「共愉的瞬間」~専修大学上平研究室 9つのデザイン実験展~に行ってきた
「デザインに必要な、世界観をつくる『美意識』ってどう育っていくんだろう?」デザインに関わる非デザイナー職として、そんなことを年始から考えています。
サービスデザインの仕事、体験スケッチを通じて考えていくのと同時に、つくり手の話もゆっくりきいてみたいなと思って、上平研究室の展示会に伺ってきました。
専修大学は山の上。歩いていくとちょっと汗ばみます。
でも、多摩丘陵の冬は気持ちよいですね。
会場は、山の上の素敵な校舎の地下にある展示空間。
いくつかの展示が飾られていて、作られた生徒さんから直接お話を伺うことができました。
展示されていた作品たちを、話を伺いながらひもとく時間
▼「弱いプロデューサー」(長谷川さん)
「「弱いロボット」のように、一人では完結できない行為を、誰かに助けてもらうことで創り上げていくいくという試み」だそう!今回作っているのは、(作者)自分の写真集。
「「自分」の切り取られ方は多様で、見て取れる世界観って本当にさまざまなんだな」と、展示を見て圧倒されました。
そしておもしろかったのが、現実にこの「作者」が目の前にいる点。
私の目の前で語ってくれる作者と、この色とりどりの世界の中にいる作者、やっぱり何かが違うのです。
でも「自分」という世界観を持って社会と繋がろうとしている意思は共通して感じてて。その世界観の中に、他者が関わるふわふわした変化自在な部分があって、己の世界観と矛盾せず共存しているところに、豊かな広がりを感じました。
▼夢現(外山さん)
小説「注文の多い料理店」「愛撫」「猫町」の一節を体験しながら感じられるという展示でした。
「注文の多い料理店」の、皿の上に載ってみました。変な表情してますが、なぜか心が落ち着きました。
「猫町」を、歩きながら読んでみる。
1周目はストーリーを追って。2周目は、自分の体験と照らし合わせて、小説の節を踏みしめていました。
私は「体験」から小説のストーリーに入るということが、自分の人生でほとんどなかったんですね。体験から、小説を知って、出会って、また広げていくという感覚が楽しくて、いい出会いだったなあとしみじみしました。
▼CLOTHES? (真内さん)
「違い、わかりますか?」
着ている服によって、もたらされる変化を切り取った展示。
表に現れる行動の変化、気持ちの変化は本当に小さなものなのだけど、そうした小さなものにこそ、実は大事な部分があるのだと思います。
(ああああ、作者の真内さんに話を聞けなかった💦どんなシーンを切り取ったのか、違和感感じた部分はあったのかとか、話をききたかったなあ。)
▼遠い記憶の色見本 (上平先生)
上平先生の展示。
色見本と、そこにつけられたストーリーがたくさん並んで展示されています。
いつかどこかで誰かが体験した、人々の心の中に眠っている「原風景」(一番古い記憶)から取り出してきた色見本の集積です。(中略)
この色紙は、現実に存在した色と正確に一致しているわけではありません。けれども、その体験を味わった昔の自分と、今現在の自分が、協力しながら探り当てた近似色といえるでしょう。
この色と短いストーリーは、まるで袖口にくっついたオナモミの実のように、時間と場所を超え、この場所まで運ばれてきました。
「組体操で汚れた足を刺激したのは、少しとがって冷たい足ふきマット」(東京都世田谷区)
「2-3才のころ、昼食の時間当時嫌いだた玉ねぎを残そうとしたら無理やり食べさせられた記憶があります。」(新横浜の保育園にて)
様々な色と、小さなストーリー。
無数に並んだその空間は、一度足を踏み入れると、なかなかでてくることが難しかったです。笑
本当に、オナモミだらけの草むらにいる感じ。離れようとすると、オナモミがくっついてきて、つい気になってまた見てしまう、触ってしまう(そしてまた新たなオナモミをくっつける)かんじ。
特に私にくっついて離れなかったオナモミは、印象的なシーンというよりも、上記の「冷たい足ふきマット」「玉ねぎ」とか本当に小さな視点のものたちでした。
そのストーリーの断片と色から、いろいろなストーリーを思えるのです。
ふふふ、どんな気持ちだったのかな?
どんな表情してたんだろう。どんな動きをしていたんだろう。
その色が印象に残ったのって、どんな意味をもってるんだろう。
考え出すと、本当にとまりませんね。
▼万葉植物園における多様な生物と和歌をつなぐメディアのデザイン(中武さん)
「あまり見向きもされてなかった万葉植物園を、新たな視点から感じられる体験をつくりだす」というもので、鳥の休み場をデザインされていました。(写真をとってなかった。。)
私が素敵だと思ったのが、作者の中武さんの「あり方」。
実際に植物園に何度も何度も足を運んで、最初は巣箱をつくって、現地に置いてみて、鳥の動きを見て、手を動かしながら、美しさと向き合う姿勢がとても印象的だったのです。
実際に植物園で「美しさとは何か?」「どうやって生み出されるとよいのか?」「どんな風に感じるとよいのか?」を考えていたそう。
「なぜ、そんなにも真摯に美しさと向き合えたのか?」と中武さんへ伺ったところ。中武さんは「相手が鳥だから。人間が相手だと予想がつくけど、鳥だと予想がつかない」と、はにかんだ笑顔で教えてくださいました。
鳥へも、そして人や(植物園という)環境にも、中武さんの向けるまなざしは「ありのままを見る」「そこから向き合う」優しいものなんだろうなと感じました。
帰り道。万葉植物園はどこかがいまいちわからなかったのですが(笑)、専修大学の裏にある緑地にいって、鳥と自然に目と耳をかたむけている自分がいました。
瞬間にこそ、込められるもの
(全部は紹介しきれていませんが!)展示を通じて「人が無限の価値を感じて響き、心動かされるのは、本当に小さな瞬間からだ」という点を改めて感じました。
テーマの「共愉的瞬間」は、本当に瞬間なんですね。
「ダイナミックな流れ」は頭で理解するものかもしれないけど、衝動的に心と身体が動くのは「瞬間」。
そう思うと、怖さも感じます。その「瞬間」をつくる側の人間は、「瞬間」を判断して、そこをつかめるかどうかに、全ての成否がかかっているといっても過言ではないから。
私個人としては。
一人でその「瞬間」に向き合いつづけるのはけっこうしんどいのですが、チームでその「瞬間」に向き合うと、なんか怖いけどめっちゃ楽しいよなーと思うのです。
「瞬間」が積みあがってできる流れ。
その流れの中で、「瞬間」をゆるめたり、補正したりも、研ぎ澄ましたり、様々な思ってもなかった形にしてゆけるのが、やっぱり楽しいのです。
共に創るということは、そうした瞬間瞬間の流れに身をどっぷりつかって、作用しあって生きていくということなのかもしれません。
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個人的には。音楽における「ソロ」という行為も、自分と楽器との瞬間瞬間の積み上げ(=過去の自分の音色や、今の楽器との会話)なんだろうなーと捉えています。
だから、決して一人ではない。相棒は楽器。
でも、私はまだ、相棒である楽器(スティールパン)と話しきれてないなあと思うところしきりです。
上原ひろみさんの演奏みるたびに、そうした相棒との瞬間の生み出し方にゾクゾクします。
デザインで「瞬間」をもっと考えるために、楽器ともっとお友達になりたいなあーと思うのでした!
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