歳を超えていると思しきおばあちゃんで、本の予約をしている様子だった。50代ぐらいの女性の店員さんが、お客さんの電話番号をを確認していた。
「この本、すごくよかったんだけどね、友達から借りたものなのよ。私、いい本には書き込みしちゃうから、自分で同じもの買おうと思って」
おばあちゃんは興奮気味に、一生懸命話している。
「はい、そうですか。入荷されたらご連絡しますね」
電話番号をを控えた店員さんは事務的な声で受け流している。余計なことは何も言わなくていい、とでも言いたげな調子で。
「ありがとう。いい本はいろいろ書き込みしたくなるじゃない?でも、人の本だからさ。それはできないでしょ。だから私もこれ買おうと思って」
同じ話を繰り返すおばあちゃんに、店員さんはいらだちを募らせながら一本調子で突っぱねた。
「はい。そうですね。またご連絡しますから」
「大丈夫よ。ここ毎日散歩で通るから、ありがとうね」
「ありがとうございました。お次のお客様、どうぞ」
追い出されるようにしておばあちゃんが店からいなくなった後、私は悲しくなった。長くやり取りを交わさなくていい。一言二言でも「あなたの話をちゃんと聞いていますよ」というサインを、おばあちゃんに示してほしかった。
表情が見えない私にとって、相手の声が与える印象は大きい。
おばあちゃんと店員さんの会話を思い出しても、店員さんが笑顔で接客していたとは思えない。
笑顔を作っていたとしても、声は鋭くとがっていた。聞いているこちらの心にまでグサグサと突き刺さった。
店員さんはどうしてあんなに冷たい応対をしていたのだろう。
とにかく忙しくて疲れていたのかも知れない。何か嫌なことでもあったのかも知れない。
あるいは、後ろで待っているお客さんが「早くしてよ」と言わんばかりの表情だったのかもしれない。
1分もないほどのやり取りも待てないほどイライラしたお客さんばかりなのだとしたら、それもまた寂しい。
本を予約していたおばあちゃんの姿が、関西で一人暮らしをしている86歳の祖母と重なった。
自分がどうしてその商品を買うのか、買ったものをどうするのか、楽しそうに店員さんに話す様子が脳裏をよぎる。
1月に母が亡くなってからというもの、誰かと話すことが少なくなったと言っていた祖母が
「買い物したときにちょっとレジの人と話すぐらいやわ」
と言っていたのを思い出した。
明るくて人が大好きで心の温かい祖母も、冷たくあしらわれているのだろうか?
あのおばあちゃんが本を受け取りにきたときには、笑顔で対応してほしい。
お友達から借りた本には書き込みができないこと、だからこの本を買ったのだと同じ話をしたとしても、笑顔で本を手渡してあげてほしい。
列に並ぶお客さんも、笑顔でおばあちゃんを見守ってあげてほしい。
「あなたの話を聞いていますよ」
誰かに向けたやさしい気持ちは、何倍にもなって返ってくるから。