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20:日曜の凶報
『おばあさんが認知症になった』
その報せは、余りにも突然だった。
疾うに成人を迎え、専門学校も卒業して一年が経つか経たないかの時分。何の変哲もない日曜の朝のことである。
けたたましく宅電のベルが鳴り響いた。連絡してきたのは前記事の最後にも登場した、おばあちゃんの家の近くに住んでいて世話役でもあった次女──中村純子さんだった。
純子さんから我が家に電話が掛かってくる。正に珍事だった。というのも、こちらから父の親族に連絡することはあっても、逆は殆どない。それこそ余っ程の有事──例えば誰かの結婚とか──じゃない限り、手紙一つ寄越して来ないのが父の家族だった。況してや電話なんて、有事中の有事が発生したとしか思えない。
「──ああ、純ちゃん」
父が電話口に向かって呟いた瞬間、母も私も一瞬にして身構えた。
中村純子さんからの電話……だと……? え? なんで? こわいこわい。誰か亡くなったんじゃないの? だとしたら、おばあちゃん??
ごめん、おばあちゃん。早々に殺しちゃった。南無三。
純子さんと会話を続ける父の顔が強ばり、元々大人しい声が更に小さくなっていく。このことが、母と私の想像を強固にした。だって電話が来るとか訃報以外に考えられない。それか交通事故に遭ったとか、病気で倒れたとか、そして入院して今ICUに居るとか……。
いや、もしかしたら中村純子さんの旦那さんが亡くなったのかもしれない。それか交通事故に遭って重体とか。確か某高級国産車に乗ってたよな。それなりの歳だし、ブレーキとアクセルを踏み間違えてってのも有り得るかも。でも、旦那さんの訃報を、わざわざ弟に報せる? それも電話で。……ないな。仮にあったとしても手紙か葉書一枚で済ませるはず。
じゃあ、やっぱり亡くなったのは──
悪い想像ばかりが膨らんでいく。
そんな私達の脳内などつゆ知らず、父は落ち込んだ様子で静かに受話器を置いた。
母が恐る恐る問いかける。
「中村さん、何ですって……?」
「あー、おばあさんのことだった」
やっぱり!!
「おばあさん、認知症になったらしい」
予想外の方向から殴られた気分だった。
己が脳内で描いた全ての事柄を外したことに喜べば良いのか、認知症を患ってしまった事実に嘆けばよいのか。どちらが正しいか判断出来なかった。否、いま思えば正解なんて無かったのだろう。
けれど、とにかく当時は、どう反応すれば良いか分からなかった。
ただ、頭の何処かで他人事のように感じていたのは確かだ。
『他人事』は、正確な表現ではない。妙に実感が沸かないというか、認知症の問題は余所様の家で起こる事案であって、自分の家族──或いは身内──に降り懸かるなんて欠片も想像していなかった。
本当におばあちゃんが認知症になったのか。ニュース番組の特集などで取り上げられる症状が、おばあちゃんに現れているのか。人知れず徘徊したり、家族に対して「誰?」と首を傾げたりするのか。
正直に告白しよう。
私には実感が無かった。まるで皆無だった。皆無どころか、少し疑わしい気持ちでさえあった。
そして、認知症の親の面倒を看る家族の心が、如何に荒んでしまうのか。おばあちゃんに対し、どんな発言をするのか。母と私はどんな憎まれ口を叩かれるのか。
おばあちゃんは、どのような言動をとるのか。
実際に「誰?」と訊ねられたら、どんなに衝撃的か。
私には実感も覚悟も無かった。全くのゼロであった。
とても愚かな孫だった。
(続く)
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