経るべき階段
経るべき階段は経ねばならぬ。これを、人間理智から無理をして一足飛びに行こうとあせってはならぬ。しかし、それに時間は、本人の発憤精進次第で、非常に早くにでも、また非常に遅くにでもなる。
経るべき階段を経ないならば、それだけ、その人の魂が不自然になっていることになる。春から急に冬になったら、その冬は真の冬の要素をそなえていない、いわば不自然な冬である。
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子供は子供らしいのが一番よい。それを、大人から見て、いけないといって叱るのは間違っている。このように、自分以外の一切のものに対して無限の許容が必要である。そのもの、その人自身としては、
いずれも最善をとっているのであるから、これを、こちらから見て、頭ごなしにきめつけては、相手の心が一遍に破壊されてしまうだけで何にもならぬ。相手の境地を生かしてやり、伸ばしてやるように工夫せねばいけない。
大局からみれば、一切は必然の過程にあるのだから、それを、真剣になって、とやかくと言ってはならない。
出口日出麿著、『信仰覚書』第六巻 経るべき階段