【釈迦堂遺跡博物館】企画展「Jomon Collection-甲州市-」を見に行く
はじめに
釈迦堂遺跡博物館では、新たな企画展として「Jomon Collection-甲州市-」(2024.1.31~5.27)が始まりました。
「Jomon Collection」は日本遺産「星降る中部高地の縄文世界」の県内市町村の構成文化財や縄文時代の資料を展示するシリーズです。昨年の笛吹市に続き第2回となる今回は甲州市の所蔵する資料を展示しています。市内の遺跡とともに、水晶の原石と採掘場跡や水晶を加工していた遺跡を紹介しています。
「Jomon Collection-笛吹市-」の模様はこちらをご覧ください。
Jomon Collection-甲州市-
企画展「Jomon Collection-甲州市-」(2024.1.31~5.27)は一階の企画展示室で行われています。甲州市から出土した縄文遺跡の資料、とくに80点余りの土偶のほか個人蔵の水晶の原石などを展示しています。
展示室は中央に水晶の原石が配置され、左右に土器や石器など遺跡に関する展示がされています。奥にはバラバラの状態で発見された土偶を80点余り展示しています。
甲州市は、甲府盆地の東側に位置します。2005年(平成17年)、3市町村の合併(塩山市、勝沼町、大和村)により発足しました。「甲州市」の名は甲州葡萄、甲州ワイン、甲州百目柿、甲州鞍馬石など「甲州」の名が当地の名産品に多く使われていたことによるといいます。
しかし水を差すようですが、平成の大合併が積極的に進んだ山梨県では、新市の名前に甲州市、甲斐市、中央市などが採用されました。甲府市と山梨市はすでにあったため、似たような自治体名が乱立し県外の人には分かりにくいと物議を醸しました。
甲州市には甲府盆地に向かい扇状地が形成されており、下記の分布図からも扇状地に多く遺跡が分布していることが分かります。
水晶の原石
まず注目の展示として、水晶の原石があります。この原石はいずれも甲州市竹森地区の山から産出したものです。
原石が2種並び入ったケースです。原石はいずれも甲州市内の個人所蔵のものです。
続いても、竹森から産出した水晶の原石です。
こちらも水晶の原石ですが、竹森で採集したものだといいます。
竹森にあった水晶鉱山についての解説や写真があります。竹森の採掘地は水晶山と呼ばれていました。
明治期と思われる採掘場の写真を紹介したパネルがあります。水晶山の採掘地は傾斜の険しい山肌であったことが分かります。写真には「甲斐物産商会、竹森水晶山採鉱部」とあります。
大正4年発行の『東山梨郡誌』には「竹森水晶坑」の記述があり、それによれば山は4人の所有者がいて、採掘は明治6年から始まり、明治12年から明治45年まで大量に採掘できたものの、その後は少なくなったとあります。
続いてカラー写真は現在の水晶山の様子です。採掘時に彫り出されたこぶし大の石が転がっているといいます。
また、現在も場所によっては水晶の塊が残っているといいます。ただし山は個人所有のため無断で立ち入ることはできません。
ところで、竹森で採掘された水晶は、電気石入水晶だったといいます。電気石とは針状の黒い物質のことで、これが含まれるのことが竹森産の特徴でした。下記パネルの画像にて針状の黒い物質が分かります。
釈迦堂遺跡でも水晶の石器が見つかっていますが、8割は竹森産の水晶だといいます。
乙木田遺跡(水晶加工場の跡)
乙木田遺跡は、甲州市塩山玉宮に位置します。水晶を加工した石器とともに加工場の跡が確認されており、全国的にも珍しい例といわれています。
山梨学院大学考古学研究会が水晶加工集落の研究と調査として1989年(平成元年)、1990年(平成2年)の2度発掘調査を行いました。
水晶から削り作られた石鏃や石錐があります。本来であれば黒曜石から作られる種類の石器ですが、水晶が用いられています。これらは加工場の跡と思われる住居跡から出土しています。水晶の加工場であったことは水晶の剥片が出土していることからも推測できます。
加工場の跡からは、水晶の原石と台石と敲石も出土しています。水晶は乙木田遺跡の近くの産出地のものといいます。
乙木田遺跡の縄文時代中期の深鉢型土器や土器片です。
