【勝沼の甚六桜】散り始めたスイッチバック駅の跡の桜(2024.4.13)
はじめに
JR中央本線の勝沼ぶどう郷駅の甚六桜は、かつてのスイッチバックの引き込み線跡を中心におよそ1000本の桜が植えられた県内有数の桜の名所です。
大日影トンネル遊歩道の通行再開を聞き、4月の初めに訪れた時は、まだ2分咲き程度でした。夕刻でしたが再び近くまで来たついでに覗いてみましたが、こんどは満開を過ぎ風に吹かれ散り始めていました。なかなか思うようにはいかないものです。
昨年の模様はこちらをご覧ください。
甚六桜(再掲)
この桜並木は甚六桜と呼ばれています。勝沼ぶどう郷駅のある菱山地区の後継者グループ「甚六会」によって、1977年(昭和52年)からソメイヨシノの苗木が植えられ、手入れされてきました。その数はおよそ1000本となっています。
勝沼駅とスイッチバックの跡
駅名は1993年(平成5年)に勝沼駅から勝沼ぶどう郷駅に改称されています。
中央本線の甲府開業は1903年(明治36年)です。それより遅れること、1913年(大正2年)に地元からの要望で勝沼駅として設置されました。
笹子トンネルからの急勾配を避けるという地形上の制約から線路は塩山駅へ向かい大きく迂回しています。その途中の菱山地区に駅が設けられました。甲州街道の勝沼宿と離れた山の上です。
甚六桜公園
かつてのスイッチバックの引き込み線跡が駅舎の両側におよそ2キロメートルに渡り残ります。この引き込み線跡を中心に1000本の桜が植えられ甚六桜と呼ばれ、県内有数の桜の名所になっています。
訪れた時間は夕刻でしたが、日没まで時間があるせいか今からでも車で訪れた人、列車から下車してカメラを構える人がいます。
下り方面(甲府方面)は甚六桜公園と命名されています。ホーム跡が一部残されています。
駅前甚六公園
上り方面(東京方面)にも引き込み線の跡は残ります。こちらは、駅前甚六公園といいます。
貨物牽引に活躍したしたEF64電気機関車の18号機が静かに余生を送っています。1966年(昭和41年)に製造され、2005年(平成17年)に引退しました。スイッチバックの時代も知る中央本線の生き証人です。2021年(令和3年)にはクラウドファンディングにより資金を集めペンキの塗り直しを行うなど大切に管理されています。
さらに上り方面へ進むと、引き込み線の終端があります。その先には階段状の歩道があり、この春より通行を再開した大日影トンネル遊歩道があります。
おわりに
あいにく満開は過ぎて花吹雪になっておりましたが、甚六桜を紹介しました。ついでに立ち寄って撮影したため、丁寧に撮れておりませんのでお許しください。山梨の桜は、北杜市など北の方角や標高の高いところはまだ楽しめますが、盆地やその周辺はもう終わりを迎えました。