【甲斐敷島梅の里】敷島総合公園と矢木羽湖の梅園(2024.3.2)
はじめに
甲府盆地の北西端に位置する甲斐市の牛句地区(旧敷島町)は梅の里として山梨県内の梅の名所のひとつとして親しまれています。
敷島総合公園にある梅園からは甲府盆地を一望でき、自由に散策しながら梅の花を楽しめます。また、近くの矢木羽湖は湖畔の斜面に梅園があり湖の景観と梅の花が楽しめます。
3月に入り梅が満開との地元紙の報道もあり出掛けてまいりました。
盆地を見下ろす
甲斐敷島梅の里へは、甲府市内の北部を東西に走る県道6号(通称北バイパス)から昇仙峡(国の特別名勝)に向かう県道101号敷島竜王線を進みます。
案内標識のある交差点は盆地から山間部へと変わる辺りで、ここから山の上まで一気に登ります。
途中に自然休養林管理センターという管理事務所のような建物の駐車場に車を停めて盆地を撮影しました。梅の里というだけあり、いたるところで梅の花が咲いています。
梅の里の案内看板がありました。ところどころ錆びていて色褪せています。敷島町の時代に設置したもののため「甲斐市」と上から張り付けた跡があります。
筆者の目的地は、案内図の中央に敷島総合公園があり隣接する梅園(画像左下)と矢木羽湖畔の梅園(右上)です。
敷島総合公園の梅園
まず先に向かったのは、敷島総合公園です。この公園は約8ヘクタールの広さがある運動公園です。この公園は1986年(昭和61年)に行われた国民体育大会(かいじ国体)のアーチェリーの競技会場になったことで整備されたものです。
1986年(昭和61年)から令和へタイムスリップするコメディドラマが話題ですが、昭和61年の山梨は国体の開催を控え甲府駅が新しくなり、道路(アルプス通り)や中心会場となる競技場が建設されるなど、県民の機運は盛り上がっていたといいます。
余談ですが、現在も残る国体のレガシーとして山梨県警のキャラクター「ふじ君」がいます。もとは国体の「ふじくん」("くん"はひらがな)でした。お役御免となり昭和63年から山梨県警に逆天下ったのです。このキャラクターの転用については、著作権を主張するデザイナーが山梨県訴えるという「事件」にも発展しています。
話が逸れましたが、この敷島総合公園では急な斜面と谷部分が梅園として整備されています。敷島総合公園の知名度はこの梅園によって高く県民に知れ渡っていると言っても過言ではありません。
駐車場の中ほどに少し分かりにくいものの、梅園に下りる階段があります。下は遊歩道のようになっていて梅の木が楽しめます。
この時期を待っていたかのように、人が訪れ散策しておりました。それでも午前中に来たので人は少なめです。ただし山梨県内はもとより、県外からも来ていることが駐車場のナンバープレートから分かります。最近の傾向でしょうか、中国語で話しているグループも見かけました。
園内には「しだれ梅」「八重紅梅」などの梅が約1200本植えられているそうで、白梅、淡いピンク、紅梅など、さまざまな色合いの梅が楽しめます。
梅の解説した看板がありました。それに依れば、梅は遣唐使が中国よりもたらしたもので、貴族社会にて浸透していった梅は江戸時代には300種にのぼる品種が作られ各地で名木や梅園ができるようになったといます。そうして一般化するとともに果実は食文化の一端を担うようになり生活に密着した存在になったといいます。
舗装された遊歩道を進みます。地元紙の報道では、満開とありましたが、満開にはまだ達していませんでした。
しばらく見物してから、元来た駐車場のほうへ戻りますが、斜面の下なのでかなりの高低差を上ることになります。
矢木羽湖の梅園
近くには、矢木羽湖という溜池がありそちらの梅園も規模が大きいです。敷島総合公園に車を置いたまま散策を兼ねて徒歩で到達することもできますし、台数は少ないですが駐車場もあるので車で移動することもできます。
矢木羽湖は後沢ため池という農業用の用水です。ただこちらのほうを知らない人が多いようで、こちらの梅園の見物客はぐっと少なくなります。
湖の外周を進むと「梅の里梅園」の看板が見てきます。こちらは、湖に面した斜面が梅園になっています。
高台に展望台がありました。湖面が見られるかと思いましたが、大きく成長したピンク色の梅に遮られて何も見えませんでした。
湖水と紅梅、白梅が綺麗に見える場所がありました。
実は白梅のほとんどが枝を落とされていて、一本一本の見ごたえには欠けてます。
おわりに
甲府には不老園という明治時代から続く有名な梅園がありますが、こちらの梅の里のような公園や湖の梅園は、さほど手入れはされていないものの無料で気軽に散策できます。矢木羽湖は意外にも来る人は少ないため湖の景観とセットで楽しめるこちらもおすすめです。
昨年の模様ですが、不老園はこちらをご覧ください。