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山なんて、ずっと嫌いだと思ってた。


海か山か、どちらが好きか。
考えるまでもなく、海だ。
海が好きだ。

海には楽しい思い出ばかりある。家族と沖縄に行った四歳の時、私は服を着たままで海に飛び込んでいったらしい。それは覚えていないけど、透き通るエメラルドグリーンの美しさは今でも思い出せる。母の田舎の秋田で見た、沖縄とはまるで違う海の美しさも覚えている。日本海は深くて重い青色で、海面は夏の日差しを反射して光っていた。

出身地の川崎は海が濁って汚かった。そんな海でも父に連れられて一緒に釣りをした思い出がある。湘南の海では友達と、江ノ島を眺めながら夜が明けるまで語り明かした。海にはいくつも思い出があって、そのすべてが美しい。

それに比べて山といったら!
山には昔から、ろくな思い出がない。

初めて山に登ったのは小学生の遠足で、高尾山を歩いた。季節は忘れた。どのルートで登ったのかも忘れた。景色がキレイだったかも覚えていない。覚えているのは道の途中で友達とケンカをして、先生にめちゃくちゃ怒られたこと。他には何も覚えていない。その友達が誰だったのかさえ忘れた。

山の思い出がもうひとつある。これは大人になってからなのでしっかり覚えている。十年ほど前、友達に誘われて大山に登った。運動習慣のなかった私は登山に先だって何週間も念入りにトレーニングした。結果、前日に右足をひどく痛めた。平地ですら足を引きずらないと歩けないほどで、でも今さら行かないとも言い出せずに「別に右足なんてケガしてませんけど?」なんて顔して登山に臨んだ。

当然、痛めた足でまともに登れるはずもなくて、友達には置いていかれるし(置いていくか普通?)足が痛くて景色を見る余裕もない。しかも綿のシャツにジャージにスニーカーというおよそ考え得る最悪の無課金装備で行ったので、山頂で一気に汗が冷えた。休んでいると寒さで身体が震えた。何だか頭はふらふらするし右足は腫れて歩くのも辛いし、帰りもやっぱり置いていかれたし(置いていくか普通??)ようやく下山し終えた頃には前後不覚に陥るほどで、家に帰って倒れるように眠った。熱が39℃まで上がって、そのまま三日ほど寝込んだ。

「誰が二度と、金もらったって山になんか、絶対もう登るもんか!」と私はあの時に強く決心した。

そうだ、山の思い出がまだある。思い出だらけだ。仕事で山の中を歩かされた時、ふと足をみたら靴下がどす黒く染まっていた。足首に得体の知れないぷくぷく黒い膨らんだガムみたいなものが貼り付いている。そう。お察しの通りヤマビルです。私はそいつのことを知らなかった。アキレス腱のあたりにかぶりついて人の血を吸っているソレがなんなのかわからなくて、無理矢理に引きはがしたらアスファルトの上でうねうね動いたから悲鳴を上げた。足首の血は何日も止まらなくて靴下を何枚もダメにした。

とにかく、山は最悪。山に行くたびイヤな記憶を積み重ねている。山に楽しい印象なんてない。山と私は相性が悪い。たぶん私は水属性だ。多摩川のお膝元で生まれ育ったからそうに違いない。ダムとか好きだし。池も川も湖も好きだけど、やっぱり海が好きだ。海はいいぞ。眺めているだけで癒される。山は苦労して登らなくちゃならない。海は見返りを求めない。気軽にフラッと海岸に行くだけ。海は果てしない絶景を見せてくれる。寄せては返す波の音。遠くに輝く白い波。広くて大きな青い海! 山より海が最強だ。