宮之上遺跡
宮之上遺跡は甲州市勝沼に位置します。縄文時代中期の住居23軒と土坑40基が発見され、土偶は89点も出土しています。
まずこちらのケースには深鉢型土器が4点並びます。
土偶
土偶も注目の展示です。甲州市では160点の土偶が出土していて、そのうち今回80点余りを展示しています。
ふたつのケースで展示されています。ひとつめのケースは、宮之上遺跡から発掘された縄文中期の土偶です。宮之上遺跡は甲州市勝沼にあり釈迦堂遺跡にも近く、土偶はバラバラの状態で出土しています。壊されるという行為について釈迦堂遺跡の土偶と同じように行われていたことが分かります。ご存じのようなに釈迦堂遺跡からは土偶が1116点出土していて、すべてが国の重要文化財に指定されています。
まず土偶の頭部があります。一本眉、つり目など中部高地の土偶にみられる特徴を備えています。左手前の唇の厚い顔は南アルプス市の鋳物師屋遺跡の円錐形土偶(子宝の女神ラヴィ)に似ています。
参考ですが、鋳物師屋遺跡の円錐形土偶の画像です。先月撮影したものです。
隣は、胴体、腕などの部分です。
中央のお腹に手を充てている土偶は妊婦のようです。こちらも鋳物師屋遺跡の円錐形土偶に似ています。
また右半身はありませんが、両腕を大きく広げような姿はバンザイ土偶とも呼ばれ、同様なものとして笛吹市の桂野遺跡の土偶(ヤッホー)が有名です。
参考ですが、画像の左から2つ目が桂野遺跡の土偶(ヤッホー)です。
さらに隣は、下半身や脚の部分です。
ふたつめのケースです。宮之上遺跡のほかに前田遺跡、小山平南遺跡のものでいずれも縄文中期のものです。
こちらも頭部がありますが、宮之上遺跡の猿の顔にも見える土偶があります。その隣の前田遺跡の土偶はほっぺたが丸く赤くなっていて愛敬があります。小山平南遺跡の土偶はつり目に一本眉ですが、その上に大きく冠のような装飾があります。
胴体や足の部分です。下半分が茅野市の国宝「縄文のビーナス」に似たものもあります。
こちらの首のない上半身は、おなかに手をあてた妊婦さんのようです。右側は鋳物師屋遺跡の円錐形土偶「子宝の女神ラヴィ」よりずっと小さいですが、底には同じように穴があけてあるの分かります。こちらも鳴子を入れて土鈴にしていたのでしょうか。
こちらも土偶頭部です。猫のような顔、片目だけりもの、「縄文のビーナス」に似たものなど多彩です。
天神堂遺跡、梶畑B遺跡
天神堂遺跡、梶畑B遺跡より土偶と土器の紹介です。
天神堂遺跡は甲州市勝沼下岩崎の位置します。2006年(平成18年)に発掘調査され、縄文早期から中期後葉、弥生時代、古墳時代、奈良時代、平安時代、近世と幅広い時期の遺構がある遺跡です。
土坑から発見され縄文中期の完成形の土器2点が展示されています。
天神堂遺跡の土偶もあります。頭部の片目が開いていない隻眼が特徴的です。
続いて梶畑B遺跡ですが、トロフィー型の土器の先端部が発見されています。縄文時代前期後葉の土器と考えられます。
千手院前遺跡
千手院前遺跡は甲州市塩山上塩後に位置します。2015年(平成27年)に発掘調査が行われました。
2023年(令和5年)に報告書が各行されました。調査によって縄文時代早期から後期から弥生時代までの生活の跡が確認されたといいます。展示されている土器と石皿は初公開となる資料です。
大型の深鉢形土器は中期後葉の土器で埋甕に使われたと思われます。右の土器は前期後葉のものです。
石皿はすり減って穴があいたのでしょうか。それとも穴をあけて廃棄したのでしょうか。
入口のオブジェ
ふと、2メートルほどある水煙文土器のような木彫りのオブジェを見つけました。東京芸術大学の学生の作品で、キャプションによれば、イチョウの木とのこと。
年明けより飾られており、こうした縄文をテーマにした芸術作品の公開にも協力されているようです。
おわりに
昨年の笛吹市に続いて、甲州市の縄文遺跡を紹介するシリーズ展示でした。水晶の産出地と聞くと昇仙峡の奥の金峰山が思い浮かぶのですが、甲州市からも近代まで水晶が採れていたことがよく分かりました。大型の原石は見る価値ありです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?