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ファービーと母の思い出

ファービー。
覚えている方はいるだろうか。

私と同じ30代前半の方は記憶にある方もいるかもしれない。

フクロウに耳が生えたような見た目のペットおもちゃだ。
耳や目や口が動き、カタコトでおしゃべりもする。
アメリカからやって来て一時期大ブームになった。

小学3年生の頃、私の住んでいたド田舎にもブームが訪れ、ファービーを持つ子が周りにも増えた。

私が近所でよく遊ぶMちゃんもAちゃんもファービーを持っていた。

Mちゃんに至ってはお金持ちなので2歳下の妹も持っていた。
そうなると持っていないのは私だけという場面が増える。


ファービーが2匹いると、通信もでき、ファービー同士でおしゃべりも始めるらしい。
(何を言っているか分かりづらいので私には全くおしゃべりには見えなかった)

色々な柄のファービーがあり、マイファービーといった感じでどこかみんな自慢げに見えた。

でも。

口では「いいねー!かわいい」と褒めるものの、私はファービーのどこが可愛いのか全く理解できなかったので、全然羨ましくなかった

むしろ、不気味で怖いとさえ思っていた。


しかし、ある休日の朝。

「ホラっ!コレ!」

母は誇らしげにある箱を私に差し出した。

母「朝から〇〇堂に並んで買ったの〜!限定50個だったけど買えて良かったわ」


私「…!」

1人だけファービーを持っていない私を不憫に思ったのか、母は苦労してファービーを手に入れてきてしまった

母は満足そうだった。
ちなみにファービーが欲しいと言ったことは一度もない。

私は「ありがとう」お礼を言い、喜んだふりをし、遊んでみせた。

(我ながら小3で親に気を遣ってた自分、結構大人だったのではないか)

発売当時(1999年)価格で3,980円。
そこそこ値段のするおもちゃだ。

でも。

ファービーはやはりとても怖いのである。

まず、動きにスムーズさがないのが怖い。

あくまでも99年のペットロボットだ。
ウィーンとか、カタカタ言わせながらまばたきをするのがなんとも怖い。
世紀末感が出ている。

言葉もカタコトなので何を言っているか聞き取れないことも多い。
パターンが少なく(〇〇種類の言葉を喋る!と謳っているくせに)いつも同じ言葉しか喋らない。


「ラララララララ〜」
(前触れもなく歌い出すな)

「チュッ」
(日本にはキスの文化は無い!!)

「ファ〜ボク、ネムーイ、モット(寝る)」
(知らん)


初代ファービーがYouTubeにあったのでどんなもんかぜひ見てみて欲しい…

確か、おもちゃによくあるオンオフのスイッチは無かったのだが(有り得ない)スリープモードがあり、寝ると目を閉じて静かになる。

しかし。

なぜか瞼が完全に閉じ切らず、半目になっている。
それがとてつもなく怖い。

突然歌い出すのも怖くて、私は遂に電池を抜いて、棚の隅へと追いやってしまった

お母さん、ゴメン…。
でも私はとにかく好きじゃなかったんだ…。


今私が子を持つ親になって、あの頃の母の気持ちがよく分かる。

「自分だけが持っていない惨めさ」は心にずっと残ったりする。

女の子の世界では特に。

母は私の喜ぶ顔が見たくて、朝から並んで買ってくれたんだなあ。

もし買えなかったらガッカリするだろうと思って、あとサプライズも込めて私に言わずに買ってくれたんだろうなあ。

そんな母を愛おしく感じると同時に、親であっても子どもの気持ちを100%理解することはできないのだなと思う。

親子でも、別の人間なのだ。

私自身、そのことを頭の隅に置いて子どもたちと接するべきなのだろう。
100%理解するより、寄り添うことを目指すべきなのかもしれない。



大人になってから、家族でこの思い出話をしたことがあり、時効だと思い「全然欲しく無かったんだよね!」と打ち明けたが、案の定母は「そんなの買ったっけ?」と覚えていないようだった。

(私も娘に対してこうなる未来が見える…)

でも、このファービーの思い出は、私は一生忘れないと思う。
ちょっと笑える思い出話をありがとう、ファービー。
ありがとう、お母さん。

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