なんてことを考えながら、槍ヶ岳を登っている。

背負ったザックの肩ひもが食い込んで、痛い。歩くたびにザックの中身がゆらゆら揺れて、ぎしぎしと軋む。軋んでいるのは荷物ではなく背骨かも知れない。とにかく荷物が重く、肩が痛い。別にテントは重くない。寝袋だって重くない。ヘッドライトは数百グラム。着替えも軽い。防寒着も軽い。水も食料もたかが知れている。ひとつひとつは重くない。なのに荷物は20キロ。いったいどういう足し算をしたらこんなに重くなるのだろう。では問題です。たけし君は1,86キロの登山ザックに1,43キロのテントと1,08キロの寝袋、その他いろいろを詰めたところ荷物は合計20キロになりました。それを背負って山道を10時間歩きます。この行為を適切な日本語で表しなさい。バカの二文字は使わずに。

歩き始めた時はぜんぜん平気だったのに、肩のダメージは少しずつ蓄積していく。何時間も歩いていると両腕がしびれるまでになる。荷物が重い。とにかく重い。山小屋泊にしておけばテントも寝袋も水も食料も少なくて済んだのに。従妹の夫のスポーツマンの頭も顔も性格も良いK君の言うことを素直に聞いておくべきだった。「槍ヶ岳山荘きれいなんで、テントより小屋泊のが絶対いいですよ」と彼は言っていた。その通りだった。きみのアドバイスに従っていたらよかった。金をけちったわけじゃないんだよ。でも山小屋に二泊もするとお金かかるからさ。けちったわけじゃないんだよ。ほんとだよ。ああ、それにしても荷物が重い。  
     
何がいらなかったのだろうか。着替えが多かったのかも知れない。タオルも予備はいらなかったか。でも汗をたくさん掻くし。モバイルバッテリーを軽量タイプにすれば良かったのか? いや大容量じゃないと心配だ。LEDランタンはいらなかった。ヘッドライトで十分じゃないか。それともテントの中で読もうと新田次郎の『孤高の人(上・下)』を持ってきたのが間違いだった? 上だけにするか、キンドルで買いなおしておけば。それにしても20キロ。20キロ? どう計算したらそんなに重くなるんだ。絶対なにか間違ってる。改めて計算し直したら2キロくらいではないか? そうだ、そうに違いない。そう思って荷物を背負い直してみれば、ほらやっぱり! 重い。

「荷物は肩ではなく腰で背負うのだ」と聞いたことがあるが、未だによくわからない。背負い方が悪いから重く感じるのか? 山登りを始めて何年も経つのにザックの背負い方ひとつ理解できないのは、やはり山登りの才能が無いのかも知れない。泥では足を滑らせるし木の根元にはつまづくし、何年経っても変わらない。山に慣れた人間はもっとスムーズに歩くのだろう。転べば死ぬような難所を何度も乗り越えた本物の山岳人は、たぶん私とは違う。やはり登山にも才能が問われるのだろうか。

『孤高の人』のモデルになった加藤文太郎は超・健脚で六甲山縦走路の約50キロを歩き通し下山してから更に50キロ歩いて家まで帰り、翌日は平然と出社したとか聞く。いや無理。とっても無理。槍ヶ岳山頂までの片道20キロでも吐きそうなくらいキツいのに。私に山登りの才能はない。というか別に何の才能もない。本物のようには歩けない。

太陽が雲に隠れたのがせめてもの幸運だ。山の気温が平地に比べて低いといっても、日差しを遮るものひとつない山道で、直射日光に焙られたらと思うとゾッとする。ただでさえ汗が止まらないのに。

汗といえば、そういえば、沼津アルプスに登った時も過酷な暑さだった。

山にはそれぞれ旬があって、登る時期を間違えるとヤマビルに襲われたり雪で歩けなくなったりと酷い目に遭う。沼津アルプスの旬は間違っても七月ではなくて、どう考えても平地で熱中症警戒アラートが出ている時に歩く山ではなかった。

沼津アルプスとはご当地アルプスで、ご当地アルプスとは「地元のいくつかの里山をつなげてルートを整備して〇〇アルプスと命名する」という町おこしのようなことで、近年いろいろな地域で増加している。一時期のゆるキャラブームみたいに。

