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【無銘の巨塔】甲州街道を見おろす未完の巨石

はじめに

 無用となった建築物をトマソンといいます。その語源は赤瀬川原平らが提唱したもので、プロ野球ジャイアンツの助っ人外国人のゲーリー・トマソンに由来します。
 建築物でなくても、無用な歴史上の物件を見かけることがあります。そんな歴史上のトマソンとして甲州街道台ヶ原宿近くの旧道の脇にある、巨石を紹介したいと思います。
 ちなみに、筆者はトマソンとは巨大かつ存在感がありながら、用をなしていない物体ともともとは理解していたのですが、トマソンには無用の美という要素も含まれるのでやや理解がずれているようですが、お許しください。

台ケ原宿

 台ケ原宿は北杜市白州町にあります。韮崎宿(韮崎市)の次の宿場です。本陣、脇本陣のほか旅籠が並ぶ宿場町として栄えました。
 現在も国道20号を一本内側の道へ入ると、古い民家や蔵が点在し、酒蔵「七賢」や和菓子「台ケ原金精軒」が店を連ねるなど風情のある街並みを残しています。1986年(昭和61年)に「日本の道100選」に選ばれています。
 毎年10月には「台ケ原骨董市」が開かれていて、骨董やクラフト工芸の出店が宿場の通り並び大いに賑わいます(2020年、2021年は中止)。

古道入口

 台ヶ原宿へ至る途中に旧道が残されています。
 国道20号を甲府・韮崎方面から信州へ向かいます。台ケ原宿の手前、尾白川橋を渡るとすぐに「甲州街道 古道入口 はらぢみち」と書かれた石碑が歩道の脇にあります。ここからが旧道です。

旧道への入口
信州方面、急な上り坂の先に台ケ原宿
甲府・韮崎方面、尾白川を渡る尾白川橋

横山の道標

 旧道を歩き、すぐに目に入るのが道標として馬頭観音が3体並び立っています。2005年(平成17年)に台ヶ原区が設置した案内板によれば、この道標は台ヶ原宿に現存する唯一の道標とのこと。
 また、馬頭観音の側面に「右 かうふ道 左 はらぢ道」と記されているとのこと。そしてこの古道が「はらぢみち」とも言われた道であると書かれています。
 ここは甲州街道の旧道のはずですが、甲州街道=はらぢみちと理解してよいのでしょうか。この点については後述します。

道標である馬頭観音
「はらぢみち」であるという案内板

無銘の巨塔

 横山の道標のすぐ先に、横山の丘の先端に、その巨石はあります。すでに旧道の入口の石碑から見えていた丘です。夏は木々に覆われてしまいますが、葉が落ちる冬には国道からでも巨石の姿がはっきりと分かります。

国道からでも木々の中に巨石が見える

 丘のふもとには案内の石柱があります。この石柱も含め無銘の巨塔の周辺は平成28年に台ケ原区で整備したものです。

ふもとの石柱

 丘の頂上へ向かう石段はかなり急です。落ち葉ですべり足をとられます。特に降りるときに注意が必要です。階段は古い石段と近年整備した金属製の階段が混在しています。

何かの再利用か、穴のある古い石
頂上が見えてきた

 頂上はきれいに整備され、何も刻まれていない巨石があります。高さ18尺、幅6尺、奥行き5尺の推定38トンの安山岩です。
 長坂町日野の見法寺と白州町白須(ともに現北杜市)の蓮照寺が中心となり、明治14年の日蓮の六百遠忌に向けて、題目を刻んだ巨塔を作る計画でした。尾白川対岸にある中山から十数年の歳月をかけて石を切り出し運び出しました。しかし、資金難により明治4年に釜無川を渡れず頓挫します。翌年には山梨県より近くの花水橋の橋脚にするよう指示を受けますが、実行されず、題目を刻めぬまま巨石だけが横山の丘に残されました。
 長らく木々に埋もれ放置状態だったのですが、2016年(平成28年)に無銘の巨塔整備事業により周辺が整備され見法寺による解説板が設置されました。

正面から
背後から

 丸太を敷いて、曳いたようですが、曳綱も保管されています。

シュロ制の曳綱

向かい合う現代の巨塔

 国道20号をさらに信州方面に数百メートル進むと向かい合うコンクリート製の巨塔があります。

向かい合う巨塔

 実は巨塔でもなんでもなく、国道にかかっていた歩道橋の橋脚だけが残されたものです。
 2019年(令和元年)、国道を走るクレーン車が歩道橋に接触し、歩道橋に亀裂が入るという事故が起きました。すでに小学校は廃校となっていて通学路として歩道橋は役目を終えていたことから、2020年(令和2年)1月に歩道橋の撤去作業が行われました。その結果、橋脚部分だけが残されたのです。
 ある意味、こちらが正確なトマソンでしょうか。

鳳来小学校跡(左)と歩道橋の跡

本当に「はらぢみち」か

 さて、ひとつおかしな点に筆者は気が付きました。旧道入口の石碑には「甲州街道 古道入口 はらぢみち」とありました。

入口を示すうえに「はらじみち」とある

 「はらじ」は「原路」と書きます。結論から言うと、この道は甲州街道の古道ですが「はらじみち」ではないはずです。
 なぜなら「原路」は釜無川、尾白川が氾濫したときの甲州街道の代替ルートとして、韮崎宿から新府城を通り、穴山、長坂(日野春)を通り小淵沢を経て信州へ抜けるルートのことです。七里岩の高いところを通るJR中央線をイメージしてください。
 ご覧のように甲州街道は川沿いを進んでいます。「河路かわじ」といいます。この「河路」が甲州街道の本ルートであり、この道を「はらぢみち」と案内するのは明らかにおかしいのです。

道標である馬頭観音にも「はらぢ道」と

 馬頭観音の側面に「右 かうふ道 左 はらぢ道」と刻まれていました。「かうふ道」は甲府へ向かう道、つまり甲州街道の本ルートを指していているのでしょう。「はらぢ道」は甲州街道とは別ルートであり、馬頭観音は道標ですから旧道の真ん中ではなく分岐点にあるべきです。
 どうやら台ケ原宿へ行くと、花水橋を渡り代替ルートと結ぶ道筋があるので、本ルートとその道筋の分岐点にあるのであれば分かります。
 本当に馬頭観音はここにあったものでしょうか。さらに、案内板は平成17年に台ケ原区で整備したものです。馬頭観音がなんらかの理由でここにあり、その前提で「はらじみち」と紹介してしまっていないでしょうか。
 ちなみに、近年整備したであろう石柱には「はらぢみち」とはありません。

「甲州街道・古道」、「はらじみち」の表記はない
「甲州街道・古道」、「はらじみち」の表記はない

おわりに

 歴史上のトマソンとして、無銘の巨塔の紹介のつもりでしたが、調べているうちに「はらぢみち」(原路道)の表記に疑問が残るという顛末になりました。
 機会を見てもう少し調査してみたいと思います。

参考URL
「やまなし歴史の道」甲州街道 (2023.2.8閲覧)
https://rekishinomichi-yamanashi.jp/ja/michi/1.html


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