【歌舞伎文化公園】團十郎家の紋にちなむぼたん園(2024.4.27)
はじめに
甲府盆地を望む市川三郷町の三珠地区は、市川團十郎家(堀越家)発祥の地であり、先代團十郎が熱心に携わって開園した歌舞伎文化公園があります。
團十郎家の紋(替紋)である牡丹にちなみ、園内にはぼたん園があり4月下旬に見頃を迎えます。
訪問時は、すでに見頃を過ぎていましたが、それでも色とりどりに花が残っていました。以前記事で紹介したのは猛暑の時期でした。すっかり雑草に覆われていたぼたん園でしたので、今回は咲いている牡丹の様子を紹介いたします。
團十郎家発祥の地である所以、及び、歌舞伎文化資料館についてはこちらをご覧ください。
三升紋と杏葉牡丹(再掲)
市川團十郎の紋は定紋の「三升紋」と替紋の「杏葉牡丹」です。
三升紋は3つの升を入れ子に重ねたものです。諸説ありますが、外側が京枡に比べ大きい(通常の一枡の3升分)と言われてる甲州升、次いで京枡1升、京枡5合とこちらでは説明しています。
杏葉牡丹の紋は2代目團十郎のごひいきであった6代将軍徳川家宣の側室の側近から牡丹の着物を贈られたことにちなみます。その着物を着て演じたのが「助六」と言われています。
今も「助六」は牡丹の紋の着物で演じます。画像は歌舞伎文化資料館にある助六を再現した人形です。モデルは海老様こと11代目團十郎です。
ぼたんの花まつり
歌舞伎文化公園は2万平方メートルの敷地内があり、ふれあい広場、ふるさと会館、歌舞伎文化資料館、ぼたん園などがあります。
昨年9月に「財政非常事態」を宣言した市川三郷町では、歌舞伎文化公園の施設のうちハコモノである、ふるさと会館、歌舞伎文化資料館の開館日を金土日と祝日のみに縮小しました。
確かに連休前半だというのに、入館者のいない歌舞伎文化資料館です。
さて、合併前の三珠町時代から、見頃の時期に合わせて「ぼたんの花まつり」が開催されてきました。感染症対策による中止もありましたが、通常規模に戻り今年は4月21日に開催されています。
ぼたん園
歌舞伎文化資料館の前庭がぼたん園になっています。100種類2000本の牡丹を植え付けたといわれています。市川團十郎発祥之地の碑もこの中にあります。
見ごろを過ぎた感はありましたが、花が残っていてくれました。中には花びらの落ちた品種もありました。
100種類2000本と言われていますが、数えたわけではありませんが、そんなにたくさんは無いように思います。「財政非常事態」宣言より前から手がゆき届いていないのでしょうか。
園内は薄黄色や白色の牡丹が目立ちます。赤系の牡丹は時期を過ぎてしまったのかもしれません。
いくつか種類を見てまいりましょう。「八千代椿」は八重咲きで桜色の花で中輪の品種です。
「鶴椿」は白で八重咲の大輪の品種です。
一方「芳起」は紅色で大輪の品種です。
また、下記画像は分かりにくいですが「島鑑」は変異で生まれた紅色に白が混ざった品種です。
薄黄色で八重咲きの大輪の花は「ハイヌーン」といいます。フランスで作れた品種です。遅咲きのせいかハイヌーンは多く咲いていました。
園内には藤棚もあります。垂れ下がるように薄紫色の藤の花が咲いています。
資料館の建物には、大きな隈取りのパネル(景清、暫、助六)が配されています。また、助六と太夫揚巻の顔出しパネルがあります。
市川團十郎発祥の碑
牡丹園の中ほどに市川團十郎発祥之地の碑があります。先代の12代目團十郎が1984年(昭和59年)朽ちることないようにと御影石による碑を建立したものです。
解説板によれば、アフリカ産の御影石で作られていて、高さ2メートル、幅90センチメートル、奥行き80センチメートルです。上部に定紋の「三升紋」をデザインしています。
牡丹が見頃を迎える時期は良く映えます。
周辺にも牡丹
マンホール蓋のデザインも牡丹になっています。ただし合併前の三珠町のものです。
飲料の自販機にも牡丹があるのを見つけました。その隣は全国的に有名な市川の神明の花火です。
おわりに
猛暑の訪問時にぼたん園があまりに無残だったため改めて見頃の時期に訪ねました。とはいえすでに花の見頃を過ぎていましたが、それでも楽しめました。ただ牡丹の開花時期はごくわずかで他の期間には見るところがないので隣接する歌舞伎文化資料館とともにぼたん園では集客は難しいものと改めて思ったのでした。
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