沼津アルプスの最高標高は392メートルなので高尾山よりも低い。一応書いておくと山の難易度と標高は必ずしも一致しないし、舐めてかかったわけじゃない。準備は万端で行った。夏だから袋いっぱいの塩分タブレットと水を7リットル、余るほどの食料と行動食、ヘッドライトに雨具に着替えにモバイルバッテリーとコンパス。怪我をした時にそなえて絆創膏、ロキソニン、包帯、ガーゼ、湿布、あと塩。ヤマビルに襲われた時用の。私はどこの山に登る時だって準備は万端にしていく。あ、だから荷物が重いのか? いつも余計なものを背負って歩くから。

とにかく余計な荷物をたくさん背負って沼津アルプスに登ったあの時。平地の気温が35℃を超えていたあの日、山の中でも32℃くらいはあっただろうか。そんな日に限って風が無く、溶けるような暑さの中を歩いた。しかも厄介なことにこの沼津アルプス、まるでノコギリの刃のようにひとつの山頂から次の山頂までに激しくアップダウンを繰り返す構造になっている。

標高を100メートル上がったら50メートル下がり、50メートル上がったら30メートル下がり、ギザギザに進んでいく。上を目指すのに下に進むという登山七不思議をたっぷり味わえる。もっとこう、山から山へのつながりをゆるやかな坂道にしてくれれば楽なのに。山の設計者はもう少しユーザビリティについて考えてほしい。

真夏の猛暑の中、ぬるい水を飲み塩分タブレットを噛み砕きひたすら歩いた。香貫山、徳倉山、鷲頭山、大平山と沼津アルプス縦走6時間、シャツもズボンも汗が絞れるほどに濡れていた。

立ち止まって休んでも身体の熱は引かない。ぬるまった水筒の水では少しも爽快感がない。こんな時には水ではなくてグラスに大きな氷を入れて、冷たいコーラを流し込みたい。グラスの中で濡れた氷がパキパキ割れて、小さく揺れてカランと鳴って、しゅわしゅわ弾ける炭酸の泡、キンキンに冷えた甘みが喉をすべりおちて身体中に染み渡る。嗚呼。木々の切れ間から見える駿河湾が腹立たしいほど涼し気で「ほらやっぱり山より海なんだよ」とあの日も思った。

山なんて、ずっと嫌いだと思ってた。

それなのにどうして山に登るのか。槍の穂先はまだ遠い。

「山に登るんです」と言うと、たまに「どうして?」と聞かれる。どうしてと聞かれると困る。どうして山に登るのか、そんなの私が聞きたい。みんな、なんで、わざわざ山に登るのだろうか。一生やらないだろう趣味ランキング私部門の第三位はキャンプ、二位はマラソン、一位は登山だと思っていた。どれも無縁の世界のはずだった。ところが今、そのすべてをやっている。山に登るためにテントを張って眠る。山に登るためにランニングで体力作りをする。山に登るために、山に登る。

富士山はまだわかる。日本一の山だし、一生に一度くらい登ってみたいと思うのは自然だ。でもよりにもよって槍ヶ岳だなんて。山岳人たちのあこがれの土地。自分とは無縁の世界。山頂まで往復40キロ? 山道を40キロも歩く? 重い荷物を背負って? その行為を何と表現すれば良いのだろうか。バカの二文字を使わずに。

どうして山に登るのか。理由は「そこに山があるから」でも別にいいけど、そもそも槍ヶ岳のない地域から休みを取ってまで登りに来たのだ。そこに山があるから登るというのは間違っている。そこに山がなかったからこうして長野まで登りに来ているのです。

登る理由が「絶景を求めて」ならわかりやすくていい。たしかに山頂で眺める景色はすばらしい。でも、景色を目当てに歩くなら海を眺めに行ったほうが手軽じゃないか? 山に登るなら朝4時、5時に起きなきゃならないし、山の天気は変わりやすいから朝が晴れていても山頂まで晴天が続くとは限らない。山頂で景色どころか霧に包まれて手元も見えないなんて経験は何度もした。海のほうが簡単に絶景が見られる。それなのに山に登っている。

