【人生ノート330】「俺はもうダメだ」と、決して思ってはならぬ。「なにくそッ!」と、一災一厄くるごとに、ますます希望と向上とに燃えねばならぬ。
ヘコたれず戦え
精進努力のないところに、進歩があるはずはない。完成へむかっての勇往邁進の気性のない人はもはやダメである。
たとえ、いま、いかなる窮地困厄の場所にあっても、屈せずたゆまず、日に一分、年に一寸だけでも、ここより脱け出でんとする心掛けが必要である。
「俺はもうダメだ」と、決して思ってはならぬ。「なにくそッ!」と、一災一厄くるごとに、ますます希望と向上とに燃えねばならぬ。
無限の真善への憧憬、追求よりほかに、人間の目的も価値もないのだ。
とくに現代のような、生存競争のはげしい修羅道に生まれあわせては、なにが一番必要かといえば「どうしてもヘコたれぬ」ことより必要なことはない。気のよわい人たちは、目まぐるしく残酷な戦場をひと目みただけで、もう「こりゃとうていかなわぬ」と、絶望してしまうかもしれぬ。しかしながら、それでは、この世に生まれ合わした使命をまっとうすることが全然できない。
つらい、いやな戦いの世ではある。
冷風、おもてを向くべきもない枯野のような社会ではある。
しかし、そうだといって、君はどこへ逃げようとするのだ。むしろ、死んだがましかも知れぬ。
しかしただ死ぬるがために君は生まれさせられたのではない。そこで鍛えられ、そこで悟らされるために出されたのではないか。悪なるもの、偽なるもののために戦わずして、かぶとを脱ぐとは、このうえもなき卑怯者ではないか。
どうせ、娑婆は戦場である。ただ善と真とのために戦うものは幸いである。神と公共のために起つものは幸いである。
「ああ、われ戦わん、あくまで戦わん、命のきわまで戦わん」この意気、この熱さえあったら万事よし。成るとならぬは、神の心である。
『信仰覚書』第三巻 出口日出麿著
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