【『緑の歌』にみる、少女の歌】
人生を通して、遠回りしながらも、決して楽な道には行きたくないと思う時があります。
台北で暮らす少女の緑が、海と陸の境目から様々な動物たちの骸を見るというシーンが特に印象的でありました。
緑はそうした、海岸を巨大な棺桶として捉えている。
携帯の写真で死の形を記録して、海が彼らを回収していくという表現はとても詩的で考えさせられるものがありました。
本作に挙げられる『風をあつめて』という曲、エドワード・ヤンの『一一』、岩井俊二の『リリイ・シュシュのすべて』、村上春樹の『ノルウェイの森』の「苺のショートケーキ理論」、細野晴臣の音楽、そして彼女自身の‘‘緑の歌’’という感情と夢のことを綴ったブログのことなど。
彼女は、バンドを熱心に取り組む南峻に出会い、音楽をきっかけに彼女はしだいに彼に惹かれていく。
触れたことのない日本文化を通じての音楽の魅力、彼との出会いにより、少しずつ彼女は大人へと成長していく。
音楽を通して、彼女は彼との間に言葉はいらないことを理解することを実感するようになっていきます。
言語的な‘‘共鳴’’によるものとは形のあるもの、たとえ形のないものであっても‘‘心にとても深い穴を残していく’’この感覚というものは、若さによる特有な感性であることを痛感させられました。
人の一生のうち、ずっと覚えていたいと本心から思える大切な時間についてのこと、全てが愛しく思えたりしました。
緑は友人のルナの勧めにより、緑の歌を本物の歌として作曲してみることを試みる。
彼女がメモに記す言葉の数々は、どれも彼女自身による感性によるもの。
音楽というものは、文字を超越した言語であることを彼女は理解する。
緑の歌というもの、それこそは一人の少女の人間賛歌だということを本作品を読み終え、実直に感じさせられました。
誰しも、緑と同様に歌というものがあり、その歌というものは人それぞれでありながら、様々な音があり音を紡いでいく。
『緑の歌』という作品に出会い、この類い稀な表現様式は芸術性の可能性を凌駕させた素晴らしい完璧とも呼べる漫画作品でとても感動させられた稀有な才能の表現者だと感じました。
この物語から、自分なりの歌について今一度、考えさせられるきっかけになりました。