どうして山に登るのか。

二度と山になんか登るもんかと決めた誓いさえ忘れて、独りでノコノコと高尾山に登ったのは五年前。どうして再び登ろうと思ったのだろうか。ストレスを外で発散させたかった。運動不足を解消したかった。『山と食欲と私』が面白くて興味が沸いた。きっかけになりそうな出来事はいくらでも思い浮かぶけど、理由を考えるとわからなくなる。二度と登るものかと誓ったことは覚えているのに、どうして再び登るようになったのかは、自分でもいまいちわからない。

気の迷いか何かで再び山に登った。
その時もひどい目に遭った。

「この6号路っての歩いてみようか、川沿いなら気持ちよさそうだし」と高尾山口駅で看板を見て道を選んだ。そして道を間違えた。

高尾山に詳しい人ならわかるだろうけど、びわ滝を見てから6号路を進もうとするなら、滝から分岐点まで引き返さなきゃならない。道を知らない私は滝から2号路に至る階段を順路だと思って登り始めた。地図も途中で確かめず(もってなかった)分岐を適当に進んでいるうちに3号路に入り込んだ。川沿いの道、と書いてあったのに水の音は遠ざかるばかりで何も聞こえないし、山の斜面を横切るように作られた道はすれ違いも追い越しもギリギリの狭さで、どこまでも似たような森の景色が続く。

「これ、同じところぐるぐる回ってるとかでは?」と不安になっていたら霧まで出てきた。

適当に道を選んで最終的に山頂へ辿り着けたから良かったものの、そのまま山頂を迂回して裏高尾の方面まで行っていたら、当時の自分だったら下山できなくなったかも知れない。まったくひどい目に遭った。などと、被害者のように書いているが完全な自業自得です。はい。

ちなみに山頂でも天気が悪く景観は一切見えない。帰り道は妥当に1号路を選んだが足が痛くて太ももがぷるぷる震えた。翌日は筋肉痛で歩くのも辛かった。やっぱ山には向いてないな、なんて思った。
それなのに山登りは続けた。

「山登りってなにが楽しいの?」と聞かれて、何が楽しいのか考える時、大変だった記憶ばかり浮かんでくる。

夏に棒ノ折山に登った時は水の計算を間違えて途中で水分が尽きた。

御岳山のロックガーデンでは、くしゃみをした瞬間に両足を滑らせ岩に尻をぶつけ尾てい骨にヒビが入った。

陣馬山から縦走中、ベンチにスマホを置き忘れた。

登山中に地図が見られるからと買ったスマートウォッチは天狗岳の山頂で壊れた。

天城山でウォーターパックが破れて3リットルの水で荷物がびしょ濡れになった。

登山の苦い思い出ならいくらでも思い浮かぶ。
それでも山に登り続けた。こうして槍ヶ岳の山頂を目指している。

晴れていればそろそろ槍の穂先が見えているはずなのに、山頂は濃い霧に閉ざされて何も見えない。別に景色を求めて山に登るわけじゃない。でも見られるなら、見たい。せっかくの北アルプス、無理矢理にねじこんだ夏の三連休。次に来られるのは何年後になるかわからない。天気予報は曇り、夜に近づくにつれて雨。こういう時に限って予報が当たる。朝は辛うじて見えていた空の晴れ間も閉ざされて、山肌を覆うモヤが深くなっていく。
 
霧に閉ざされる経験にも慣れてしまった。ここまで天候に恵まれないのはやはり山とは相性が悪いんだろう。太陽が完全に隠れて冷たい風まで吹き始めて、さっきまでは暑くて汗が止まらなかったのに、今度は風に煽られて身体が凍えるように冷たい。上着を着れば暑く、脱げば寒い。汗は冷えて体温を奪うが、歩いていると汗が止まらない。悪循環に陥っている。さっさと山小屋に辿り着いてテントを設営して、汗に濡れたシャツを着替えたい。肌に密着するものが冷たく濡れているというのはとんでもなく不快だ。

山頂まで、コースタイムではあと90分を切っている。体力のある人なら一気に登っていくのだろうが私には。一歩一歩が果てしなく重い。こんな道でも軽快に駆け上がるバケモノと何度か遭遇したことがある。山では時々バケモノに遭うのだ。

