髪に託した思い
「ヘアドネーション」という言葉は聞いたことがあったものの、具体的なことは何も知らなかった。それが一気に自分事になったのは約3年前、2019年3月のことだ。半年ほど前から癌治療をしていた母が、薬の副作用で髪が抜け始めたと知ったのがきっかけだった。母と私たち3姉妹のlineグループに
「髪の毛抜けてきたわ」
とメッセージがきた。二つ下の妹は
「一緒にウィッグ見に行こう」
と返信し、七つ下の妹はニット帽を送っていた。私は医療用ウィッグとはどういうものかを調べ始めた。どうやって作られているのか、どれぐらいの値段なのかを調べていくと、人の髪の毛が入るほど値段が上がっていくのだと知った。
「ヘアドネーションのために髪を伸ばそう」
と決めた。ショートカットの私の髪が提供可能な31cmになるまで、母が元気で生きていますように。伸ばしていく過程を見せられますように。誰にも言わずに一人で願掛けをした。
「私、ヘアドネーションするために伸ばすわ」
電話で母に話した時のことを憶えている。
「そんなこと言われると元気になるわ」
答えてくれた声は優しく力強かった。
「髪の毛どんな感じなん?」
と尋ねると
「もうないで。朝起きたら枕にすごい落ちてるし、髪の毛気にしながら生活するのが嫌になってきたから、洗面所で下向いてガーッとやったらないわ」
とあっけらかんと話していた。口調とは裏腹に、悲しかっただろう。何より母の事なので自分に腹立たしかっただろう。
せっかく髪を伸ばすならきれいなロングにしたいなと思っていた。ヘアオイルや洗い流さないトリートメントをいろいろ試したり、結べるようになってからはヘアアレンジやヘアアクセサリーにも興味を持つようになった。
長くなってくると、洗うのも乾かすのも時間がかかるようになり、お風呂の排水溝はすぐに詰まるし、長さがある分一本ずつの抜け毛も目立つようになってきた。それでも、子供のころからショートカットだった私は、手入れが大変ながらもロングを楽しんでいた。
実家に帰る度に母に
「見て見て?めっちゃ伸びたと思えへん?」
と見せると
「ほんまや、長くなってるな」
と答えてくれたのが嬉しく、時間を置いては
「見てみて?すごいやろ」
と言う私に
「分かったって。もうええから」
と答えてくれていたことが懐かしい。
私の髪が長くなるに連れて、母の体力は衰えていった。昨年1月、最後に実家で母と会ったときも、背中を向けて結んでいた髪をほどいた私は
「見てみて?長くなったやろ」
と母に問いかけた。
「ほんまやな。きれいやわ」
と言ってくれたことを思い出す。
髪を伸ばそうと決めてから約3年が経った。母の初めての命日にドネーションカットの予約を入れた。
「断髪式やな」
と夫。
「バイバイ、ママの髪。またね」
と言ってくれた娘に見送られて美容院へと向かった。
「一番長いところで33cmありますね」
長さを図りながら美容師さんが教えてくれた。10年近くカットしてくれている方で、伸ばし続けている私の髪を定期的にメンテナンスしてくれていた。ドネーションカットは、髪を濡らさない状態でゴムでいくつも小さな毛束を作って、ゴムの上をザクっと切るという流れだ。
「一つだけ私に切らせてもらうことはできませんか?」
と尋ねると
「いいですよ。やってみましょっか。じゃぁ、一つ小さい束を作りますね」
と言ってくれた。さらに
「せっかくだし、写真撮りますよ」
と、動画と写真を撮ってくれた。最初の一束を切らせてもらうことになり、左手でゴムの少し上を持ち、右手で鋏を入れた。
サクッという音と共に左手に残った髪の束。母が亡くなった喪失感をこんな風にすっと私の中から切り離すことはできなくても、すがすがしい気持ちが残った。
医療用ウィッグを必要としている人の力になりたい、母が元気でいられるようになにか心の支えになることをしたいと思ってここまでやってきた。短くなった髪を触って改めて思うのは、誰かのため、母のためと思っていたのはどれも私自身のためだった。母の癌との戦いを支えるために、髪を伸ばすことで私は自分自身を支えていた。私の髪が医療用ウィッグとして使われることで一番救われているのは私自身だ。
美容院を出て、チョコレートが好きだった母を思って、シンプルなチョコレートケーキを三つ買った。髪が短くなった私に
「心機一転やな。ええんちゃうか」
と言ってくれた夫。
「よく切ったね。そんな勇気私にはないな」
と言ってくれた娘。三人で母のことを話しながらチョコレートケーキを食べた。
次のドネーションカットに向けてまた数年かけて伸ばそうと思う。初めての命日を思い出しながら、次にカットするときはどんな気持ちでいるのだろう。髪が長くなっていくに連れて、母への想いもどう変化していくのか、心の中を観察していきたい。