デザイン態度における「理解」がうみだすもの
推しカンパニーのGaji-Laboさんの記事を読みました。
私もデザインやファシリテーションの態度のとき、「共感」ではなく「理解」を大事にするタイプなので、とてもうんうんうなづきながら読んでしまった。
理解すること。想像すること。そこに人間の希望があるのだと思うし、デザインのパワーが強まる領域なのではないかと思います。「理解」からはじめた先に「共感」が生まれたとしたら、きっとその先の事業をぐんぐん大きくしてくれるのではないでしょうか。
と同時に。ブログに促されて、自分が「理解」を大事にしている背景についても言語化をしたくなったので書いてみようと思いました。
自分という身体を持っての「共感」の限界
まず、私という理性・心を持った身体において、「共感」できる範囲は限界があるなーと考えています。
自分の心の声を聴いて、個を大事にしたら、どうしても一緒に喜怒哀楽を共有することはできない時もある。
でも、理解はできる。そこから人と繋がれる。
大学時代から会社員一年目あたりで読んだ、山田ズーニーさんの言葉がいまでも私はとてもこの「理解」のスタンスになっています。
「“理解という名の愛がほしい”
――外とのつながりを求める
切実な叫びであると同時に
媚びない・甘えないという決然たる意思表示。」
切実かつ媚びない、
人とのつながりの希求という解釈が、
自分でも「はっ」と気づかされ、嬉しかった。
私はたぶん、このような「理解」がほしくて。
ただ、ほめられたいのでもなく
ただ、すかれたいのでもなく、
ただしい理解がほしくて、
常に、ほんとうの姿を伝えようと、もがいている。
何を書くか、だけではなく、
何を書かないか、によっても嘘はつくられる。
都合の悪い自分を隠しつづけているうちに、
人から見た自分の輪郭は、
どんどん、自分とは別物になっていく。
自分の中に「ある」ものを、
「ない」ことにして、人と手をつないでも、
それは息苦しいところに自分を追い詰める。
Lesson 291 理解という名の愛がほしい おとなの小論文教室
「ある」ものを「ない」ことにする。
と同時に、「ない」ものを「ある」といっても、息苦しいところに自分を追い詰めるのではないかと思うのです。
ない感情を、あるという風にいうように言う、とか。
感情については、私は私の感情を大事にしたい。
でも、理解という形でなら、共感をしなくとも、相手の文脈に飛び込んで、一緒に考えていくことができると思うのです。
相手の文脈に飛び込む方法って、デザインにはたくさんありますね。
エスノグラフィ。オブザベーション(観察)。インタビュー。
こうした一つ一つのデザインリサーチの中では、一つ一つ事象を読み解きながら、状況を把握し明示することで、コンテクストを見つけ出していきます。
デザインするという行為、顧客(利用者)のため。
ファシリテーターが場をつくるという行為は、参加者やその組織のため。
反面、デザインという行為は、自分の身体をもって「創る」ことが問われます。(ファシリテーションのうち、特に身体を使うグラフィックを描く行為も近い感覚かもしれません)
このときに、「ない」共感を「ある」と言い切って、身体をコミットさせると、心も身体も消耗してしまいます。
でも、感情と切り離して、相手の文脈を「理解」することはできると思うのです。「理解」するために、相手と一緒の時間をすごす、自分もやってみる、というのも一つの手(もしかしたらそこから「共感」が生まれることもあるかもしれない!)。
私は天才ではないので。そうやって、理解を一つ一つ増やして、自分の中での多様性の触手をのばして考えていくことで、持続可能にデザインをしていくことができるのではないかと考えています。
「理解」があるからこそ、「変態?!」と思う人とも折り合える
これは結婚生活から学んだこと。
恋愛結婚ではあるものの、夫のすべてに共感なんてできないのです!
例えば我が家の夫は、匂いフェチ。
「あせとせっけん」の名取さんと行動がまじで一緒…
↑土日に会えないと主人公のにおいをかぎたがる名取さん
※夫も私が出張でしばらくいないと戻ってきた日に匂いをかぎたがる
↑主人公の着たものの匂いを嗅ぎたくて洗わずにとっておく名取さん
※夫も私のパジャマの匂いをかぎたくてとっておきたいと言う
…H★E★N★T★A★I★?! 変態!?
※※あくまで私から見た夫についての言及だと受け取ってください※※
私にそういう匂いフェチ側面がまっっっっっったくないので、共感できないんです。まじで。結婚10年たってもやっぱり共感できない。
でも、「心から落ち着きたい時や安心したい時、そこに(特定の人の生きている)匂いをかげば心身とも緊張から解放されてリラックスできる」というのは「理解」できます。
そして、「理解」できたら、大事にしたい相手のことを大事にすることができます。
・私のパジャマはパイル地のものを選ぶ(私もきやすいし、においがのこりやすいらしいよ…)
・出張の時にはパジャマをそのままベッドにおいておく。帰ってきたら洗う。
など。変態(と思っている相手)とも折り合える。
この「折り合える」って、多様な価値観を持つ現代社会で生活で生きていくのに大事だと思うのです。
そしてさらに抽象化するとですね。
「心から落ち着きたい時や安心したい時、何か五感で感じられるものがある」というように、抽象化したコンテクストまで上げると、共感できることもあるんです。
ああ、あの感じと同じなんだ。
だからこの人は、これを大事にしているんだ、と。
そうした小さい理解から、共感を生んで、相手とつながることもできる。
そう思うと、いろいろな側面で、無限に色々な人とつながることができるんじゃないのかなーと思うのです。
もちろん、「理解」をしたうえでも、この人と一緒にいたくないなあというシーンはでてくると思います。
そういう時には、もう、離れているという選択をしたほうが、互いに幸せなのかもしれません。
「離れる」という選択肢を相手との中央に据える。
一緒の船に乗らないという選択をする。
そうした折り合いの選択もあると思うのです。
自分の心も身体も、そして相手の心も身体も大事にするために。
持続可能につくりつづけるために。
あと夫婦関係含む、人間関係も持続可能にするように、かな。
「理解」だからこそ、人以外のものとも折り合える
私がサービスデザインに魅力を感じることに、「人以外のものとも折り合える」という観点があります。
持続可能な社会をつくるための様々な観点を、サービスのブループリントや、エコシステムマップとして捉えていけるのです。
・資源としての自然や、生態系、生命
・お金の流れ
エシカルをコンセプトにした体験ならば、サービスのバックステージもエシカルを大事にする必要がある。その時、お金の流れも持続可能な社会をつくるものとなる。(銀行の融資、消費者の預貯金など)
・物流の仕組み
環境へ配慮したエネルギーでの移動手段、消費者に選択された手段
などなど。
人や会社といったアクターと、こうした人以外の要素を「理解」し、折り合わせていくことで、本当にビジネスから広がった、人がいきていくための「エコシステムマップ」になると思うのです。
新たなサービスをデザインしていくとしたら、未来を担っていくために、こういう構造から社会を捉えていくという仕組みから考えていくのが大事。
そして私も。共創型デザインファームのメンバー(ビジネス職)として、人、そして人以外の自然や生命、様々なものと共創し、折り合いながら創っていきたいなと考えています。
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