大山にリベンジした時も、私はバケモノを見た。

あの時は天気予報が外れて、大山の山頂で小雨が降った。休憩がてら、山小屋の屋根の下で止むのを待っていると軽装のおじいさんが軽快なステップで山頂まで駆け上がってきた。

おじいさんに「どこから来たんですか」と聞かれて、私は「相模原からです」と答えた。たぶん、聞きたかったのはどのルートで登ってきたのか、とかそういうことだったと思うのだけど、おじいさんは気にした様子もなく「僕は鶴巻温泉の駅から走ってきたんですわ」と言った。

鶴巻温泉の駅といったら昔、駅の近くでヤギを散歩させている人を見たことがある。他には何も思い出がない。鶴巻温泉の駅といわれてもピンとこない。なので、鶴巻温泉の駅から走ってきたというのがどういう意図なのかもわからない。

私は意味がわかっていなかったが、別に場所は関係なくて、重要なのはそのおじいさんは山頂まで「登ってきた」のではなくて「走ってきた」のだということ。山道を歩くのではなく走る「トレイルランニング」という、体力を持て余したバケモノどもの狂気的な遊びを私はまだ知らなかった。おじいさんは走ってきたのだ。後に調べたところによるとおじいさんは約12キロ、累積標高は約1500メートル(富士山5合目から山頂までの累積標高に匹敵する)という距離を走ってきた。舗装された道ではなく、山道を12キロだ。

格好はランニングシャツで右手に野菜生活一本だけ持った、徹底した軽装。御年75歳、山に登り続けて63年と語ったそのおじいさんは「七沢に下りて本厚木駅まで走る」と言い残して風のように走り去った。ちなみに大山の山頂から本厚木駅までは(これも後に調べた)17キロの距離がある。そのうち10キロは当然、山道だ。

山では時々、そういうバケモノに遭遇する。いやバケモノという言い方は失礼か。あれは天狗だ。

私も山登りを続けて、それなりに体力がついた。それでも槍ヶ岳の山頂まであと一時間というところで、息が上がって進めない。まるで体力がついた気がしない。山を歩くと自分の無力に打ちのめされる。上を目指せばきりがない。山道を軽々走る天狗たちを何度も目撃した。山小屋に物資を運ぶ役目の歩荷(ぼっか)は重さ50キロや60キロの荷物を背負って歩くという。新田次郎の『強力伝』では180キロの巨石を担いで白馬岳に登る人物が書かれている。いやいやフィクションにしてもやり過ぎだ。こっちは重さ20キロで音を上げているというのに。なんて思っていたのに『強力伝』は実話が元だと言うから信じられない。私と比べたら大人と子供じゃないか。どれだけ鍛えても上には上がいる。山にいると、か弱い自分にうんざりする。どうして自分はこんなに弱いのだろうか。

いい加減に疲れ果てて、もうイヤな思い出のひとつも何も浮かばなく頃になって、ようやく槍ヶ岳山荘に辿り着いた。

槍ヶ岳山荘はほぼ山頂に位置する場所にある。ここから山頂まではあと20分、槍の名に恥じない突き出た岩場の頂点まで連続するハシゴを登るだけ。重いザックをおろして休憩していると、ぱらぱらと小雨が降り始めた。穂先の周囲は霧が漂い、目の前まで来たのにまだ全容が見られない。

ハシゴ、登れるだろうか。

体力が万全なら問題はない。もしも平地だったら心配はしない。何もない岩をよじ登るのではなく、しっかり整備されたハシゴを、これまでに何万人という人が通ったのと同じ、用意されたルートを登るだけ。たった20分。別に怖い場所でもない。雨も強くはないし。でも濡れていたら手が滑るかも知れない。足を滑らせて落ちたら、死ぬかも知れない。

不安。恐怖。心配。山を登っているとそんなことばかりだ。雨の夜にテントを張った時はこのまま水没したらどうしようと想像して怖くなった。山歩きの最中に茂みががさがさ鳴ろうものなら熊がいるんじゃないかと恐ろしくなる。地図に鎖場の表記があるだけで、ホントに登れるかな、なんて尻込みする。

