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【短篇】或る夏の夜の夢

 リビングの脇にある二段構えの棚。その上段から女の霊が出現するというので、母が「捕獲する」と言い出した。
 正直に言って、何を仰っているのか分からなかった。単純に「幽霊を『捕獲する』」というパワーワードが「??」だったし、そもそも幽霊は捕獲出来る類の物なのか理解しきれていなかった。そんな、近所の捨て猫とかカミツキガメをテイヤッ! と捕らえるノリで女の霊をテイヤッ! と出来るものなのかしらん?

 私の心配を他所に、女の霊は定例の時刻に──まるでルーチンワークか何かの様に──棚の扉をスッとスライドさせ、長い黒髪を垂らした頭をヌッと出現させた。次いで白樺の枝の様な、真っ白く細い手指を、そろりと伸ばす。
 瞬間、母は女の髪をむんずと掴んだ。そして、そのまま力任せに引き出す。のたうち回る白装束を纏った痩躯なんて全く視界に入っていない様な、強引過ぎる力技だった。
 母は快活な声音で、
「幽霊に対する恐怖の概念が無いのよね」
 と言った。浮かべた笑顔が真夏日を想像させる眩しさで、私は「でしょうね」としか返答しようがない。

 母が「あなたも掴んでみなさいよ」と女の霊の頭をズイと突き出してくるから、私は唇を噛んで手を伸ばす。怖くて怖くて辛かったが、断るという選択肢がない。恐る恐る、嫌々手を伸ばした。
 女の髪は、見た目以上に──そして想像以上に──パッサパサで、乾燥していた。まるで乾いた海苔みたいに硬かった。
 よくよく見ると、女だと思っていた顔や身体は、いつの間にか人形に変わっていた。肌色の布で人の形に作られ、綿を詰めただけの人形。その顔には目も鼻も無ければ、眉も口も無かった。私は一気に気が緩んだ。
「なぁんだ、ただの人形だ!」
 調子に乗って髪を引っ張り、顔のパーツが皆無なことを嗤い、四肢を引っ張った。手荒く扱った後、棚に頭から突っ込んでガラス戸を閉めた。

 異変は一瞬だった。
 ガラス戸の向こう側。ほんの一、二秒、目を離した隙に、棚の奥にあった筈の人形の頭がこちら側──つまりガラス戸側──に移動していたのだ。私はゾッとした。無い筈の目が、私を鋭く睨み上げている錯覚に襲われる。
 嗚呼、恐ろしい!
 私は背を向けて、足早に立ち去ろうとした。その時! 背後から物凄い力で引っ張られ、床に引き倒された。ダンッと打ち付けた背中が痛い。
 反射的に塞いでいた目蓋を、恐る恐る持ち上げて、後悔した。
 眼前には、まるで先程面白おかしく弄んだ人形の様な女が──白装束を身に纏った、髪が黒く長い女が逆さに映っていたのである。
 私は「うわっ」と叫んだ。押し退けようと手を伸ばした。が、その手は氷の如く冷え切った硬い女の両手にガシリと捕らえられた。余りの力強さに恐怖心が増す。
 そしてそのまま、掴まれた両手は彼女の口元に運ばれる。黄ばんだ歯が並ぶ口がパックリと大きく開き、私の血の気が失せた両の手の指をまるでポッキーか小枝の様にバリバリボリボリと音を立てて噛み砕いていく。信じられないリアルすぎる痛みと音と振動に、私は叫ばずにはいられない。

「うああぁぁあああぁうぁうああああああ!!!!!」

 ──と、ここで目が覚めました。久々に見た恐ろしすぎる夢。今夜はゆっくり寝たい。

(了)

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