【旅エッセイ13】サイは幸せかどうか。
キタシロサイはオスの個体が絶滅し、メスが二頭しか残っていない。もう新しく産まれないので、やがて絶滅することが決まっている。
サイは地球上には五種類いて、どれも乱獲で数を減らし続け絶滅危惧種に指定されている。角が漢方薬に使われて高値で売れるので、密猟が後を絶たないらしい。人の身勝手でまたひとつの種が絶滅する。
写真は、伊豆アニマルキングダムで撮ったミナミシロサイ。アニマルキングダムでは、動物にエサをあげながら触ることもできる。
「サイにさわりなさい」というダジャレのキャッチコピーに釣られて、サイにさわりに行った。
サイの角は岩のように硬い。皮膚は、若干の柔らかさがあり生暖かいグミを触ったような感覚。ただ柔らかさがあるのは表皮だけで、分厚い皮膚の硬さも伝わって来る。
動物園にいた二頭のサイは大人しく、人の手で触れられても平然とエサを食べていた。
彼らにとって人間は敵ではない。動物園のサイは手厚く保護されて、きっと長生きする。
こういう時にいつも考えてしまう。
動物園のサイは幸せなのだろうか。
衣食住に困ることはなく、自分の身を脅かす敵もいない。のんびりと寝ているだけで食べ物も水も与えられる。ただし、動物園の限られた場所から外には一生、出られない。
果たしてそれは幸せなのだろうか。
子供の頃から同じことを何度も考えた。大人になった今でも考える。
檻の中にいるから不幸せなのか、それとも水とエサを探し続ける苦労から解放されて幸せなのか。
衣食住のどれかが欠けた生活は辛い。ただ、衣食住が足りているだけでは幸せとは呼べないのは、誰しもわかっていると思う。
私も、衣食住だけでは満たされない気持ちを抱えて旅をする。美しい景色を眺めている時、日常で欠けた幸せを感じる。でもそれが、まるで底のひび割れた壺に水を満たすような作業だと感じることがある。
美しい景色に触れる一瞬ごとに、気持ちが癒されて幸せを感じる。たくさんの幸せで満たされたはずが、日常を送るうちに幸せが漏れ出して足らなくなる。
だから旅に出て、また何かで心の壺を満たして帰る。衣食住や他の何かで満たされても、幸せで居続けることは難しい。憂鬱が心の壺にフタをしないように、美しい写真を見返してはエッセイを書いている。
サイはどうだろうか。
衣食住が満たされて、幸せなのだろうか。
なんて考えていたら、サイは水溜りに入って幸せそうに泥浴びを始めた。
また新しい山に登ります。