槍の穂先を前にして不安を感じている。晴れていたら間違いなく登る。山頂から絶景が見られるはずだから。でもこの天気で登る意味はあるのか? 果たして登るべきなのだろうか。登ったところでこの霧では……。

迷っていると霧の向こう、槍の穂先に続く道から、ふたりのおばあさんが歩いてくる。

「大したことなかったわね」と、おばあさんが涼しげに言った。立ち尽くす私の横をすり抜けて、ふたりは颯爽と歩き去っていく。

やっぱり山にはバケモノがいる。いや、天狗。

槍の穂先を「大したことない」と切って捨てる胆力。それに比べて自分はどうだ? ハシゴを前にまだビビってる。撤退するのは勇気がいる。やめるのは臆病じゃない。天候不良で諦めるなら理由としては十分だ。他の誰かは登ってるけど、でもお前には無理だ。お前には山登りの才能がない。お前には向いてない。お前は体力も技術も根性もない。そんな弱いお前がここまで来られたならもう十分じゃないか。どうせ頂上まで登っても何の景色も見えやしない。どうして登ろうなんて考えるのか。勇気と蛮勇は違う。山で選択を間違えれば死にかねない。慎重になるべきだ。心の中で弱い自分が言っている。お前は臆病で、しかも弱い。お前に山は無理だ。

どうして山に登るのか。高尾山で友達とケンカをしたのは、疲れたと言ったら「体力がない」とバカにされたから。足を痛めたのに大山に登ったのは、直前で怖気づいたと思われたくなかったから。

臆病で弱いのに、他人に軟弱だと気付かれたくない。子供の頃からずっと変わらない。弱くて臆病な本性を隠したまま大人になってしまった。山なんて、ずっと嫌いだと思ってた。でも本当は違う。本当に嫌いなのは弱い自分だ。山に登れば弱い自分をさらけ出すしかない。体力も筋力もない、何もできない弱い自分を隠せない。

山を嫌いだと思っていたい。本当に山が嫌いなら、登らない理由になる。少なくとも登らなければ打ちのめされたりもしない。

挑戦しないでいれば、いつまでも自分の弱さを見ずに済む。強くなれないならせめて、弱い自分から目を背けていたい。強いフリだけしていたい。山に登るのなら、非力な自分を白日にさらすしかない。山頂に辿り着くには歩くしかない。打ちのめされても疲れても弱い自分を引きずって、進まなければ辿り着かない。

手を滑らせないように、足が滑らないように、濡れたハシゴをしっかりと掴む。一段一段ハシゴを登る。槍の穂先まで最後の難関。荷物の重さに悲鳴をあげる両手、脆く頼りない両足、泣き言ばかり浮かぶ頭の中。山に登ると辛いことばかり思い出す。それでも山が好きだ。本当は強くなりたかった。重い荷物を担ぎ上げ、泣き言ひとつ吐かないで、どんな困難でも乗り越えていく人になりたい。見たいのは景色じゃない。進めるのかを確かめたい。テント、寝袋、着替えに食事、背中の重さは衣食住、生きることの重さそのものを背負って歩いている。重い荷物を背負って歩き、こんなに弱くて情けない自分が、乗り越えなければならないことを乗り越えていけるのかどうか。

なんてことを考えながら、山頂までたどり着いた。
槍の穂先は霧に包まれ、景色は少しも見えなかった。

山を去る時になってようやく、山頂が晴れる。休みの日程をずらしておけばよかった。そうすりゃ絶景が楽しめたのに。まったく運がなかった。やっぱり山とは相性が悪い。足も痛いし荷物が重い。これから登ってきた道を延々おりるのかと思うとウンザリする。まったく何が楽しくてこんな苦労をするのだか。どうして山に登るのだろうか。

振り返ると青空に槍の穂先が見える。
自分の足であの場所に立った。
登る理由はそれで十分じゃないか。


また新しい山に登ります。