[エッセイ]【‘‘語らなくてもいい’’】
語りたいときには、何かしらの言葉を文章として綴ることが当たり前になってきている。
文章として綴らなくとも、声に発すればそれでも自分の言いたいことは伝わるものだと感じる。
たまに、読書することよりも音楽を聴く時間の方が長い時がある。
音楽だって、同様に歌詞やメロディに乗せることで語り得ることは十分可能ですし、音楽には文章を書くことよりも複雑で機能性が色々と備わっている。
例えば、音楽はジャンルに限らず、聴くことや作詞・作曲すること、演奏することなど、多層的な楽しみ方や学び方もあり、視点を変えればいつでも新しい発見があったりする。
だが、書くことも音楽と同じくらいに面白いことがあります。
私の場合、物を書いてる時は、書きながら別のアイデアを生み出しながら、次に書くものも頭の中の白紙に下書きとして同時進行で書いてる感じで、創作しながら別のものを創造しているような感覚に近いものがあり、思考は無意識的にもマルチタクスが働いている気がする。
やや話が脱線してしまったが、語るということは、決して自分語りではなく、脱線することで別の話へと語られるという順序においてもそれは語られているという認識でもいいのではないかと思ったりする。
目の前にうつるものを丁寧に説明することが全てではなく、その時に感じたもの、つまりは観念さえも語ろうと思えば語れる。
語られたものに意味は皆無だし、意味を理由付けしようが、しまいが、それもまた自由であるからそれでいいとさえ思える。
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