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言葉の信頼は危険

『言葉足らず』は時に人を傷つける。

自分だったらわかる(理解出来る)のに は 他人には通用しないと思った方がいい。

これが理解出来ない人は国語力が足りてないのかもね。

という持論を展開する方がたまにいるが、私的にはそれは『自論』のまま心の中にしまっていてほしいなと思ってしまう🥺

どうゆうつもりでこの発言をしたの?

これを言われた方は傷つくとおもいませんでしたか?

っていうやりとりは基本的に明るい決着(それぞれが納得する決着)はつかないと思っている派です。


そう思われる原因のひとつにあるのは

絶対的な 言葉足らず だと思う。

SNSなんて特に文字数制限があるものについては自分の気持ちや、この発言をするに至った経緯なんて述べる余裕なんてない。

仮に文字数制限がなく、勘違いされないように言葉を全部詰め込んだとしよう。

その発言をするに至った経緯を話すには、私が過去にこうゆう経験をし、学び、ここはこうした方が私はいいと思った、だからこの行動はここが間違っていて、こうゆうことをするのはなんでなのかすごく気になった~…(うんぬんかんぬん)

とかよくわからない自分語りが始まってしまうのだ。

その発言をされた方も だからなに? とか、あっそってなって結局お互いが明るい決着をつけることは不可能になると思う。

日本人は特に(日本語は特に)言葉足らずでも通じてしまう言葉があるから尚更である。

ただそこで怖いのは言葉足らず のために そこに発した側の思いを想像でねじ曲げたり、勘違いが起こる可能性があると言うことだ。

例をあげるなら『好き』だろうか

男女でいたとして夜景をみてて女の子が『好きだな〜』って呟いたとしよう。

女の子の言い方によって男側は『夜景』が好きなのか、はたまた『告白』してきたのか、それともその夜景をみてなにか思い出したその何かについて好きだと言ったのか想像しなくてはいけない。


英語や他国語ならこんなに複雑に考えることは無いだろう…


日本語は良くも悪くも 言葉足らず で人に発言できてしまうのだ。


言葉の中に隠された言葉を考えることが趣とされているからだと思う。


ただ、最初に論じたが言葉足らずは時に人を傷つける。

何か人に伝えようとしてる時、今一度その発言を文字にして読み直してみてほしい。

そして、その言葉に勘違いはうまれないか、自分が思ってること、相手に求めてることが伝わるか考えてみてほしい。

今は言葉で人を殺すことができてしまう。

SNSで疲れて、心を病んで独りで消える人が増えてきている。

だったらSNSをやめたらいい、そうゆう人には向いていないという人もいるが私的にはそうではないと思う。

SNSは今やコミニュケーションツールであり、情報ツールだと思う。

時代は変わってきているのだ。

新聞の代わりにSNSを読んでいる感じだ。


SNSの誹謗中傷は大袈裟にいえば、新聞を読んでいたらその新聞にいきなり自分への苦情が書いてあり、大勢が見る媒体に堂々と載っているという感覚。

自分のことを知らない人にも『この人は非難されてる人』として見られることのストレスも感じることだろう。


すこしズレてしまったが、何を言いたいかというと、SNSが生活の中心になっている今、言葉足らずでは取り返しのつかない事態になりえるということだ。

自分にその意思がなかったとしても、それも言葉足らずでは他人には伝わらない。

そんなつもりじゃなかったのに…

は取り返しのつかない事態が起こってからでは通用しない。

だからこそ、伝えたいことがある人こそ、今一度その言葉は足りてるか考えてみてください。



上記で述べたことは 友達同士のような信頼関係
が深い人というよりは関係の薄い人ほど、どうでもよくなりがち、思いがちなので注意した方が身のためかもということです(๑•̀ㅁ•́ฅ✨


友達や仲間、恋人なら自分の言葉をきっちり理解してくれたり受け入れてくれる、ストレスの感じない人達が1番ですよ♪♪

長くなりましたが最後まで読んでくれた方
ありがとうございました!!!

※これはあくまでわたしの意見であり持論です。


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