【‘‘書き方と書く力’’】
執筆することに抵抗感というものが感じなくなり、ようやく自分なりの型というものが掴めてきたというところがあります。
noteを書くスタイルというのは、あまり意識することはなく、書き方というものを大幅に変えたというわけでもありません。
自分なりの書き方を客観的に見た場合、どのような書くスタイルをとっているのかということをあえて言語化することも難しいものだと感じます。
文章のネタになることがあれば、直接noteの下書きに箇条書きでいいから、規則性も無視して書くことを心掛けています。
思いついたキーワードなどは次第にたくさん書き留められ、それをもとに話の内容を膨らまし、長い文章としてまとめるといった方法が私なりの本来のやり方なのですが、これをするのとしないのとでは明らかな違いがあるものだと思います。
ただ、箇条書きにしたキーワードだけを溜めておくことだけでは意味がないものだと考えています。noteにメモをとる段階で、自分がメモをとったことだけで自己満足してしまい、数日、数ヶ月経ってしまうとキーワードはただの記号だけの意味でしかないと私なりに思います。
下書きの状態でしばらく寝かせてしまっていると、記事を書くこと自体が強制的な義務感を感じられてしまい、書くことに苦手意識が芽生え書けなくなってしまうものだと感じます。
書きたいことが出来れば、熱量が冷めてしまわない内に書きたい衝動に逆らうことなく一気に書き上げることが最良だと考えられます。
ネタのストックも大事なのですが、考えた物事を更に上乗せさせながら、文章に深みを与えて書くことが重要なのではないかと思います。
キーワードをもとに肉付けした記事に結果的な完成度として密度を高める状態に達していれば上出来だと感じます。
なのでこうしたことは、文章を書き続けることで理解出来るものだと思います。
初めは、一言、二言だけでもいい、それが一文となり、長い文章へと変えていく力が書く力でもあり、そうした自分なりの書き方というものは未だによく分からないし、上手く説明が出来ないのも悩みであったりします。
制約というものは、マイルールにはありませんが、書きたいことが出来れば、それは勝手に言葉は言語化される、そんなものだと思います。
書けない時に直面すれば、一旦休んでみることも大切であります。
自分自身を見つめて、自分の中にある感情や思考を織り混ぜながら書き連ねていく。
ただ、それだけだと思います。